1998年10月号
くらし発見の旅


"北"からしかける"南"への援助

私たちのお金はどう使われているのか


前号に続いて、 公開フォーラム 「アジアの人々とくらし」 の講演を紹介したい。 今回は4月に開催した 「アジアの開発と私たちのお金――いま、 私たちに求められていること」 と題する地域自立発展研究所の神田浩史さんの講演である。
神田さんは就職し、 最初に就いた仕事への疑問から出発して、 "援助"とは何か、 という大きなテーマを追究してこられた。 熱のこもった講演の要約を掲載する。


受け手の住民にニーズのない開発援助とは
開発コンサルタントという仕事で、 1984年タンザニアの北部にあるキリマンジャロの山麓に出かけたのが、 ODA (政府開発援助) との出会いでした。 タンザニア政府が日本政府から33億円を借りて水田を造成するのですが、 その際に工事の過程でゼネコンを監視するのが私の仕事でした。 私はタンザニア政府と契約している日本の民間企業の社員でした。 33億円というのは借款=ローンです。 日本のODAの大きな特徴は、 援助という名前をつけていますが、 おおざっぱにいって55%はローンです。 この時の条件は10年据置で返済期間は30年、 利息3%でした。
工事は大阪の鴻池組が請け負っていて、 村にブルドーザーが入っていました。 村人は私をつかまえて、 「お前は何をしに来たんだ」 。 つまり、 村人は工事については何も知らされていない。 知らさないままに主食であるメイズ (トウモロコシ) 畑をつぶして水田にしようとしていました。 村は自給経済が完結しています。 ところが、 村人に知らさずに水田に変えようとしている。 水田になれば自給農家が農業労働者になります。 州役人は 「土地は国のものだから、 それを国がどう使おうと国の都合だ。 いちいち村人に伝える必要はない」と言っていました。 なぜ知らさないのかと、 私が強く迫ったため、 公聴会は開かれましたが、 工事に変更はありませんでした。
これは誰が仕掛けたのかというと、 私が勤めていた企業であり、 日本の農業土木技術者が余っていたという背景がありました。 84年当時は、 構造改善事業といって、 日本国内で田を大規模化する計画段階はほぼ終えていて、 農業土木の技術者は不要になっていました。 これをODAにのせて輸出したという実態があります。 タンザニアのニーズで水田をつくるのではなく、 初めから日本側の都合でした。 そこでできた米は地元では需要がないので、 米の輸入をしている中東に輸出しなさいというのが、 日本側のシナリオです。
84年以前は米の国際価格が高く、 1トンあたり約500ドルでした。 ところが84~85年を境に大暴落を始めます。 需要の減少と供給の増加のためです。 インドとインドネシアは米の輸入超大国でしたが、 両政府ともこの時期に米の自給を達成したという宣言をします。 売り手の独壇場はタイでしたが、 ビルマ (ミャンマー) とベトナムが参入してきました。 アメリカやオーストラリアも政府が補助金をつけて米を輸出し始めます。 こうして米価が暴落し、 結局この水田工事が始まるころは1トン200ドルになっていました。 日本から巨額の円を借りて米をつくっても、 売ることができない。 おかしいと思いながら、 6年間はそんな仕事をしていました。

10年間据置で250倍にもなった円借款
この33億円は、 タンザニア政府は返済に非常に苦慮しています。 というより返していません。 誰が返しているのか。 お金を貸したのはOECF (海外経済協力基金) という、 経済企画庁を主務官庁とする特殊法人です。 ここが扱っているお金は財政投融資です。 財政投融資の原資は私たちの郵便貯金であり、 年金です。 これを原資として、 大蔵省が財政投融資として特殊法人に貸し付けて、 特殊法人がタンザニア政府に貸し付けているという形です。 これは当然利息を付けて返してもらわないとまわらない。 私たちの預金金利や年金の金利が下がった分はODAの一般会計から補填しています。 だけど、 返済されないことには郵便貯金も戻ってこないし、 年金も支払われません。
さて、 10年後の94年には返済期限がきました。 33億円でもタンザニアは返せなかったでしょう。 ところが10年間にその額がどんどん増えました。 円高やIMF (国際通貨基金) の介入による通貨の切り下げで、 33億円はタンザニアの通貨シリングでは10年間に約250倍になりました。 タンザニア政府は返せないと開き直りました。 誰が困るのかというと、 OECFです。 いくらずさんな特殊法人でも、 返ってくるはずのお金が返ってこないと困ります。 そこで日本政府はタンザニア政府に債務救済として、 財投ではなく一般会計から無償で出すことにしました。 ODAで貸して返せないとなると、 またODAで補填します。 こうして、 日本のODAの額は膨らんでいます。
この債務救済とは、 タンザニア政府に支払われたことになっていますが、 タンザニア政府は直ちに日本の特殊法人に返しています。 そのうえ、 この債務救済はお金ではなく、 モノをタンザニアに送っています。 モノを送ることができるのは日本の商社に限られ、 しかもタンザニア政府の希望するモノではなく、 日本から制約をつけられています。 それをタンザニアが国内で売ってシリングにして、 それをドルに換えて、 さらに円に換えて日本に返しています。
直接の受益者は誰か。 最初の33億円で巨額の利益を得たのは、 私の勤めていた日本の会社や鴻池組です。 いま債務救済といって儲けているのは日本の商社です。 手厚く日本の企業に金が入っていくシステムです。 こんな例はタンザニアだけではなく、 日本からの円借款が政府財政を圧迫している国というのは世界中にたくさんあります。 フィリピンや南アジアの国々、 アフリカ大陸でいうとナイジェリア、 ケニアといった国はそうです。
このように、 ローンの形が多いのは日本の都合です。 国会での審議事項になるから一般会計をどんどん増やすわけにいかない。 見かけ上とはいえ、 日本を世界一のODA大国にするためには、 財政投融資でODAを増やさないといけない。 さらにいえば、 これは明らかに財政投融資がつくった不良債権です。 不良債権を一般会計で処理するやりかたは住専のときと同じです。 ただ、 構造が複雑なので、 国民は誰も文句を言わないで、 債務救済でタンザニア政府を救済していると思いこんでいます。 実際には何を救済しているかといえば、 OECFなんです。 ここの不良債権は6000億円を超えていると推定されています。 ところがその資料はいっさい公開されていません。

ODAに必要な住民参加と情報公開
ODAのもっている問題点はこの他にもたくさんありますが、 公的な資金が動いているのに、 これだけ情報公開されていないことが、 なにより問題です。 ODAでいま最も大切なことは 「情報公開」 と 「住民参加」 です。 住民参加の優先順位としてトップにくるのは受け手の住民、 援助される国の住民です。 そして、 年金や貯金、 税金という形でODAの原資を出している私たち日本の住民です。 私たち住民をODAのプロセスにきちんと参加させなさいということです。
現状では、 ODAの予算を国会で一括審議して、 一括承認するだけです。 ですからODAの細部が審議されることはまずありません。 しかもそれは一般会計の部分だけであり、 財政投融資に関しては大蔵省の専決事項になっているので、 どこでも審議されないままにどんどん出ていくという不透明さです。 特別委員会か、 小委員会をつくって、 ODAに関して国会できちんと議論していくべきであり、 そうすれば私たち有権者もそこに参画していくことができるはずです。
私たちのお金の使い方に関してもっともっと参画できるシステムをつくっていかねばなりません。 そのためには当然、 情報公開が不可欠なのです。 この点に関して、 NGOや協同組合の役割がこれからますます大きくなっていくでしょう。 両者ともに、 これまで政府を動かして、 何かを変革していくことを続けてきたわけですから。



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