『協う』2006年6月号 エッセイ

生協は運動か、事業か

荻野 俊夫
姫路医療生協理事長


 先日、元高校教師の患者さんから、こんな質問を受けた。「医療生協は運動体ですか、事業体ですか」。このような二者択一の質問はめずらしい。私は躊躇することなく「事業体です」と答えてしまった。労働組合の活動家であった元教師は運動体の方を期待していたようで、納得できないという面持ちであった。やはり無難に「事業体でもあり、運動体でもある」と答えるべきであったのかと思ったりもした。
 かなり昔のことであるが、この道の先輩から「それは運動体である。しかし事業経営をやっている点で労働組合運動や市民運動とは違う性格をもつ」という話を聞いたことがある。これは運動体としての説明である。そう言えば日本生協連の月刊誌は『生協運動』であったし、医療部会も『医療生協運動』を発行していた。しっかりと「運動」という文言が付けてあった。七、八年前のことであろうか、西洋風の洒落た名称に変更され、「運動」の文言は消えた。
 生協関係の文書からも「運動」という文言がほとんどなくなっているような気がする。これは生協をめぐる社会経済環境の変化や生協の事業経営上の課題と関係しているように思われる。
 研究所の先生方からは、生協の「使命」や「役割」、そして「生協の目的はなにか」などの発言が盛んである。「運動」とは、目的を達成するために多方面に働きかけて活動することである。「使命」や「役割」も「目的」と不可分の関係にある。私には、これらが運動体としての生協への期待の声と感じられるのである。
 私が「事業体です」と答えたのは勿論理由がある。事業経営が成立しなければ、生協そのものが存在し得ないことは自明である。事業経営(企業)の目的は、状況の変化に的確に対応し、顧客を増やすことであると考える。これは簡単なことではない。生協事業への鋭い洞察力とすぐれた先見性が求められる。運動体としての生協への期待は、生協のあり方を問いかけるものである。しかし、間違った期待は事業体の脇を甘くし、落とし穴をつくる可能性もあると思われる。