『協う』2006年6月号 書評2


二宮 厚美 著
発達保障と教育・福祉労働 -コミュニケーション労働の視点から-


松本 仁
生活協同組合コープえひめ福祉事業部長


 介護保険「改正」により、利用者・事業者とも、大きな困難と不安に直面している。特に軽介護度の人は、サービス受給量を確実に減らされ、暮らし方の変更を余儀なくされている。また真面目な在宅介護事業者であればあるほど、事業収入の大幅減少に打撃を受けつつ、懸命に働くヘルパーの労働時間減、収入減に心を痛めざるを得ない。さらに、暮らしの中で福祉そのものが危機的な状況にあることは、事件報道される子どもたちや高齢者の状況を見れば明らかである。
 こんな状況だからこそ、「生協らしい福祉とは何か」ということがあらためて問われる。生協の理念はさまざまに語られるが、地域住民の協同の力で貧困や不正を排除し、公正と健康、幸福の実現をめざすことがその本質であろう。今の状況を踏まえ、この本質に照らして、私たちの事業が何を目指し、どのように進むのかを点検する必要がある。そうした点検の一つの切り口として、著者の「コミュニケーション労働」の視点を受け止める。
 著者は、「発達」「発達保障」「発達保障労働」について順次考察を進めていくが、この三つを結びつけるものが、コミュニケーション概念である。コミュニケーションとは、もっとも抽象的には「相互了解・合意を言語的・非言語的な形態で実現すること」であるが、そもそも人間が成長・発達するのは社会に対するコミュニケーションを媒介としてであり、従って人間を相手にした発達保障労働はコミュニケーション労働と定義づけられる。
 我々の福祉サービスの現場は、まさにこうしたコミュニケーション的関係によってこそ成り立っているのだが、著者は「新自由主義的構造改革」における〈「契約型利用方式→利用者本位主義→受益者負担主義」〉という構造の持つコミュニケーション破壊「機能」を指摘し、そこに発達保障労働を破壊する根拠を見る。
 利用者とヘルパーがつくる「世界」では、コミュニケーション的関係のもとで利用者の「発達」とヘルパーの「発達保障労働を通じた発達」が同時進行するが、そうした場が豊かに成立してこそ、市場主義的サービスの質を超えた、介護福祉の実質が確立すると言える。
 生協の福祉の取り組みは、こうした場の意味を深く捉えることをあらためて課題としなければならない。この認識いかんで、事業者としての軸足が揺らぎかねないからである。次いで、場の成立をより豊かに保障するために必要な諸条件の整備が、そしてそれを可能とする事業者としての力量の形成が、鋭く問われてくるのであろう。