『協う』2006年6月号 視角
現場から「障害者自立支援法」を問う
西村 直
障害者自立支援法が2006年4月1日からスタートした。子どもを育てながら作業所に通って来る軽度の知的障害をもつ女性の利用者から「もう作業所来れへんわ」と訴えがあった。市役所に駆け込んで当面の手だてをうって、何とか通い続けている。父子家庭で必死に自閉症の子を支えているお父ちゃんから「もう家に置いとこうと思っている」と連絡が入ったが、「もうちょっと一緒に考えましょう」と引き留めている。私が所属する作業所での出来事だ。「自立」を「支援」するどころか、20数年間かけてみんなで築いてきた働く場であり、生き甲斐の場である作業所を自ら去らなければならない事態が、障害者「自立支援」法の施行前後に激増している。厚生労働省は「これも立派な自己選択」と言うのだろうか。
今回の法律の主要点は、一連の「小泉改革」路線のいわば「障害者版」ともいえる。2003年から始まった支援費制度を見直し、行政の役割、施設体系、経費負担の考え方と負担の仕組み等を根本から改変するものである。法律提案の前提には、障害保健福祉施策と介護保険制度との統合があり、「財政論」からの導入であるとの批判を裏付けるように、上記のような退所やサービスの手控えという事態が全国各地で噴出している。
なぜこのような事態が生じるのか?その答えは障害者自立支援法の成立までの足跡の中にある。財政面から是が非でも成立させたい厚生労働省に対して、障害当事者を中心とした関係者による改善を求める声の高まりの前に、その度に廃案と再提案が繰り返されるという異例な審議となったこと。十分な実態把握もせず、支援費制度の政策的評価を新法提案の裏付けにすることもなく、経費縮減幅に見合う制度をあてがったとしか思えない。これらが歪みとなって、4月施行後も制度の内容や利用料等を市町村行政が十分に説明できないという大混乱が生じている。
一方で障害者自立支援法が、今日障害保健福祉が抱えるいくつかの課題に着手したことは確かである。①身体、知的、精神の3障害を法体系のなかに同等に位置づけたこと。②複雑化した施設体系を機能に応じて再編成し、その中で小規模作業所の法内移行策を盛り込んだこと。③形の上では「義務的経費」としての国の財政責任を明らかにしたこと、等である。
しかし、これらの積極面が制度として効力を発揮していくためには、政策上の基盤づくりが不可欠である。結論から言えば、障害者自立支援法は、今日の障害者の生活実態や社会参加の現状を改善し、真のノーマライゼーションを進めていくにはあまりに不備が多く「再考」を求めざるを得ない。その欠陥要因の1つは、「施設から地域への移行」と言いながら、地域で支える社会資源の基盤整備の見通しがないこと。2つは、障害のある人の「自立」の姿を「就労」を頂点とするランク付けを行ない、就労移行の実績によって加算と減算を付加する仕組みを導入するなど、施設運営に成果主義を持ち込んだこと。3つは、年金額みなおし等による障害者の所得保障の見通しを示めすことなく、逆に同居家族の所得からの利用料徴収の根拠となる「扶養義務制度」はそのままにしたこと。4つは、何よりも、これら政策上の改善の見込みがないまま、利用料の1割負担を利用者に求める応益負担制度を導入したことである。
私たちは今日まで、障害のある人たちの「一人の人間として、あたりまえに働き、暮らしたい」という願いに応える活動を事業の基本として取り組んできた。そこでは障害の種類や程度に関わりなく、一人ひとりのその人らしい生きる姿、自己実現をめざしてきた。その人が達成感や充実感を得て、次への意欲と自信を育んでいく環境づくりでもあった。個々人の自己実現に見合った支援の仕組みを、社会的責任として整えていく営みであった。障害者自立支援法は、これら長年の実践で築いてきた障害者観、施設観、福祉労働観を否定し崩してしまう内容と言わざるをえない。
しかし、法律は施行された。自治体行政も含めて、今日まで繋ぎあってきた当事者、家族、団体、地域は、互いに手を決して離さず、もう一度強く握りあって制度改革に取り組む必要がある。
にしむら ただし
かめおか作業所 施設長