1998年10月号
エッセイ

心にひびく母の顔の輝き


おおさかパルコープ副理事長 谷 美代子

恒例の里帰り……といっても、 最近はちょっと変わってきた。 月二回は、 母が一人で住んでいる岡山へ帰っている。
九十二歳の母は、 持病のひざの関節痛のほかは、 これといった病気もない。 だから、 食事づくりはもちろん、 家内外のまわしも全部こなしている。 お正月に大阪に来ても、 一週間ともたない。 岡山へ送っていく日がちょっと遅れると、 口では 「いいよ」 「いいよ」 と言っているが、 頭が痛くなったり、 夜中に目が覚めたりして、 身体が拒否反応を示しだす。
十八年前父が亡くなったときは、 がっくりきて、 母もこのまま……と、 心配もした。 最近では近所の仲間も一人二人と亡くなられ、 さびしそうである。
だから、 私の母への思いも強くなってきている。
少しでもそばにいてあげたい。 帰ったときくらい、母の好物をつくって食べさせてあげたい。 最近では高齢になり、 「会ったときが最後」 と、 寸時を惜しむように、 もうしてあげることはないか、 とばかり考えていた。
先日のお盆休みは久しぶりにゆっくりでき、 いろいろと昔話もできた。 私は夏の疲れもあってちょっと昼寝をし、 目を覚ますと、 お腹のうえにタオルケットがかけられ、 台所でなにやら音がしている。 子どものころに聞いたコトコト、 コトコトというまな板のなつかしい音であった。
私が目を覚ましているとわかると、 子どものころ大好きだったせんべいにお茶をそえて、 持ってきてくれた。
還暦を過ぎても、 母にとって私はいつまでも子どもであるらしい。
「今晩はお寿司をつくるから、 なにもせんでええよ」 と言って、 痛い足をかばいながら一所懸命つくってくれた。 娘と私と母と三代そろって、 ビールを飲み、 お寿司を食べた。
おいしかった---
母は、 「味がもうひとつや」 と言いながらも満足そう。 後かたづけもしてくれた。 娘と二人、 ゴロリと寝ころんでのんびり。 かたづけの終わった母は、 岡山名産の桃をむいてテーブルにのせ、 よいしょと一声かけて座った。
その瞬間に母の顔の輝きに目をみはった。 いつもは 「ありがとう」 「ありがとう」 とばかり言っていた母は、 久しぶりに子どもに食事をつくり、 のんびりさせてやったという満足感に満ちていた。
いままでやってきた私の里帰りは、 母にとってどうだったのか、 あらためて思った。 やってあげたいという、 私の思いばかりおしつけていたのでは……。
でも、 親子や、 ま、 いいか、 とうつうつしながら、 そう思った。 次に帰ったときも、 あげたいのおしつけになるかもしれない。 でもしんどい時には手ぬきしよう、 母の体調をみながら。



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