『協う』2006年10月号 特集
対 談:都市コミュニティの再生-小さな単位のまちづくりをつなぐ-
広原 盛明 氏 / 浜岡 政好 氏
今回は、都心回帰してきているといわれる都市やニュータウン(郊外)のコミュニティの実態に迫り、生活機能の再生の姿を捉えたい。そのキーワードを「まちづくり」、「旧住民と新住民の関係性」、「世代間のライフスタイル」、「住む場所≠暮らす場所」などとし、その中で生協がどう関わっていて、これからどんな可能性があるかを考えてみたい。
浜岡 まず私なりの都市コミュニティとのかかわりを話してみたいと思います。この問題に関心をもつきっかけとなったのは、西陣の共同調査に10年ほどかかわり、西陣の織物業の衰退が地域コミュニティに非常に大きな影響を与えるのを目の当たりにしてきた、ということがあります。その後、広原先生も積極的にかかわられた阪神・淡路大震災で、私も仮設住宅調査に参加し、地域の人々とのつながりが寸断されるかたちで高齢者が集積され、超高齢社会が人工的に一挙につくりだされると、どんなに悲惨な状況がつくりだされるかを見てきました。それと同時期に、この「くらしと協同の研究所」から委託を受けて、島根県の生協の組合員調査をしたんですね。そこで、それこそ高齢化率30%、40%というような中山間地域での高齢者のくらしを見ながら、超高齢社会のなかで人びとが安心してくらしつづけられる条件をどうつくることができるのだろうかと、歩きながら考えてきたわけです。
それからこの間、京都市と吹田市の高齢化調査もしてきたのですが、高度経済成長期につくられたニュータウンや新興住宅地で急速な高齢化がすすんでいるんですね。逆に高度経済成長期に空洞化していった都心部では、とくにバブル崩壊以降、都心の再開発が急テンポですすみ、都心に人が戻ってくるという現象が起きています。ここでは旧来の住民のコミュニティと新しいマンション住民とがどう結びつき、新しいコミュニティを形成できるのかということも大きなテーマになっています。
京都という都市には、ちゃんと中心部があり、郊外もあり、中山間地域もありと、いろんな問題がよく見えるところですが、きょうは生協とのかかわりということもありますので、生協が広がってきた郊外の新興住宅地の問題、そして都心部の問題に絞って、そこでくらしていく人びとが本当に安心して住みつづけることができる状況はどうやってできていくのか、そのためには地域コミュニティはどういうかたちで組み換えていく必要があるのか、といったあたりで議論を深めることができたらと思います。それではまず、郊外と都心部が現在どうなっているかを少しまとめてお話しいただけますか。
「まだら状」の人口変動を分析する
広原 いろんなアプローチがありますが、いま一番興味を持ってやっているのが人口分析です。人口変動が地域によってどう変化しているかを分析し、今後どう変化するのか予測するわけです。お話にあったように、1970年代から95年くらいまでは一貫して都心部および都心部をとりまく既成市街地の人口が減って郊外の人口が増えてきています。東京では95年以降、大阪では2000年からこの現象がはっきりと見えてきて、都心部といわれる既成市街地への回帰現象が起こり、初めて大阪市の人口がプラスに転じた、という傾向が出ています。だから今後はこのままの傾向が続くのではないかという見方が一つあります。しかし、都心といってもいろんな性格の都心があり、もう少し小さな単位で人口変動をみると、実は「まだら状」なんですね。大阪で言えば北区とか中央区、天王寺区とかの中心部は増えていますが、大正区や西淀川区などは依然として減少がつづいています。同様に郊外も、勢いは弱くても順調に増えているところもあれば減少を始めたところもあります。非常に多様化してきている、というのが大きな特徴だと思います。ですから今後は、生き残っていく郊外、立ち枯れていく郊外とはっきり分かれていくことになるでしょうし、既成市街地にも同じことがいえると思います。
では、何が違いを規定しているのかということですが、やはり住んでいる場所の居住条件の良し悪しなんですね。一つは交通条件です。車がないと移動できないということではなく、歩いて行ける範囲に公共交通のネットワークがある、ということです。これは非常に決定的で、駅まで遠くても歩いて10分か15分までです。それ以上となるとバーッと人口が減っていっていきます。要するに住民の行動圏、生活圏が非常に縮小している。これは明らかに高齢化の影響ですね。交通に加えてショッピング、医療、教育と、ごく当たり前のものが一定の生活圏内できちんと整備されていて地域を支えているところは、そんなに人も減っていません。
