『協う』2006年6月号 投稿
福祉の共同性と協同組合の福祉事業
佛教大学社会福祉学部 鈴木 勉
はじめに
筆者が協同組合の福祉活動や福祉事業に関心をもち始めたのは、1990年からです。当時は広島の大学で福祉政策を研究していましたが、その年、生協ひろしまから福祉ビジョンの策定に協力を求められ、以来、同生協の助け合い活動や県下各地で開催された福祉学習運動に協力し、さらには介護保険に先立って実施した組合員による自主的介護事業の立ち上げと運営に参加するなど、得がたい体験の機会が与えられました。
また、それ以前から障害者共同作業所の運営にも関与しており、生協運動にかかわるなかで、生協と共同作業所に共通する要素には、構成員の自立と社会参加を協同の力で実現しようという指向性にあると感じ、両者の共同イベントや事業提携の発展に微力ながら協力していました。
こうした実践に関わる一方、欧州諸国の「社会的経済」、とくにイタリアの社会的協同組合(同法の制定は1991年)を知り、先学たちの業績を読み始めるとともに、社会的協同組合の形成過程や事業運営の実際を知りたいと考え、調査に出掛けるようになりました。
以下では、そうした知見をふまえて、福祉を単なる現金給付や福祉サービスの体系として理解するのではなく、それらを通して人々の潜在能力の全面的な発達を引き出すものとして捉える立場から、人間発達にふさわしい福祉システムを構築するうえで協同組合運動が果たすべき課題を述べてみたいと思います。
潜在能力の発達としての福祉
介護保険制度の導入によって、福祉サービスが定型化されたパッケージ商品のように扱われていますが、果たしてそれを消費(利用)することで福祉は実現するのでしょうか。改めて福祉とは何かが問われているように思われます。
福祉評価の基準を「潜在能力の発達」に求めたのは、インド出身の福祉経済学者のアマルティア・センでした。センは福祉(well-being)の指標を、財や所得の大きさではなく、そしてまた満足度の高さでもなく、財や所得の特性を活かして、人が達成しうる機能(人がなしうること、なりうるもの)、すなわち人の生き方や在り方に関心を集中する視点を提示しています。
センの提起の核心は次の引用に要約できます。「人の福祉について理解するためには、われわれは明らかに人の機能にまで、すなわち彼/彼女の所有する財とその特性を用いて人はなにをなしうるかにまで考察を及ぼさなければならないのである。たとえば、同じ財の組み合わせが与えられても、健康な人ならばそれを用いてなしうる多くのことを障害者はなしえないかもしれないという事実に対して、われわれは注意を払うべきなのである」(鈴村興太郎訳『福祉の経済学 財と潜在能力』岩波書店、1988年、原著は1985年刊)。
要するに福祉を実現するためには、人に財を提供するだけでは十分ではなく、またその人の置かれた社会的境遇に拘束されがちな主観的な満足度を福祉の指標にするべきでもなく、手に入れた財の特性をその人が活用できるかを評価し、潜在能力の発達を平等に保障するというのがセンの福祉理論です。「潜在能力の発達の平等保障」説ともいうべきセンの見解は、福祉・教育・医療など、人間の人格と能力(潜在能力・残存能力)に働きかける社会サービスの重要性を強調するものです。
人格や能力に働きかける社会サービスが等しく必要に応じて提供されてはじめて、人はそれぞれ潜在能力の発達を享受できるというべきです。北欧等の現代福祉国家は所得保障政策のみならず、自己決定能力に制約のある人々への社会サービスの保障という点に、その到達水準が評価されているのです。
介護保険制度は潜在能力の発達に不適合
潜在能力を全面的に発揮できるような福祉システムを構築するにあたって最低限必要な条件は、サービス利用にあたって過大な金銭的な負担がないこと(費用保障制度)、必要な時に十分なサービスが受けられること(供給体制の整備)があげられるでしょう。
こうした点から介護保険制度をみると、保険料の引上げ(月々の保険料が7,000円に近い市町村が現れている)に加え、サービス利用時に1割の自己負担が課せられる応益負担原則が導入されたことにより、要介護でありながらも経済的負担を避けるためにサービス利用をためらう傾向が生じています。とくに応益負担原則は、利用者が負担に耐えかねてサービス利用を自己抑制すれば、報酬単価の切下げによって運営に困難を抱える事業者がいっそうの経営危機に直面するという、対立的な関係をつくり出しました。このように応益負担は、利用者・家族の暮らしと事業者の運営に困難をもたらしただけでなく、両者を対立関係におくことで、福祉の実現に障害を与えるものとなっています。
