『協う』2007年2月号 生協のひと・生協のモノ


ジオラマから見るコープこうべ85年のあゆみ

望月 康平
京都大学大学院博士課程。 『協う』 編集委員

 

  2007年1月に、 コープこうべ創業85周年記念事業として、 ジオラマ展 「人間この愚かですばらしきもの」 と 「コープこうべ85年のあゆみ」 が開催された。 日本最大の生協コープこうべ、 そのあゆみはどのようなものだったのだろうか。 そしてこれからどこへ向かうのか。 こんな身の丈にあまる問いを胸にジオラマ展に向かった。

戦争から戦後復興
空襲警報が鳴り響く街、 ガレキの山、 逃げ惑う人々、 そして力尽きる人。 凄惨な第二次大戦のジオラマの次には、‘古き良き昭和’のジオラマが待っていた。 絶望のどん底から復興し、 庶民のくらしににぎわいが戻ってきた。 皆決して裕福そうには見えないが、 まち全体から活気が伝わってくる。 威勢の良さそうな八百屋さん、 自転車で魚を売りにきたおじいさん。 よく見るとのんべえのおじさんもフラフラ歩いている。 ポン菓子売りを見にきた子どもたちからは 「ひゃぁ!」 という声が聞こえてきそうだ。 広場、 川、 道、 そこら中で子ども達が遊びまわり、 それでいて大人の生活と分離されず、 まちに一体感が漂っている。 これがこの展示に訪れた小学生をして 「なつかしい」 と言わしめる、 ジオラマの魅力なのだろう。

時代と共に変わるコープこうべ
  次に 「コープこうべ85年のあゆみ」 を見る。 物資が不足していた時代、 薪炭、 米、 味噌、 醤油など必需品が供給されている。 物不足だけれど活気に満ちたまちを大八車が行き来していたのだろう。‘御用聞き’はこのようなまちの雰囲気の中、 人と人とのつながりの中で発展したのだろうか。
  時代は流れて豊かになった。 御用聞きは共同購入、 そして個配へと変化していった。 またその一方で、 いまだかつて無いほどに食の安全が求められる時代になった。 しかしそのような豊かさを一瞬で破壊した阪神大震災。 全壊した瓦礫の前で炊き出しするジオラマは、 どうしても戦争直後のそれと重なって見えてしまう。 このジオラマから生協の原点のようなものを感じてしまうのは私だけではないと思う。

人間この愚かですばらしきもの
  「産業革命、 戦争、 経済偏重の都市計画、 20世紀ほど環境と文化を破壊しつくした時代は無い。 この愚かな歴史を見直し、 考えを改めなければいけない。」 ジオラマ制作者の南條亮氏は語る。 人間の‘すばらしさ’は‘愚かさ’の前に霞んでしまい、 とても見つけにくい。 結局、 人間の 「スバラシイところ」 を南條氏から直接お聞きすることはできなかった。
  南條氏の答えはジオラマの中にあるのではないかと思う。 コープこうべの 「産地見学」 のジオラマが印象に残った。 わが子に安全な食べ物を食べさせたいと願う母親たちが農家と交流している。 「野菜はこうやって作っているんですよ」 という声が聞こえてきそうだ。 確かに 「顔の見える関係」 や 「トレーサビリティ」 は食の安心・安全を考える上で大切なことだと思うし、 今後もこの流れはますます進むだろう。 でも、 実は私の印象に残ったのは、 そんな‘難しいこと’を話し合っている生産者と消費者をよそに、 すぐ横で 「きゃぁきゃぁ」 遊んでいる子ども達の姿だ。 子ども達の表情は古き良き昭和のそれとおんなじ顔である。
  取材を終えて、 コープこうべに関して数冊の本を読んだ。 コープこうべのあゆみはどのようなもので、 これからどこへ向かうのだろうか。 答えは簡単に出るはずもなかった。