『協う』2007年2月号 私の研究紹介


第1回 関西大学 杉本 貴志さん

協同組合の“母国”から見る
日本の生協運動

 

『協う』 のリニューアルで新しく誕生した 「私の研究紹介」。 第1回は本誌編集長の登場です。
  このコーナーを設けたのは、 くらしと協同の研究所に集まる研究者の方々から、 ご自分の研究分野でいま何が問題なのか、 そしてそれは生協の活動やわれわれの生活にどう関わり、 どういう問題を投げかけているのか、 読者に向けて大いに語っていただこうと考えたからです。 ところが思わぬ“天の声”により、 初回は自分自身でコーナー新設の責任をとることになってしまいました。

これまでは 『協う』 を誰が編集しているのかも、 あまり誌面で公開していませんでしたね。
  別に隠していたわけではないのですが、 事務局のもと、 数名の研究者、 大学院生、 生協組合員が集まり、 みんなで相談して 『協う』 を編集しているので、 とくに編集責任者の名前を出すということはしてきませんでした。 しかし、 こんなに小さな媒体であっても、 やはり責任をはっきりさせておいたほうがいいだろうということになったわけです。 ちなみに、 初代編集長は井上英之さんで、 現在のような編集体制になってからは、 初めが上掛利博さん、 次が若林靖永さん、 3番目が私で、 そのあと私が1年間の在外研究に出かけているあいだ、 もう一度上掛さんにお願いして、 現在また私に戻ってきたところです。

ということは、 やはり個人としても生協を研究対象としているということですか?
  公式にはそういうことになるんでしょう。 大学で担当している専門科目は、 「協同組合論」 と 「生活協同組合論」 ですから。

大学の授業に 「生活協同組合論」 なんていう科目があるんですか!
  おそらく、 うちだけでしょうね。 日本で唯一の 「生協論」 の専任担当者と自称していますから…。 もちろん内容として生協を取り上げている講義は、 いろいろな大学にたくさんあるでしょうけれども、 こういうそのものズバリの名称の科目というのは、 ほかでは聞いたことないですし、 そのゼミナールまであるっていうのは、 確実に関西大学だけじゃないかと思います。

「協同組合論」 というのはわりと聞きます。
  「協同組合論」 という科目は、 とくに農学部がある国立大学にはかなり設置されていると思います。 農協なくして農業は語れませんからね。 でも経済学部や商学部、 経営学部などでは、 ひとむかし前まではわりと多くの大学に 「協同組合論」 という科目があって、 そのなかで生協についても論じられていたと思うのですが、 最近次々にこの科目が消えているようです。

消えちゃうんですか?
  いま大学は生き残りをかけて、 学生に魅力的なカリキュラムを組むことに必死です。 そうなると、 古くさいと思われがちな科目、 学生に受けそうもない科目は消えざるを得ない。 その代わりに、 NPO論なんていう新しい科目が設けられるわけです。 こっちのほうが人気がありそうだし、 有意義じゃないかということでしょう。

若い人を集めるのに苦労している生協と同じですね。 でも、 「生活協同組合論」 って何を教えるんですか? まさか個配の勧誘法とか?
  …。 まぁそういうのも生協論の一部なのかもしれませんが、 私はもともと生協を専門的に勉強していたわけではないんです。 それどころか、 生協幹部の多くの方と違って、 学生時代に大学生協で活動したという経験もありません。 だから正直言って、 生協の現状を論じたりするのには今でも苦手意識があります。 “公式には”生協を専門としていると言ったのは、 そういうことです。

では、 本当の専門は何なんですか?
  自分では、 社会経済思想史だと思っているのですが…。 その方面の論文をずっと書いていないので説得力がないのですが、 歴史の調べ物をしているほうが、 生協やスーパーの現状を調査するよりもホッとするところがあります。

でも、 思想の歴史がどうして生協と結びつくのでしょうか?
  私が研究対象としていたのは今から200年近く前、 産業革命期のイギリスです。 その時代に、 ロバート・オウエンという人がいて、 彼に影響されたオウエン主義者と呼ばれる人々が、 初期協同組合運動というのを始めたのです。 要するに、 みんなで少しずつカネを出し合って、 自分たちの店を作った、 ということです。