また、利用できるサービスについては要介護度ごとに上限額が決められていて、それを超える部分は全額自己負担となります。医療保険にはない利用限度額の設定自体が問題ですが、その水準が低く、一人暮らしの要介護高齢者が日常生活を維持できるような在宅サービスが提供されていないのが現実です。さらに、介護保険制度の施行を機に、営利原則は馴染まないとして参入が禁止されていたこの分野に営利企業が進出しシェアを急速に拡大していますが、現状では、効率的に利潤が獲得できる富裕層が多い大都市部と小都市・農村との供給格差が著しくなっています。
このように介護保険制度には制度設計からみても多くの問題を抱えていますが、今回の改訂ではこれらを是正するのではなく、保険料等の自己負担の引き上げ、要介護度が低い人々へのサービス利用の制限など、かえって矛盾を深める結果となっています。
イタリアの社会的協同組合に注目する理由
検討するべき課題は多く多岐に渡りますが、筆者が特に関心をもっている領域は、福祉サービスを供給する事業体のあり方にあります。
介護保険制度がつくりだした国家管理の市場の下で、事業者が販売する介護商品を購入することで、利用者の潜在能力や残存能力が引き出されるといえるのでしょうか。
福祉サービスがワーカーによる一方的なサービス提供ではなく、教育など他の対人援助と同様、援助者と被援助者との共同作業という性格をもっていることからすれば、両者の「共同性」を内在化している組織が利用者の潜在能力の発達に適合性をもつのではないかという仮説をもつようになりました。その参考になったのは、イタリアの社会的協同組合が掲げるミッション(使命)と組合員構成にあります。この点も含め、筆者が社会的協同組合に注目する理由をあげてみます。
社会的協同組合は、その前身である1970年代後半に登場した「社会的連帯協同組合」以降、協同組合が貧困=社会的排除の克服に主体的に立ち向かう過程で従来の協同組合の枠組みから脱皮し、「新しい協同組合」像を提示しています。
「新しさ」の第一は、一般に協同組合は「共益」追求組織と位置づけられるのですが、社会的協同組合は社会サービスの提供を通して、地域社会の普遍的利益=「公益」の実現に目的を設定していることにあります。社会的協同組合法第1条では、「公益」の内容を「人間発達と市民の社会的統合(換言すればノーマライゼーション)」としており、これを社会的協同組合のミッションと捉えることができます。
第二には、これまでの協同組合は消費者、農業者など単一の利害関係者(シングルステークホルダー)によって構成されているのに、社会的協同組合のA型はワーカーとボランティア等、B型はこれに社会的排除者が加わる複合的な構成員(マルチステークホルダー)による協同組合となっています。
福祉サービスの特徴は、先に見たようにワーカーと利用者との共同性によって成り立つ点にあり、両者の主体的な参加が「良いサービス」を構成する要素となります。社会的協同組合のB型は、ワーカーと社会的排除者を同等の権利と義務を有する組合員として位置づけているので、両者の「自己決定と参加」を可能とする組織構成にあり、潜在能力の発達を促す供給主体として適合性をもつと考えられます。
このように福祉サービスの質を担保する「共同性」を具現化した組織の登場は、協同組合の進化した姿であると同時に、福祉問題の解決へ向けての「社会的発明」といえます。
第三には、社会的協同組合による活動や事業が、地域の形成(再生)にきわめて有効な方法といえる点です。小地域を単位に組織されている社会的協同組合は、組合員数は平均39人、半数以上が20人未満(イタリア全国統計局『イタリアの社会的協同組合2001年』2003年発表)と小規模であることが特徴といえ、事業の展開過程で地域社会の人々の関係を再編し、住民の間に社会連帯の機運を高めることに貢献していますが、この視点は福祉を通して地域再生を課題としているわが国にも共通しています。
ところで、イタリアでは営利企業の福祉サービスへの参入は認められておらず、福祉供給は公共セクターと社会的協同組合によって担われています。また、運営に要する費用は公的部門からA型では約8割、B型では約5割(3割は企業等への財やサービスの販売=下請け)が支出されているように、基本的なサービスについては公的な財源保障が行われています。
協同組合による福祉事業の展開
生協ひろしまの福祉活動や福祉事業にも関与したことから、わが国の協同組合による福祉事業にも関心をもっていますが、介護保険サービスにおける協同組合やNPO法人のシェアは期待されたほどではなく、営利企業に大きく引き離されています。