しかし、高度成長期には地価が猛烈に上がりましたから、自分の買える範囲で安い土地を選んだ人たちがたくさんいるわけです。世代的にいえば団塊世代ですね。団塊世代が結婚し子どもが大きくなってマイホームを獲得しようという時期に、市内では買えなかったからみんな郊外に行った。そして遠距離通勤に耐えてきたようなところが、いますごく危ないんですね。安いということは、それなりの条件が欠けているところですから。
一方、公団が開発した団地とか、ニュータウン開発したところはそれなりに基盤整備がされていて、空き家が続出して、空き地に草がはえ、ごみが投棄されるとかの現象はありません。しかし、公的機関が開発したニュータウンなどには別の問題が起きています。それは「一斉入居問題」です。日本のニュータウンや団地は非常に短い期間につくったという特徴があります。高度経済成長以前は日本の就業人口の半分くらいが農民でした。それが高度経済成長の10年、15年で一気に都市部に移動しました。それを受け止めたのは、大多数は民間のスプロール開発で、大阪でいえば寝屋川、守口、門真の木賃アパート、文化住宅、建売住宅です。公的機関としては一定の期間に集中してニュータウンを建設しなければなりませんでした。そういうニュータウンに一斉に入居してきた人たちはほとんど同世代なんですよ。かつて千里ニュータウンに調査に行くと、子どもばかりで老人なんか一人もいなかった。子どもがワッと生まれると保育所を整備して、次は小学校が足りない、次は中学校が足りないというかたちでズーッと来て、子どもが大きくなると、子どもは出て行きますが、大人は引っ越さない。そして、いま高齢者の段階になってきています。これは人為的につくった地域社会なので、つくり方がもろに地域の年齢構成に反映したわけです。
ほとんどの郊外に新陳代謝は起きない
では高齢化した郊外住宅地はどうなるのかという問題です。第二世代、いわゆる団塊ジュニアがそこに入って新陳代謝が起こればいいのですが、これはほとんど期待できません。団塊ジュニア世代はまったく生活スタイルが異なり、居住地の立地選択傾向が違います。要するに「親父のようにあんな遠距離通勤するのはバカだ。自分たちはもっと便利なところに住みたい」と思っていて、非常にはっきりした意見を持っています。東京でかなり早くから都心回帰が起こったのは これは少し不正確な表現で、実は「回帰」というより「出て行かなくなった」んです。江東区や葛飾区、江戸川区あたりの工場跡地に出てきた巨大マンション群に入った人たちがそうです。親の家から独立しても今までのように郊外に出て行かないから都心の人口が増え始めたんです。ですから郊外の住宅団地が新しい世代に受け継がれるということは全体として非常に難しいと思います。もちろん、非常に条件のいいところは別ですし、若い人たちの間でも自然派志向とかありますが、それは5%とか10%であり、残りの大多数は便利なところを志向しています。
この背景には、女性が働くということを前提にして自分の住むところを決める時代になっている、ということがあります。団塊世代の女性たちの多くは専業主婦にならざるを得ませんでした。彼女らはダンナを遠い駅まで送り迎えするとか、夜遅くまでダンナが帰るのを待つことに耐えられる世代でしたが、いまの女性たちはそんなことは考えません。働きながら自分たちの生活設計をする。そしたら、とても郊外なんて行けません。便利なところに住まざるを得ないんですね。
そんなことで高度経済成長期にワーッと郊外に出て行った世代とそれを支えたライフスタイル、性別役割分担に基づく家族構成という条件が全部消えていって、新しいステージに入っている。それが郊外に起っている大きな変化だと思います。
希望のもてる「うつぼ型住宅」
