『協う』2006年12月号 エッセイ
母なる湖、琵琶湖への想い
中出 浩
コープしが理事長
日本最大の湖・琵琶湖は約四百万年の歴史を持ち、 世界で三番目に古いといわれる湖であり、 近畿千四百万人の水道水源である。
小生の子どもの頃は、 春になれば魚釣りに、 夏には湖水浴にと琵琶湖が遊び場であった。 暮らしや食生活では、 河川の水で洗濯し、 食器を洗い、 小生の日課は河川の水を湯船に入れることであった。 また、 近くの漁師の行商から購入した湖魚や親父が投網で漁獲した湖魚が食卓をにぎわしたものである。 この様に県民の暮らしと深く関わってきた琵琶湖が近年、 水質悪化等により変貌している。
その原因としては、 日本経済の高度成長と共に、 化学物質が工場や農業、 家庭の排水により琵琶湖に流入したこと。 さらに昔は滋賀県の山々に雪が積もり、 春になれば冷たい雪解け水が湖底に酸素を送り込み浄化作用をしていたのが、 地球温暖化の影響で、 最近では雪が少なくなり、 浄化作用がなくなりつつあると考えられている。
四百万年の歴史がある琵琶湖は約五十年で様相が激変したのである。 四百万年を一日二十四時間に例えれば、 五十年は一秒となり、 まさに現代人によりドラスチックに水質悪化がもたらされたのである。
滋賀県の生協運動の先人達は、 食品の安全はもとより、 琵琶湖の水を守りたいという想いで一九七二年に三つの地域生協を設立した。
一九七七年に琵琶湖に大量発生した赤潮は、 滋賀県民に大きな衝撃を与え、 琵琶湖の富栄養化を食い止める一環として粉石けんの利用運動を県民運動として展開し、 その成果は二年後の 「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」 の制定へと結実したのである。 この条例は、 全国で初めて 「有リン合成洗剤の販売及び使用」 を禁止したもので、 当時他生協からも注目された。
コープしがでは、 滋賀県という地域に深く根ざし、 琵琶湖との関わりを強めたいと言う想いで、 使命記述書には 「コープしがは、 『くらしの安心とぬくもり』 を提供します。 そして、 人のつながりと琵琶湖を大切にする心を育みます」 と謳って、 琵琶湖の三文字を明記している。
掛替えのない琵琶湖を健全な姿で次世代に継承することは、 我々現代人に課せられた責務であり、 協同組合として果たすべき役割だと言う想いを強くしている昨今である。