1999年6月号
特集


21世紀の福祉を創る
 組合員の要求、 力を大切にして発想の転換を

 介護保険は目前に迫っている。 生協の福祉活動、 事業はどう考え、 実践したらよいのか。
 この間 『協う』 誌上で掲載してきたこの課題をさらに深めるために4月26日に座談会を開催した。 テーマは、 「地域の実践から学ぶ-福祉の事業化へ」。地域で住民自身が自主的に実践しているお二人の方から報告していただいた。神戸市垂水区で震災前から配食サービスを取り組み、 その中からグループホーム「星が丘ホーム」 づくりの運動を進めている徳岡八重子さんと、京都府城陽市の深谷校区でボランティア活動を続けてきている高畠ハルミさん。くらしと協同の研究所からは浜岡政好さん (佛教大学教授、 当研究所副所長) と上掛利博さん (京都府立大学助教授、 当研究所研究委員会幹事、 福祉プロジェクト代表) が参加した。
 住民自身が取り組んでいる実践から生協は何を学ぶのか、 それらと生協の活動が結びつくのか、 考えてみたい。


<実践例1 徳岡八重子>

 神戸からきました徳岡です。93年から 「きくの会」 を作り、 高齢者や障害者の方へ月2回配食活動や安否確認、 炊き出しなどに取り組んできています。 当初30食から120~130食くらいになりました。

仮設での 「食」 の持つ意味
 以前、 浜岡先生と調査した阪神大震災後の仮設住宅での高齢者、 障害者の実態は、 たいへんでした。 一日三度きちんと食べられていません。 ある日突然孤独死や自殺という痛ましい出来事が起こるのではなく、 食べることが欠けてくると食べなくても平気になり、 一週間栄養のある食事がなくても平気になります。 外に出ないから着替えもしなくなってきます。 そして、 しだいに人間的な暮らしから離れていきます。 生きるために食べるのではなく、 食べることが生きる意欲につながっていると実感しています。
 仮設や復興公営住宅で、 いろいろな方のネットワークで見守ればいいのですが、 これらの連携が困難です。 それぞれが一生懸命やっても、 孤独死が防げないのは、 いろいろな立場の支援者グループがこの地域をどうしようという一致点をもたないからではないかと思いました。 地域のネットワークづくりは大切ですが、 それぞれが自分のところで精一杯ですし、 なかなか手がつなげていないのです。 もったいないなと思いました。

グループホームへ
 今までどおりのような普通の家で少しづつ助け合えば暮らしていける人がいっぱいいます。 少し目が不自由、 耳が不自由、 足が不自由、 それぞれが補完しあって生きていく方法があるだろうと思いました。 日常的な孤独感は、 専門家が来てもボランティアや家族がたまに来ても、 なくなりません。 いつでもどこでも人のいる気配があって、 何かあったときにすぐ助けが求められる関係は、 小さな規模での共同生活でこそ可能ではないかと思います。 つかず離れずのところで専門家やボランティアの力が少しあればいいのではないかと思っています。
 そこで、 垂水区の星が丘で、 震災復興運動で出会った地主さんが賛同してくれて、 約150平方メートルの土地を確保できました。 でも、 助成はまったくありません。 資金は自分たちで集めなければなりません。 全部で4000万円 (神戸市垂水区星が丘に2階建て約140平方メートルのグループホームの建設を予定している。 ここは、 高齢者と障害者のグループホームと給食サービス、 地域福祉活動を行う協同の家をめざしている。 編集部注) かかりますが、 あと200万円のところで足ぶみしています。

初めてのドレス
 ホームの建設を推進するため、 今年3月20日に 「星が丘ホームを立てよう会」 を開きました。その中の企画で、ファッションショーをしました。 車椅子の女性も参加しました (表紙写真参照、 編集部)。 彼女は生まれて初めて自分だけの服を作ってもらったのです。 ふだんは介助されやすいようにとズボン姿でしたが、 一度でいいからスカートをはいてみたいと思っていたのです。 トイレも楽なようにエプロンドレスを後ろ向きにし、 カーテンのようにして作ってもらいました。 上はブラウスになっているので、 トイレも楽だし、 着脱も楽。 そうすると、 今までトイレが大変だったのにスカートだったら、 楽だし、 おしゃれもできるし、 とすごく喜んでいました。 その時初めて髪も染めて、 パーマもあて、 かすみ草もつけて出演し、 「きれい!かわいらしい!」 とみんなから誉められまくりました。 私は彼女の入浴介助に行っていますが、 今まで浴槽から自力で出られなかったのです。 ところが、 ファッションショーの後、 出てみようかなという意欲が出てきました。 訓練では出られなかったけれど、 出られるようになったのです。 この意欲は、 人間的に充足してこそ生まれるパワーなんだと実感しました。