一方、都心と既成市街地はどうなるかという問題ですが、これはわれわれの間でも意見が分かれていて、「いまの都心マンションなんて、みんな5年もしたら出て行くだろう」という意見がかなり強く、私もそう思います。あんな巨大な建物で毎日下界を眺めているだけの生活なんて私たちには考えられません。震災の後の長田区で、私たちはものすごく批判してきたのですが、神戸市は下町型の開発ではなく高層ビルを中心とする街をつくりました。高齢者が高層アパートに入れられたら、もう外に出なくなるんです。高層アパートというのは高齢化時代には全然だめな建物です。京都のように道の両側に町があって、道路がコミュニティ空間でお互いの人間関係を結びながら住んでいるかたちでないと、高齢者は生きていけないんです。高いところに上げられて、鉄のドアで区切られたら高齢者は孤立するしかありません。
ですから都心の高層アパートに入ってきて、ある時期、人口が増えるような現象はあっても長続きするかどうかは分かりません。いま東京、大阪で都心に帰って来ている人たちはリッチなシニア層とシングルキャリアウーマンです。やはりファミリー層が帰ってこないとコミュニティは再生しません。ただ、その横で中小零細業者が建てている小さな建売住宅、これはけっこう売れています。1階に車を入れて2階、3階にファミリーで住んでいるパターンです。
浜岡 京都にもたくさんありますね。
広原 あれ、自動車が入りきらなくて、ちょっと顔が出ているので「うつぼ型住宅」とかいっています(笑)。見た目は悪くても、住民の構成からみたら、はるかにノーマルで、そこに希望があると私は思っています。問題は、そういう市街地のイメージを明確にして、ファミリー層が住めて、子どもたちがちゃんと育っていくところにしていくという都市政策を、大都市の自治体が持っているか、です。相変わらず高度成長期のスクラップ&ビルドでオープンスペース・ハイタワーという都市イメージでやっています。
高齢化を考えもしなかった郊外の住宅地
浜岡 郊外ですすむ高齢化問題で少し議論してみたいと思うのですが、吹田市の高齢者調査で見えてきたのは、やはり先ほどの「一斉入居問題」があって、千里ニュータウンは一番の高齢者地域になっているんですね。それから都市の仕掛け自体が必ずしも高齢を前提にしていなかったと思います。エレベーターのない建物がワーッと建っていて、上層階の足腰の弱ったお年よりが福祉サービスを利用する時、職員がおぶって往復するという状況です。住宅地としての空間は比較的整備されているので住みつづけるのですが、若い人たちがそこで親と同居しながら、ということにはなりにくい。結局、子どもたちは出て行き、親世代が取り残されています。そもそも日本の一斉入居型の郊外住宅地は、ほとんど子育て期のイメージでつくられていますね。
広原 はい、“若鶏とひよこだけのまちづくり”といわれていました(笑)。
浜岡 たいてい南向けの丘陵地の雛壇造成で、太陽がさんさんとあたるすごくいいイメージで入居するのですが、あっという間に子どもはいなくなって、雛壇造成地の坂道のような不便さがあらわになります。買い物は不便、医者に行くのも不便、公共交通も整備されていない…と。そして高齢者が取り残されている。一部の余力のある層には、便利な都心に帰るという選択肢もありますが、多くは郊外にとどまるしかない。ですから、郊外はかなりシビアで、よほどうまくサポートしていかないと大変な状況になると感じています。いったい郊外はどんな工夫をすれば住みつづけることが可能になるのでしょう。
広原 これからの10年くらいが次を決めるものすごく重要な10年になると思うんです。これから団塊世代が定年退職し地域に帰ってきますね。彼らが75歳くらいになるまでの10年プラスアルファの時間に、自分の住んでいる地域をどんな地域社会にするか、どんなふうに環境整備するのか、そこに主体的に参加するかどうかが将来を決めるんじゃないかと思います。条件がいいところならいいのですが、たとえば兵庫県の三木市にはたくさんの団地があるのですが、あそこをつないでいるのは、神戸電鉄だけです。そんなところで団地自治会のリーダーたちがいま「自分たちが元気なうちに住みつづけられる条件をどうつくるかがカギだ。それができなかったらザーッと廃れていく」と頑張っています。ところが、団地自治会がいくら頑張ってもやれることは知れているわけで、行政はもちろん民間や非営利組織、専門機関などが手を結びあって、「住みつづけられるようにするためにどうやっていくのか」をサポートすることが必要です。ところが、こうした組織のネットワーキングという発想は1ランクも2ランクも上の発想なので、自治体も民間もそんなこと考えたこともなかった、というのが実態です。