それが生協の元祖ですか!
  そういう運動は当時イギリス中に広まり、 数百の店ができたようですが、 ほとんどは1840年代までに潰れてしまいます。 ところが、 1844年夏のこと、 もう一度そういう店作りをやってみようという人達がロッチデールという小さな町で集まりました。 そして年末にちっぽけな店を開いたのです。 これがロッチデール原則で名高いロッチデール公正先駆者組合です。

ICAの協同組合原則のルーツですね
  いまの生協や農協、 漁協など、 あらゆる協同組合の源と言われている組合です。 「協同組合論」 では、 そうして誕生したロッチデールの組合が、 当初どういう理想を抱いていたのか、 そしてその運動が世界中に広がっていくなかでどう変質していったか、 といったことを論じています。 また 「生活協同組合論」 では、 日本にも明治初期にこの運動が伝えられるのですが、 それが戦後 「生協」 としてどう発展してきたのか、 いまどういう問題を抱えているのか、 事業・運動・組織の側面から検討しています。

学生さんの反応はどうですか?
  さぁ…。 今はどこの大学でも授業評価アンケートというのをやっていますが、 それを見ると、 1844年にロッチデールで何が起こったかというような話をするよりも、 生協で売っているトイレットペーパーを教室に持っていって、 「環境問題を考えているから、 このペーパーは一般的な市販品よりも幅が狭いんだよ。 これでも十分でしょう?」 なんていう話をするほうが“受け”はいいようですね。 でも、 現代の問題だけを取り上げたほうが学生は喜ぶかもしれないけれども、 昔話をやめる気は今のところ全くないんです。

なぜですか?
  格好をつけて言えば、 歴史を知らなければ現代を知ることはできない、 とか、 協同組合の課題を考えるためには原点に戻って考察することが必要だ、 ということになるんでしょうが、 本来は役に立たないことを一所懸命勉強するのが大学ですからね。 誰かがこういう昔話をするっていうのもいいんじゃないでしょうか。

歴史は役に立ちませんか…。
  織田信長に学ぶ経営の極意とか、 不況を克服する徳川家康の精神とか、 臆面もなくアホなことを言う人も世の中にはいますが、 そういう意味では歴史を学んでも全く役に立たないような気がします。 でも、 それがどう役立つかはわからないけれども、 巷に流布する誤りだらけのロッチデール像を正すという意味では、 自分のやっていることも少しは意味があるかと思うのですが。

誤りだらけなんですか?
  このあいだも研究所の女性理事トップセミナーで話したんですが、 各生協のホームページにも、 われわれから見ると時々すごいことが書いてあります。 地名も年もめちゃめちゃだったり…。 まぁ研究発表ではないということで、 細かいことが多少不正確でもしょうがないとは思うんですが、 自分たちのルーツなんですから、 ロッチデールの運動がどういうものだったかという全体像というか精神というか、 それについてはもう少しきちんとした理解があってもいいかなとは思います。

ロッチデールって、 名前はときどき聞くんですが、 よく知らなくて…
  マンチェスターという“イギリスの大阪”と (関西人に) 呼ばれる大都市があるんですが、 その隣町がロッチデールです。 いまは人口20万くらいあるのかな。 結構大きな町ですけれども、 公正先駆者組合 (開拓者組合と訳すこともあります) ができた当時は3万人もいなかったような小都市でした。 ここにできた先駆者組合第1号店の跡が、 現在博物館となっていて、 日本からも生協の関係者がたくさん訪れています。 でも、 名前だけは有名ですけれども、 研究者でもこの町や先駆者組合のことを詳しく調べた人はあまりいなくて、 博物館を訪れておしまい、 ということがほとんどのようです。 そこで私は、 この町にしばらく泊まり込んで、 史料館で先駆者組合の調査をしてみました。