老いること、 障害は恐くない!!
 当日、 メークアップアーティストの学生たちも参加してくれました。 ファッション関係の最先端を行く者とボランティア活動とは結びつけにくいと感じていた先生も 「また、 参加してみたい」 「役に立ってよかった」 との感想を聞き、 あらためて話してみると、 「いくつになっても、 どんな障害を持っていても、 自分たちとまったく変わらない反応だし、 共にショーを創り上げる中で、 今まで老いること、 障害を持つことは恐いものと思っていたが、 ちっとも変わらない。 同じなんだ!」 との声に、 ふれあいの大切さを感じたと伝えてくれました。 また、 送迎には葬儀会社がリフト付き車両を出してくれました。 みんなボ
ランティアです。
 いろんな人、 異業種の人たちが関われることは、 小さな地域だからできたと思います。 地域限定でやろうと思えば、この人とこの人に手伝ってもらう、 となります。 そんなことをしながら、 今年の秋には着工し、 被災地から新しい生き方、 住まい方を拡げていきたいと思っています。

<実践例2 高畠ハルミ>

 城陽市の高畠です。私は、 20年くらい前に生協の理事をしていたのですが、 生協を卒業か退学かはわかりませんが、 それ以降は育友会や市民運動など、 地域にこだわって活動してきました。今日は、そのなかで2700世帯くらいの深谷という小さい校区での取り組みをお話させていただきます。

「あゆみの会」 の発足
 84年に城陽市の社会福祉協議会 (以下社協と略す) の事業として、 「各校区4人ずつ独居老人への安否確認を週4回行うこと」 という提起がありました。 しかし、 男性役員の多い当時の校区社協では実行できる人がいません。 そこで、 生協の委員や旧民生委員の8人が中心となり、 「あゆみの会」 を結成しました。 独居老人は私たちの知っているだけで30人から40人はいらっしゃいます。 さみしいのはみんな一緒ではないかという意見があり、 たとえ回数が少なくても一人でも多くの方に声かけをした方がいいのではと自分たちで決めました。 そして、 校区社協として毎月安否確認をして市社協に報告します。 1通話10円の電話代が校区社協におりてきて、 校区社協から私たちのグループにおりるようになりました。 また、 当事者団体も必要だということでビラを配り、 同じ年に 「小菊の会」 という65歳以上で一人暮しの方たちの会を作りました。
 ある時、 「小菊の会」 の方と話をしていたら、 「一度大根を煮たら何日も同じ物を食べますよ」 と聞きました。 それは栄養が片寄るね、 では一度ご飯を一緒に食べましょうかと、 昼食会ができました。 集まると、 お誕生日はいつですかとお誕生会ができました。 また、 年末には餅つき、 春にはお花見会などなど、 その人たちがどうしたいのかという、 ありとあらゆる要望を取り上げた手作りの活動をしています。

地域でのネットワーク
  「あゆみの会」 には、 一人暮しの方の名簿や連絡先の名簿はありますが、 あとでお話する 「いも煮の会」 の配食などでの必要性から、 一人暮らしの高齢者、 高齢で二人住まいの方、 昼間一人の方、 寝たきりの方、 耳の聞こえない方、 視力障害の方、 介護者の会の方など、 どこに住んでおられるか、 だいたいわかるようになりました。 それ以外に、 いざというときに駆け込んで頼もうという考えで、 いろいろな人的資源のネットワークを作りつつあります。 また、 校区社協のボランティア部の事業として、 警察、 消防署、 ヘルパー、 保健婦、 介護者の会、 ボランティアグループの責任者などの人と、 月に1回定例会を持っています。 例えば、 徘徊するお年寄りがいる場合に、 どうするか話し合います。 最終的には見かけたら連絡をお願いしますと写真をつけ、 身長や住所を明記したカードを酒屋さんや薬屋さんに依頼します。 消防署の場合は、 年末に一人暮らしの高齢者の方を防火の聞き取りをしながら訪問しますし、 警察は、 高齢者の集まりのときに来ていただき話をしてもらいました。 地域でいろんなネットワークが生まれました。