公営住宅や公団住宅などの公的な団地の場合は、何といっても自治体や公団に責任もありますし、予算もスタッフもありますから、いろんな対応が始まっています。同じ兵庫でいうと、明石と神戸の間にある明舞団地でやはり高齢化がすすみ空き家が出始めたのですが、兵庫県が家賃補助などをつくって住民を呼び戻すとか、狭い住宅を二つ三つをくっつけるとか、いろんな支援をしています。
地域コミュニティを支えるのは強い思いと人間関係
浜岡 島根県の過疎の中山間地域を回って感じたことなんですが、高齢化率40%以上とかで大変なんですが、それこそ縄文の時代から住みつづけたという地域への愛着、強い思いがあって、それが地域を支えているんですね。そこで人為的につくった郊外の都市は利便性が低くなると、そこに住みつづけるという意欲をいかに新しくつくっていくか、ということが新しいテーマになるのではと思っています。
広原 実は京都の西陣や東山で地域を支えているのも人間関係の密度や継続性なんですね。東山で地域の人たちの話を聞くと、ほとんどが小学校の同級生なんですよ。あまり外に出て行かずに、家業を継いでいる。もちろん家業で食っていけないという問題はありますが、地域で小学校以来積み上げてきた人間関係があって、いろんな面で支え合っています。これは団地では見られない現象ですね。地方から大都市に来た人は、民間の住宅に住んでいる場合は何回も移動しています。その間に人間関係を形成する暇などありません。困ったときの手助けというのは日常的なつきあいとは別の人間関係です。自分を犠牲にしないと助け合えませんから。そういう東山のような濃密な人間関係で支えていくというのはやはり特殊で、郊外では何らかのサポートがない限り、自分たちで支え合っていくことはできないと思っています。
浜岡 京都の特殊性というお話がありましたが、やはり生活産業型で、職人としてそこで働きくらし続けるという産業の仕組みがあったと思います。しかし特に80年代以降、西陣などが顕著ですが、産業が衰退するなかで崩れてきます。京都のコミュニティを支えてきた層がだんだんうすくなり、他都市と同様、勤労者型の層があつくなってくると京都のコミュニティは再生できるのか、という問題がありますね。といっても、京都の歴史性というか地域への誇りは強いものがあって、うちの学生でもあまり京都を離れたがらない(笑)。東京に就職するとかしないんですね。
広原 そのとおりです(笑)。
浜岡 これが「京都に住み続ける」という誇りかなと思いますし、それを可能にする条件がまだ京都にあるということだと思います。しかし、都市の郊外で、そこに住む理由が強くないところで、どう最後まで住み続けるものをつくっていけるのか、今後10年間に団塊世代が地域コミュニティにどう加わっていくかが本当にポイントになりそうですね。
広原 文字通り、本来の「生活協同組合」をつくらないとだめなんじゃないかと思いますね。できるかどうかわかりませんが、「まちづくり生協」のようなかたちで購買生協だけでなく、医療生協とかのネットワークで、そこに住みつづけることを基本的に支えるサービスを、公的サービスを含め非営利で供給していく。それを通して人間関係ができないままに消えていく人たちを結びつけるようなかたちをつくらないと、もたないでしょう。
自治体もNPOも民間も地域のコミュニティも真剣になって「どうしていこう」と話し合い、それを何らかの制度的なものにつなげていくような場をつくる。しかしそれを誰が呼びかけて、どうつくっていくかが大問題です。とにかく、こういうことをやっていかないと条件の悪い郊外はもたないと思います。
浜岡 本来の「生活協同組合」というお話がありましたが、高度成長のスタート時点で郊外に新しく流入してきた人たちは、何も環境整備されていないなかで、必死になって自治会をつくり、生協をつくったりといろんなことをしてきたんですね。そういうことをもう一回、高齢ステージという新しいステージに入った段階で住民自身がつくっていく、ということが必要になっていると思います。
広原 仕切り直しですね。あらゆる組織が仕切り直す必要があります。
「住む」から「職・住・遊・学」のあるまちに
浜岡 先生はニュータウンでも抜本的な転換をおっしゃっていますね。
