『協う』2006年10月号 くらし・人・地域・モノ


地域みんなでつくるバス
文責:京都大学大学院経済学研究科 博士後期課程 名和 洋人


 近年、地方自治体の財政難は深刻だ。その影響は、バスなどの地域交通システムの縮小にも及んでいる。こうした中で、地域住民自身が地域交通システムを企画・運営する事例が全国各地で見られるようになってきた。コミュニティバスの登場もその一つである。ただし、その多くは地元の要望を受けた各自治体が判断して実施に移す、というプロセスをとる。今回は、行政の補助を受けずに、市民の手で実現させた「醍醐コミュニティバス」の取り組みを「市民の会」事務局の岩井義男さんと今福久さんにお聞きした。


広がる市民の輪

 京都市は1997年に地下鉄東西線を開業した。しかし、京都市伏見区の醍醐地域は地下鉄の開業と同時に市バス路線を失うことになった。南北に伸びる幹線道路に民間のバス路線(京阪バス)が残ったが、東西方向のバス路線は廃止となり、地形的に傾斜の多い醍醐地域においては、地域住民に予想以上の不利益がでてしまった。特に高齢の方々にとっては、日々の病院への足、買い物の足が奪われる事態となったのである。また、地域内にある世界遺産の醍醐寺を訪れようとする観光客にとっても、大変な不利益となった。
 その後の地域内の交通手段としては、自家用車が残されることになる。しかし、だれもが利用できるわけではないし、醍醐地域の道路事情が芳しくないという事情もあり、地域住民は自分たちだけの手で、まったく新しいバスシステムを実現しようとした。この試みは行政からの財政的な補助が受けられない中でスタートしたのである。
 2001年9月、醍醐地域の10小学校区の自治町内会連合会と、6小学校区の地域女性会が合同で、「醍醐地域にコミュニティバスを走らせる市民の会」(以下、市民の会)を結成した。さっそく市民の会は先行事例の見学や、各種シンポジウム・ワークショップへの参加を繰り返して知識を深める。2002年7月には地域住民200人の参加を得て、市民フォーラムの開催を実現する。醍醐地域の住民の多くは、ここで初めて計画案を知ることになるが、その後、市民の会と地域住民の動きは勢いを増す。市民の会は、運行計画の概要に関してパンフレットを作成して地域内の全戸(約2万世帯)に配布、同時にアンケート調査を実施したのである。地域の関心は高く、高齢者を中心として1000件を超える回答が集まった。ついで、直接、住民の意見を反映するために地域の小学校区ごとに「コミュニティバスを走らせる学区の集い」が開催される。路線原案の提示からバス停位置の決定まで、あらゆる点について、住民から意見の聞き取りが行われた。当初は合意形成も難しく簡単にはまとまらず、こうした「学区の集い」は延べ100回以上開催された。地域は意見集約へ向けて一歩ずつではあるが着実に前進した。
 また、この市民の会には、環境と共生する持続型都市づくりを目指す京都市の行動計画「京のアジェンダ21」(市民・事業者・行政の協働により運営される組織)も調整役として参加し協力した。実は、環境問題は、地域の女性会が積極的に参加するに至った要因でもあった。今回のバスシステムは環境問題の面からも重要な意義を持っていたのだ。
 計画全般の様々な練り上げのために、公共交通問題の専門家として大学教員を迎えているが、これも「京のアジェンダ21」がつなぎ役となっていた。そのほか、今では「醍醐の白い貴婦人」と呼ばれて地元で愛されるようになるバスのデザインをボランティアで担当したのは、市民フォーラムに参加して計画を知った地元醍醐在住の大学教員である。こうして、市民の輪が次第に大きくなっていったのだ。