史料館があるのですね。
  日本人は他に誰も行っていないように思いますが、 町の中心部に立派な地方史研究センターがあるのです。 イギリス人はとても歴史好きで、 研究者でもない普通のおばあさん、 おじいさんがここに大勢詰めかけて調べ物をしています。

おばあさんが何を調べているのですか?
  ひとことで言えば、 ご先祖探しです。 古い新聞や地図や名簿を漁って、 自分の父や祖父や曾祖父の名前を探しているのです。 そして家系図を作るというのがイギリス人のあいだで大変なブームになっています。 そうしたおばあさん達と並んで、 私もロッチデールで発行されていた地方新聞をずっと調べていました。 イギリスは新聞が発達した国としても有名ですが、 ロッチデールの小さな町にも、 町の出来事を伝える数種類の地方新聞が存在したのです。 そのなかに生協に関する記事がないか、 19世紀の新聞をひたすら読んでいったというわけです。

それはおもしろそうですね。 大掃除や引っ越しで古い新聞や雑誌が出てくると、 ついつい作業をほったらかしにして読み始めてしまいます。 昔の新聞ってすごく楽しいですよね。
  さぁ、 それはどうだろう…。 これ (図1) が記事の一例ですが…。

なんですか、 これ! 全然読めないんですが。
  何しろ100年以上前の新聞ですから、 印刷も保存状態も悪く、 こんな感じです。 この時代だと、 もちろん紙面に写真などもなく、 見出しもほとんどなくて、 同じ大きさの小さな字がただ並んでいるだけなのです。 だから全部の記事に目を通して、 先駆者組合に関する記述がどこかにないか、 ひたすら目で追っていくのです。

あまり、 というより全然、 おもしろくない作業だと思います…。
  しかも紙の新聞を読めるわけではなくて、 保存のために紙面を写真に撮ったマイクロフィルムを映写機みたいなリーダーにかけて、 その画面で読まなきゃいけません。 これがまた読みにくいのです。 それでも組合に関する記述が出てくると、 とても嬉しくて、 記録のために記事のコピーをとるわけですが、 これが1枚100円以上します。 何しろ不鮮明で拡大しなければ読めたものではありませんから、 ひとつの記事で数枚コピーが必要なこともあり、 あっというまに財布から数千円が飛んでいきます。 ご先祖探しのイギリス人にはこんなにたくさんコピーする人はいませんから、 係の人もあきれていました。

言ってはなんですけど、 オタクの世界を見ているようです。
  そう言われてもしょうがないと思います。 でも私に限らず、 研究者、 大学教員の仕事っていうのはこういうものなのです。 こういう作業をしてオリジナルの資料をたくさん集めた上で、 ようやく本や論文を書くことができるし、 授業や講演をすることもできるのです。

何か新発見はありましたか?
  野口や松井の前に、 実は芸人の一行がロッチデールを訪れていました。

はぁ?
  ロッチデール公正先駆者組合を初めて訪れた日本人は、 土佐藩士・松井周助と会津藩士・野口富蔵だったということがこれまでもわかっていたのですが、 1872年 (明治5年) に彼らがロッチデールを訪問する3年以上前に、 ロッチデールで日本の曲芸師というかサーカスみたいな人達が興行しているのです。 おそらく彼らがロッチデールの地を踏んだ最初の日本人なのではないでしょうか。

甚だどうでもいいような話のように思えますが…。
  まぁそれは調査の副産物なんですが、 このあたりの時代の古新聞を調べていたのは、 ロッチデール公正先駆者組合のライバルとなる組合が、 実は当時ロッチデールに3つも存在した、 ということを追っていたのです。
いわゆる 「競合」 ということですか。
  そうです。 しかもそのうちのひとつは、 先駆者組合の運営方針に反発した組合員が分裂して、 あらたに立ち上げた組合なのです。 倹約組合という名前ですが、 倹約組合と先駆者組合は以後50年以上、 ロッチデールのなかで激しく競い合っていくことになります。 そうした歴史を生協関係者は全くご存じないでしょうし、 研究者のあいだでもほとんど知られていないので、 新聞記事を利用してその詳細を明らかにしてみようと考えたのです。