広原 これまでのニュータウンは高度経済成長期の理想的な環境をイメージしてきました、フィジカルな面でもライフスタイルの面でも。一定の収入があって、若くて美しい奥さんがいて、家族を守り、幸せなマイホームを営める空間 これがニュータウンです。そこではマイホーム以外の要素を全部排除したわけです。だから「働き場所」なんて設定はありません。「お店」も計画的につくって、それ以外は住宅地に入れません。まさに住居専用地域で、店舗などの併用住宅を認めない、住むだけの場所です。この枠組みのままでは、もう住みつづけられないんですね。だから共働きの若い世帯がお互いに交流したり、そこで子育てをしたり、また子育て中でも気軽に働ける場を設けたりするなど、多様な機能をもったコミュニティ空間につくり変えていくことが必要です。団地の構成にしても、センター方式をやめて、住宅地で店を開いたらいいんです。みんな子どもも出て行って家はガラ空きなんだから、タコ焼き屋をやったらいいんです。団塊世代が地域に帰ってきて、ちょっとした「工房」とか「アトリエ」をしようと思ったら、用途地域をかなり見直さなければいけません。性風俗店とか来たら困りますが、近くにあったほうが便利なお店はいっぱいありますよね。
浜岡 歩いて行ける範囲にほしいお店はいっぱいありますからね。それから公共交通の問題で、醍醐でコミュニティバスが走り始めました。生活圏が縮んでいく高齢社会ではモータリーゼーションに依存できない人たちにとって公共交通は決定的ですが 。
広原 醍醐地域は地下鉄ができて市バス路線が全部整理されてしまい、交通過疎地になってしまったんですね。住民の側にはものすごい不満がありました。住民の「何とかしなければ」という強い思いが、優秀なオルガナイザーを得て、あらゆることを調査し、組織して、採算も含めて具体的にしていき、コミュニティバスに結びついたと思っています。
浜岡 実は東京都武蔵野市のムーバスをつくるのに私の友人がかかわったので、いろいろと話を聞いていたのですが、京都市にも呼ばれて来たことがあったようです。ところが「うちは市バスがきちっと走っているから参考にならん」とかいわれたらしい(笑)。行政がそんな対応のなか、住民がイニシアチブをとってやっているのは少ないし、大きな成果だと友人はいってました。
広原 京都市は都市の拡大開発は限界だとして、コンパクトシティ(市街地の規模を小さく保ち、歩いてゆける範囲を生活圏ととらえ、住みやすいまち)をいい出し、どう市街地を縮小するかで頭を悩ましています。で、縮小した市街地で何とか公共交通のネットワークをやりましょうと 。ですから郊外の交通をどうするかなんて考えられないでしょうね。そして、次の段階では郊外地の再編計画が出てくると思います。
浜岡 すでに中山間地域へ行くと、集落再編というかたちで出てます。集落が小さくなりすぎて社会的サポートが大変になり、集落を再編成しながら人が住みつづけられる条件をどうつくっていくのかと苦心しています。
広原 新潟の山古志村も大問題になっています。あそこには元の村に半分も帰らないんじゃないでしょうか。町の便利な生活に慣れ、子どもは学校の仲間ができてというなかで、若い人たちはもう帰れません。すると帰るのは老人たちばかりで、これでは集落が成り立たないから、どう集落を再編し、帰る人を受けとめていくかが一番の問題になっています。
都市の未来は明るい!?
浜岡 次に、都心の問題に議論をすすめたいと思います。京都を見てみますと、中京と下京の人口は、2000年から2005年の国勢調査の間に急増しています。大阪とは少し異なるのかなと思いますが、学校も生徒数が増えていて、京都は比較的ファミリー層が都心部のマンションに入っているようです。中京の西の方を見ると、民間の10戸とか20戸の再開発がすすみ、3階建て木造住宅がダーッと建ってきています。それからマンション調査をして分かったことですが、賃貸から3分の1くらい、持家から3分の1くらいが移ってきています。あと15%くらいが分譲マンションの買い換えでした。
そうして新しく入ってきた比較的若い人たちと、元からいる高齢化した人たちがどう混じっていくのか、どう新しいコミュニティとして共通のものをつくっていのか、という課題が出てきています。ことし3月に中京区でシンポジウムをやったのですが、いろんな努力は見られても、なかなか難しいようです。そのなかでは「防災」というキーワードなら2つの層がうまくつながるんじゃないか、という話も出ています。京都の都心部はちょっと特殊な面があると思いますが、中心部の現象をどうご覧になっていますか?