「ふれあいサロン」
 これとは別に 「ふれあいサロン」 があります。 93年にできました。 これは、 ある方から 「どこかお年寄りが、 何もしなくていいから集まれる場所がないか」 と言われたのがきっかけです。 どういうものかと考えていましたら、 とても寒い日に公園でお年寄りが3人ベンチに座って、 お話していらっしゃるのです。 なぜおうちでしゃべらないのかなと思っていたら、 家では家族に気を使うからだそうです。 それなら気楽に集まれる部屋があればいいかと考え、 ある自治会の集会所を月に2回借りることにして、 場所を確保しました。
 最初は、 お茶とお菓子だけ準備しますので、 どうぞいらしてください、 もしも一人も来なくてもいいじゃない、 と気軽に始めました。 すると、 結構いらっしゃるのです。 集まると、 私あれしたい、 これしたい、 となりました。 それで、 ペン習字が始まりました。 保健婦さんにきてもらって血圧測定が始まりました。 健康相談で体脂肪を減らさないといけない、 では歩きましょうとそこから 「30分歩こう会」 というグループができました。 また、 鍵は私たちが開けますが、 来られたお年寄りたちが自分たちでお茶を沸かし、 自分たちでお菓子を出してもらうようになりました。 たまたま手芸が好きな人がいて、 それを教えてもらう、 折り紙が上手な人が来て、 教えてもらうとなりました。 高齢の男性を中心に、 古切手やテレホンカード、 ベルマーク、 ロータスクーポン等などの整理もやっています。 最近は、 赤ちゃんを連れたおかあさんから80幾つの方まで、 集まります。
 そこへ、 誰か処分してもらえないかと衣類を持ってこられました。 私たちも楽しいので、 ファッションバザール (表紙写真参照、 編集部) をやりましょうとなりました。 今は、 年に3回開きます。 金額は、 1点200円にしました。 それでも、 年に8万円くらい収入があります。

「いも煮の会」
 94年には 「いも煮の会」 というグループを作りました。 これは、 一人暮らしの高齢者、 高齢者のみの世帯、 昼間一人になる高齢者や寝たきり家庭を対象に、 会食会や配食をするためのものです。 希望数が多くなったので昨年から地域を分けて1回100食程、 年6回の配食をしています。 今後、 何回に増やせるかが課題です。
 私は、 地域にこだわり続けてきました。 退職後の男性も仲間としてむかえていますが、 そのきっかけは、 私の夫が車椅子生活なので、私が介助をしているときに、 散歩を手伝うよという人が現れ、 その次に、大工仕事をしてくれる人が現れ、 皆さん車の運転ができるので、 運転ボランティアとしてお願いしたことからです。

地域での助け合い
今、介護保険を前にして不安があります。
介護保険では対象とはならない、 要支援にもひっかからない人、たとえば、 ちょっと手伝えばそこで自立して生活できる人たちが地域には大勢います。 掃除を手伝ったり、 食事の買い物へ行ったりすることが削られます。 しかし、 安易にボランティアで対応するということにはなりません。 制度からはじき出された人たちを、地域の中でどうするかです。 それならそこは新しく制度を創らないといけません。 地域に住んで身近にそういう人を見ているので、 なおさら必要だと思います。

