『協う』2006年8月号 エッセイ

消費社会に身を置いて
~学生はその矛盾を感じている~


京都橘学園生協理事長
小暮 宣雄



 ある大学生の話。
 学生は、洋服屋でアルバイトを始めた。通勤帰りの女性たちが普段着のバリエーションを増やすためにやってくる、郊外の駅前チェーン店。意外と来客の多い夜の数時間が彼女の勤務タイムだった。前はスーパーのレジ打ちをしたが、空しくてやめた。今度の仕事はやりがいがあり、職場に生きたコミュニケーションがどんなに必要であるかを痛感した。学生が高校生の頃、どんなパーツの組み合わせがいいのかをアドバイスしてもらっていたお店での体験が役立った。
 売上げが給料に関係する他のスタッフは、自分ほど、「のほほん!」としているわけではないとは感じていたが、職場環境もよくて気持ちのいい数ヶ月が過ぎた。OLの常連さんたちのほか、土曜日など、自分よりも少し年下の高校生がやって来て初めて制服以外の私服を探したりする。そういうファッションとの「お付き合い事始め」になる貴重な時間のお手伝いをすることは、売上げを伸ばすことと同じぐらいに大切なことだと、少なくともアルバイトの自分は感じていた。
 そんなある日。常連のOLがやってきた。昼間かなりのストレスになる事件があったようで、そんな会話を店の人としている。そして、目を疑ったのは、そのあとの購買行為だった。明らかに、それはこの前買われた洋服と類似している。それだったら、もっと違うパーツを、あるいは、新製品が入った後まで待たれては…。口に出していいたかったが、いえなかった。そのお客さんが大きな袋を持って帰ったとき、目の周りが「うるうる」してきた。泣いてはいけない、笑顔!と心で思うのだが、涙が溢れてしまう。仕方がないのよ。消費社会だから。店長も優しく慰めてくれる。でも、涙が止まらない。
 その次の日、この素敵な職場をやめることにした。本当の理由は言えなかった。いや、言おうとしたがわかってもらえそうにないからやめた。
 学生たちの中でも、アルバイトをしていて大学に来られないということがある。だが、こういう経験をして時代の矛盾を体で知っているのかも知れない。だから、ゼミで学生が集まらない時などは、この学生の話を思っては、仕方がないとつぶやいてみたりする。