広原 欧米の大都市の中心部で経済と社会、環境の三位一体の衰退がおこり、これがインナーシティ問題(都市の内部にありながらも、低所得世帯が密集する住宅地域で生じる様々な問題)といわれました。私は日本でも起こるんじゃないかと思ったのですが、そこまではいかなかった。既成市街地は空洞化は起きましたが、基本的に解体には至りませんでした。ですから私は既成市街地については郊外ほどに悲観はしていないんです。元々、公共交通インフラにしても整備されているところですから、民間企業にしろ行政施策にしろ既成市街地の整備、リニューアルというところに投資がすすむなら、むしろ良好な環境ができていくんじゃないかと思っています。
ただ現在はディベロッパーにとって一番もうかるタワーマンションが先行しています。一方で、3階建てのミニ開発もすすんでいて、これはニーズに合っています。このあたり、もう少しゆとりをもって、小さなポケットパーク(公園や休けい所)をつくっていくとか、通学路を整備していくとか、小さな単位でのまちづくりをやっていけば、すごくいいんじゃないかと思っています。
東山は京都で一番高齢化がすすみ30%近いし、道は細くて曲がりくねっている。しかし曲がりくねった道は自動車を前提にすれば不便でも、歩くことを前提にすれば、あれほど魅力ある道はありません。おじいちゃん、おばあちゃんが安心して歩き、子どもの通学路となる道です。要所要所にはお店や休むところがあって、小さな町のサイズでやっていく。あるいはおじいちゃん、おばあちゃんの住む長屋を少し改造して女子学生の下宿にしたらいい。町家で下宿したいという学生はけっこういますからね。そういうイメージで東山を見れば、とってもいいまちなんです。高度成長型の近代的再開発を強行したらめちゃくちゃになります。ですから、いまマンションが建っているところは一番あぶないですね。とはいえ、京都はやっぱり特殊でして、都心部に居住環境がまだ残っているんですね。大阪の丼どぶ池いけにマンションが建っていますが、ここにはもう学校もなければスーパーもありません。だから住めないんです。京都はそれが残っていますから住めます。むしろわが子を御所南小学校に入れたいという人はいっぱいいます。
浜岡 地域の商店でくらしている人たちに聞くと「あれはわれわれの学校だ」という意識が強いんですね。子どもが通っていなくても学校を支えるために力を貸しています。ああいうところは京都のすごいところですね。
小さな単位のまちづくりをつないでモザイク型へ
浜岡 都心部にもう一回人が帰ってくるとしたら、従来型ではなく新しい住まい方とか人とのつながり方とか、それを支える仕掛けが必要になるんでしょうね。
広原 そのまちの性格に合った、まちの文脈に沿ったまちづくりですね。中京型あり東山型、西陣型、吉田型ありで、地域にあった作法で環境整備をしていく。実はそれをやる担い手は育っているんです。私らの周りの建築家やまちづくりコンサルタントはそういうことをやりたくて仕方ない。まちの文脈、水脈を発見して、それにふさわしいまちをつくっていく。まちの伝統とか風景とか個性、アイデンティティを活かすまちづくり、ですね。
浜岡 「まだら状」という話がありましたが、むしろ画一的、一斉型が壊れ、壊れたなりにできてきたものをうまくサポートするような、小さなところのもつ良さ、条件を活かした住まい方とかまちづくりがテーマになるわけですね。
広原 「モザイク型のまちづくり」といってもいいと思います。大マスタープランがあり、居住地域、商業地域、工業地域と分けてバーッとやっていくのは昔のやり方です。いまはすでにあるまちをどう維持し住みつづけられるようにするかということですから、そこには仕事もあるし、遊びも、学びも、助け合いもあります。そういう住みつづけるにふさわしい人間関係とまちづくりのやり方を発見し、10戸でも20戸でもいいからつくる。そうやってできた小さなまちをつないでいったらいいんです。
生協の金の卵は人間関係の蓄積