<コメント1 浜岡政好>

生きる意欲は介護保険の対象外
 私は、 徳岡さんのファションショーを見に行って、 あらためて感心しました。 おしゃれなどは、 人間が普通の生活をするには大きな要素です。 気分がわくわくしたり、 毎日の生活がぱっとしたりすることです。 介護が必要になったとき、 そういうことが贅沢みたいで、 それ以上は言ってはいけないという気持ちがあります。 この気持ちを超えるサービスの質を創らないと、 生き生きした生活にはならないと思います。 介護保険では、 ヘルパーの活動がどれだけやられたのか、 それに見合うお金をだすしくみなので、 生活を丸ごと支える活動は、 一部削られます。 効率や能率を重視して活動しなければならないので、 今のわくわくする気持ちなど、 膨らみを持った活動が削ぎ落とされてしまいます。 介護保険は、 確かに介護のある部分を支えるしくみではありますが、 介護は、 生活のなかでは氷山の一角で、 それ以外の生活はたくさんあります。 介護保険では高齢者の生活をトータルに支えるのは無理です。

顔が見える助け合い
 もう一つは、 地域で活動することは、 固有名詞の世界だと思いました。 大きいサイズで仕事をしていると、 物事が数量で処理されてしまいます。 すると痛みだとかを感じるのは難しくなります。 たとえば5%などの数字は、 京都市のようなサイズになると数百人、 数千人になります。 でも、 地域ですと、 「だれだれさん」 と顔が浮かびます。 この人がそうなっていいの、 ほっとけない、 ではどうしよう、 となりますが、 ここが大切です。 地域で固有名詞と顔が見える世界で活動することが、 いろんな意味で活動の中身を作っていると思いました。

<コメント2 上掛利博>

 介護保険の実施を前にして、 生協の福祉の活動や事業がどうなるのか、 どういう方向へ展望したらいいのか。 いくつかの生協を見て思うのは、生協の福祉活動の視野が非常に狭くなっているのではないかということです。 「助け合いの会」 やホームヘルプ事業など、 先進事例から学ぶということでは、 コープこうべや、 生協ひろしまでの実践が全国へ広まりつつあるのですが、 その地域にあった多様な活動や事業は必ずしも十分に展開されていないように思えます。

実践が地域を変える
  「自由に」 というのが、 当事者が参加する、 住民参加の福祉の基本です。 自分たち自身がこうありたいという願いに基づいた福祉の活動を支えるしくみを考えていく必要があります。
 高畠さんたちの 「あゆみの会」 のきっかけは社協の活動でしたが、 出発は自分たちの思いです。 80年代前半はボランティアの性格がまだ十分に理解されていない時期です。 それを、 自分たちの実践を通じて社協のなかでの位置づけを変え、 地域を変えていきました。 自分たちの生活を、 今ある仕組みに当てはめるのではなく、 地域の必要に応じて自分たちで考え、 工夫してきました。
 福祉の考え方はノーマライゼーションの理念によって、 大きく変わりました。特定の人だけが福祉を考えたり、 福祉の対象になったりするのではなく、 みんなの問題という広がりを持ってきました。 その中に、 生協の福祉活動もおかれています。

当事者の参加
 高齢者や障害者と一緒に考えて活動することが大切です。 地域のニーズを、 必要に応じて一緒に考えたほうが力を発揮できます。 当事者が参加することの意味は、 本人の気持ちにそってやってみよう、 自分だったらどうか、 自分が年取ったときにこうなっていたいという思いを出発点におけるからです。 自主的な取り組みでないとできないことがあります。 その点を大事にして生協の福祉を考えてみる必要があります。 今回の徳岡さんと高畠さんのお2人の活動は非常に楽しいことだから、 きっと広まっていくに違いないし、 人間らしい気持をもって周りに広めていることがよくわかりました。

発想の転換が必要
 これからの生協の福祉を考えるとき必要な視点があります。 第一に、 組合員を中心にした自主的で多様な取り組みを展開することです。 第二に、 利用者の視点から取り組むことです。 第三に、 一般の営利企業との違い、 生協の独自性は何かを明確にすることです。 第四に、 行政との関係で、 自分たちをどう位置づけるのかです。 第五は、 人づくりです。 ヘルパー養成は、 事業として展開するためだけでなく、 組合員が持っている能力を引き出すきっかけに位置づけることです。 地域のネットワークの担い手づくりも大切です。 福祉を生協の枠組みだけでとらえずに、 さまざまな組織、 グループ、 人々とむすんで広げていく方向性を持つことです。
 地域には、 情熱も力量もある組合員やその家族がいます。 この力を引き出し、 生かして事業化していくこと、 それを応援すること。 この動きが大切になっているように思えます。



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