運行協力金の確保が決め手に
 2002年2月のバス事業に関する規制緩和も一つのきっかけとなった。京都のタクシー会社である彌や栄さか自動車株式会社がバス事業に参入して、株式会社ヤサカバスを設立し、コミュニティバスの実現に向けて、積極的に協力を開始してもらえるようになった。
 ところで、最も重要な運行経費の確保はどうしたのだろうか。運賃収入だけでは、採算はどうしても取れない。市からの財政的な補助も得られなかった。そこで頼りにしたのは、地域の商業施設、病院、福祉施設、幼稚園や保育園、また寺院などであった。名づけて「醍醐コミュニティパートナーズ」からの運行協力金の確保である。これは、バス沿線の企業・施設などを、まちの賑わい創出の恩恵を受ける受益者として捉えた試みとも言えよう。規制緩和でバス事業への参入自由化が各地で進展しつつあるが、こうした事例はほかでは見られないものなのだ。
 まったく新しい資金調達システムを導入した、行政からの支援を受けない全国初のコミュニティバスが、2004年2月16日、京都市伏見区醍醐地域において運行を開始した。4路線で総延長35km、全バス停の数は107ヶ所(現在は109ヶ所)、1日約170便の本格的ネットワークが動き出した。全路線が地下鉄醍醐駅前を経由し、図書館や病院、商業施設など、醍醐地域の核となるような施設へのアクセスが、地域全体から向上するよう路線設定がなされている。バス停間隔を短くして住宅街の中を分け入るように走り、幹線道路中心の既存の民間バス路線を補完できるような工夫をしている。運賃は大人一律200円であるが、全路線で使える一日乗車券を300円で設定し、地域内の回遊性を高める仕掛けも導入した。
 当初は一日500人を目標として運行を開始しているが、これまでの実績はどの程度のものなのか。運行を開始してすでに2年7ヶ月。この間の利用者は延べ68万4784人(2006年9月10日現在)で、一日あたりに換算すると約730人にも達する。当初目標を大きく超えており、利用者は増加傾向にあるとのことだ。

成功への鍵、今後の課題

 こうした活発な利用を支えている原動力はどこにあるのだろうか。
 第一に、地元住民がボランティアスタッフとして活躍していることであろう。市民の会の中心メンバーが、ボランティアで運営を統括している。そのほか、「醍醐の花見」で有名な醍醐寺への観光客がピークを迎える3月下旬から4月上旬には、スムーズなバス利用を促すため、地下鉄醍醐駅や醍醐寺周辺において、地元住民が観光客の案内役を買って出るなどしている。
 第二に、パートナーズの協力と参加、すなわち、新たな資金的支援システムであろう。2004年に24社で出発したパートナーズは、2006年には50社を超えるまでに増加した。こうした成果は、地域住民と地域の各種施設を、バスが緊密に結びつけてきた証である。バスの一日乗車券を提示した場合、割引サービスを受けられる施設も見られるようになってきた。パートナーズの中には、従業員の通勤に自家用車でなく醍醐バスの利用を推奨するといった事例もでてきた。
 第三に、路線の確定からバス停位置の設定まで、バス運行のあらゆる局面において、地域住民の意見が準備過程で実質的に反映されていることだ。これは、決して形式的なものではなく、様々な意見のぶつかり合いの中から、練り上げられてきたものであった。これが、しっかりとした土台となっているからこそ、バスの運行が順調に進むのだろう。
 ただし課題も多いとのことであった。今回、試験的に2006年10月1日より敬老乗車証を発行して、70歳以上の方々の利便性を高めて行く予定とのことであった。また、バスの運行頻度を増やし、路線を新設していくことも今後の大きな課題となっているようである。しかし、これら2点についても、慢性的な財政難に陥っている京都市からの支援は確保できていないのが現状で、まだまだ超えるべき障害は少なくない。また、日曜日のバス利用率が低いほか、壮年男性の利用状況も芳しくないとのことであり、改善を進める必要があるとのこと。さらに、ボランティアスタッフの確保も長期的な課題となっていた。現在のスタッフの主力は60歳以上であり、今後の発展に若手の参加は不可欠だ。
 地域からは「外出の機会が増えた」「図書館が身近になった」との声が聞こえてくる。加えて「バスの中での地域の人との会話が楽しい」といった声もあがっており、コミュニティの活性化にも大きく一役買っている。実際、バスの中ではお客さん同士の挨拶も頻繁だ。ましてや、作り上げた人たち自身が利用者だ。醍醐のコミュニティバスは、その企画から誕生、さらに現在まで、都市コミュニティの一つのカタチだ。
 住民みんなが脚本家で、監督で、また主人公でなければ走らない、醍醐のコミュニティバス。地域の人々の距離は、真の意味で近づきつつあると言えそうだ。