あのロッチデールが分裂していたとは、 驚きました。 原因は何だったのでしょう?
  調査結果の要約は、 「ロッチデール公正先駆者組合とその“分裂”- 『非営利・協同』 の源流についての一考察」 (『いのちとくらし研究所報』 17号、 2006年11月) としてまとめましたので、 詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、 簡単に今風に言うと、 事業連合に対する意見の違い、 ということになるでしょうか。

コープきんきやコープネットのような事業連合が当時のイギリスにもあったのですか?
  CWSという全国の生協に卸売りをする連合会が産まれたばかりでした。 先駆者組合もここから商品を仕入れることにしたのですが、 それに不満を持つ組合員が出てきたのです。 CWSから仕入れた品は、 よその店で売っている品物よりも高いじゃないか。 もっと安い仕入れ先を探すべきだ、 というのです。 先駆者組合のマネージャーのなかにもそう考える人がいたのですが、 CWS以外から勝手な判断で粗悪な安物を仕入れたとして、 執行部はこのマネージャーを処罰します。 そこでマネージャーを擁護する組合員達は、 彼と共に集団で先駆者組合を脱退し、 新組合を結成しました。

高くてもコープにこだわるか否か、 ですか。
  そのほか、 職員の賃金の問題もありました。 組合の工場で働いている人達の賃金は高すぎるのではないか。 そのせいで組合での売価が一般商店よりも高くなってるんじゃないか、 というのです。 何よりも安さを求めて消費者本位の組合を作りたいという人々は、 CWSを通じての連帯や労働者への配慮を重視する先駆者組合に不満を抱き、 倹約組合を結成したのです。

事業連合も、 価格も、 職員の待遇も、 今まさに日本の生協が抱えている問題ですね。
  150年前のイギリスと現在の日本とでは、 同じような問題でも背景が全く違います。 だから歴史の話をそのまま現代に直結することには賛成できませんけれども、 協同組合として同じような課題を抱えていたということは言えるでしょうね。 歴史から何を学ぶか、 ということを他人に押しつけようとは思いませんが、 自分自身が現代の生協を見るとき、 そうした歴史を学んだことから、 なにがしかの影響を受けているということは確かです。

その後、 2つの組合はどうなったのですか?
  1934年、 長く競合してきた両組合は再びひとつの組合となりました。 歴史的な合併です。 そしてこの組合はさらに近隣の生協と合併を重ね、 最終的に200近くの組合が統合された現在のユナイテッド・コープとなります。 また先ほど出てきたCWSも、 経営不振の生協を次々に吸収し、 現在ではイギリスの生協全体の半分以上のシェアを持つコーペラティブ・グループという生協になりました。 かつて全国で1000もあったイギリスの生協は、 現在では実質的に10にも満たない数にまで集約されているのです。

事業連合の設立や生協法の改正で、 日本の生協もいずれそうなるのでしょうか?
  どうでしょう。 それはわかりませんが、 協同組合運動の“母国”がたどった道を知っておくことも、 今後の日本の生協の進路を考える上で、 全くの無駄ではないように私は感じています。 この春にもまたイギリスに古新聞を読んだりしに行く予定ですけれども、 懐古趣味というだけではないつもりです。 半日も記事を探していると、 目も頭も痛くなってくるから、 英国行きは半分は楽しみだけれども、 半分は憂鬱でもあるんですけどね。
  
プロフィール
杉本 貴志 (すぎもと たかし)
1992年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 1999年より現職、 関西大学商学部助教授。
主な所属学会は、 日本協同組合学会、 ロバアト・オウエン協会、 日本流通学会など。
現在、 当研究所理事、 (財) 生協総合研究所評議員、 協同総合研究所理事など。 主な編著書は、 『新原則時代の協同組合』 (共著、 家の光協会、 1996年)、 『今再び欧米の生協の成功と失敗に学ぶ』 (共著、 コープ出版、 1997年)、 『生協は21世紀に生き残れるのか』 (共著、 大月書店、 2000年) など。