浜岡 さきほど「まちづくり生協」というお話もありましたが、実は山形県に庄内まちづくり協同組合というのができていて、購買生協や医療生協、農業協同組合などがうまくつながりながら、超高齢社会がすすむ地方都市でどうやって最期までくらしを支えるか、という試みをすすめています。とくに「住」の問題ですね。一人暮らしになっていまのところでは住みつづけられなくなったとき、グループホームというのは高くて、国民年金の水準では入りにくいんですね。そのなかで国民年金でくらせるケア的な施設を実現しようとやり始めています。これ、たとえば給食を地場の農産物を使うとかで、最終的には地域の産業と仕事おこしにもつながっていくんですね。こんなかたちで高齢者の不安を解消するような仕組みを、協同組合のネットワークを強めながら模索しています。
ひるがえって京都を見渡して、たとえば西陣のまちづくりなどの話をうかがうと、伝統的な地縁集団とNPOなどの機能集団がうまくつながりにくい、という課題が見えてきています。そのあたりで生協なんかが地縁集団と連携しながらうまく生活を支えていければいいなあと思っていて、そのへんが生協の大きなテーマになると思っています。
広原 まちづくりというと、具体的要求をかかげ、どう実現するかという、ある意味でフィジカルな環境形成にウエイトがかかってきましたが、地域社会をつくるプラットフォームをどうつくるかが大事なんです。そこには伝統的自治会もくるしNPOも生協もくる、というものを最初のステージでつくり、そこで合意を得たものから少しずつ実行に移していくというようなかたちですね。まちづくりというのは一定の年月のなかでバランスのとれた地域社会をつくっていけばいいのであって、一番重要なのは、そこに住む人たちのヒューマンネットワークをつくれるかどうか、ということなんですね。いまの若い人たちは、かつてのような「ここは途中下車駅」が少なくなり、「ここが良かったらズーッと住んでもいいね」という定住型に変わっています。若い人たちが興味をひくようなまちづくりのプラットフォームを用意し、このまちをいいところに育てていくような提起をすれば、「ここに住んで、こんな人たちと付き合えたらうれしい」となります。そういう場をうまく演出することが大切だと思います。
浜岡 生協でもこれまで何十年かでつくってきた関係性の資産というかソーシャルキャピタルが地域に蓄積されていると思うんですね。それをもう一回うまく活かすようなことができたらと思います。
広原 それこそが財産です。宅配をやろうとしてもコンビニに負けます(笑)。金の卵は人間関係の蓄積です。そこで勝負しないといけないんじゃないかと思いますね。
浜岡 地域に蓄積された関係性の資産ということでは、組合員組織としての共同購入の班をはじめ、多数の活動体がありますね。班は生協の運営や活動の基礎組織として位置づけられてきましたが、高齢化の進んだ地域などでは暮らしの基礎組織でもあるのです。島根県の超高齢地域では 班のつながりが地域の高齢者の生きることへの支えともなっています。最近では、長崎のララコープの「ララパーティ」のように多くの生協で班を活かしながら、組合員以外の地域の人々とのコミュニケーションの場づくりも盛んに行われています。また生協しまねで広がってきている「おたがいさま」活動は組合員をベースにしながらも地域に開かれた活動を展開し地域から大きな支持を得ています。
このように時間をかけてつくられてきた地域における生協の関係性の資産、信頼の資産は、生協の内部資産として活かすだけではなく、地域社会に開かれた公共的資産として積極的に活かすことが求められていると思います。都市社会においては伝統的な地縁型関係性が希薄なだけに、生協などの関係性の資産による補完がいっそう重要性をもっていますね。この点では、先に小さな単位のまちづくりをつなぐという話がありましたが、これからの都市の超高齢社会化に向かって、そうした小さな単位のまちづくり(例えば、小中学校区レベル)に生協や組合員の組織が積極的に発言し、かかわっていくこと、そして地域で活動するさまざまな団体・組織・個人とのつながりを強めることが必要なのではないでしょうか。
<プロフィール>
原盛明:龍谷大学法学部教授。専門分野:都市政策学・まちづくり論、都市計画・建築計画。主な著書:『現代のまちづくりと地域社会の変革』(共著・学芸出版社)、『開発主義神戸の思想と経営』(編著・ミネルヴァ書房)など
浜岡政好:佛教大学社会学部教授、当研究所常任理事。専門分野:社会学(高齢化社会における社会政策に関する研究)。主な著書:『新・人間性の危機と再生』(法律文化社)、『戦後社会福祉対策の生成』(かもがわ出版)