以下では、福祉事業に取り組む協同組合の交流の場である「協同組合福祉フォーラム」(3年前から毎年開催)に参加して感じた点も含め、協同組合の福祉事業に取り組むスタンスに関して、私的な雑感を述べることにします。批判的な見解を示しますが、協同組合運動の発展を願う立場からの発言として受けとめていただきたいと思います。
「社会福祉基礎構造改革」の評価をめぐって
危惧している最大の点は、生協陣営は介護保険制度の成立に当たって、利用者の立場から同制度の基本設計上の問題点を指摘するのではなく、むしろその推進者であったということにあります。
かつて日生協が発表した「社会福祉基礎構造改革に関する意見」では、「措置制度から個人の選択によるサービス利用とする制度に転換する改革の方向は支持いたします」(1998年3月)とし、同年7月の「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)に関する意見」では、介護保険事業など福祉事業に「できるだけ民間事業者・非営利事業者の参入の道を拓き、対等な競争関係の中で、サービスレベルの向上が図られ、活性化が進む仕組みが検討されるべきである。~行政の役割は福祉サービスの実施者ではなく、民間事業者や非営利事業者のサービス事業の支援者に徹することが必要である」と述べています。
これら日生協の「意見」は、情報弱者である利用者と事業者の直接契約という諸外国にも例を見ない「利用契約制度」への移行(利用者は結果責任を負わされる)を支持し、しかも介護事業に「民間事業者」=営利資本の参入と競争原理の導入も認め、行政のサービス実施責任を免責する「提言」まで含まれており、これでは社会福祉基礎構造改革の「丸飲み」といわざるを得ません。
社会福祉基礎構造改革は、今日の時点からみれば小泉「構造改革」の一環をなすものであり、「規制緩和」によって福祉サービス供給における公的責任を解除して営利資本の活動領域を創出するとともに、介護保険料の新設と応益負担原則の導入によって公費負担を半減させることで、生活格差を拡大した元凶といえます。
ところが、本年2月に開かれた「協同組合福祉フォーラム」では、協同組合関係者から介護保険制度の改訂には苦情を申し立てながらも、依然として社会福祉基礎構造改革を評価する発言がありました。しかし、介護保険の改訂やこの4月から施行された障害者自立支援法は、社会福祉基礎構造改革から逸脱したものではなく、その必然的な帰結であると捉えるべきです。
組合員の要求を前面に押し出して、介護保険評価の見直しを
日生協では介護保険等の福祉事業を購買、共済に次ぐ「第3の柱」に位置づけ、介護保険制度の改訂に対応したビジネスモデルの構築を提案しています。制度改訂に対応した持続可能な事業組織の確立は組合員に対する責務といえますが、巨大な組合員を要する社会組織としては、それだけで十分といえるのでしょうか。
介護保険制度の改訂は事業者に対して経営困難をもたらしたことも事実ですが、その結果も含めて、何よりも介護保険サービスを利用している人々(組合員)にこそ大きな被害を与えているのです。保険料の大幅引上げと食費負担・ホテルコストの導入、応益負担の維持、要介護度が低い人々へのサービス利用の制限など、組合員のこれらの点での改善要求は切実なものがあります。
日生協は介護保険制度の見直しにあたって厚生労働省に要望書を提出(2004年7月・9月、2005年7月)していますが、このうち最も包括的な要望書は2004年7月提出分といえます。ここでは見直しが事業者の困難だけでなく、利用者にも及んでいることを指摘して改善要望を提示し、保険料の引上げに対しては「国民から理解が得られるように、保険財政の十分な情報公開に努めること」と述べています。また、「利用者の自己負担率(応益負担を指す)の引上げは、現状ではすべきではない」と、この点では引上げ反対を明確にしています。しかし、要望書の冒頭では「介護の社会化、市場化は確実に前進し、~積極的な評価に値するものと考えています」と述べるなど、介護の市場化を容認する見解は維持されています。
生協はこれまで公共料金や灯油代の引上げに反対し、国民生活の安定に重要な役割を果たした消費者組織です。介護保険サービスの事業者でもありユーザー組織でもある生協が、利用者の人権と非営利事業者の安定的な運営を統一する立場から、少なくとも①保険料等の引上げではなく、公費負担割合を介護保険制定以前の水準に戻すこと(財源は1.5倍となる)、②応益負担は事業者と利用者の共同性を破壊することからそれを撤廃すること、③介護の「市場化」は福祉の非営利原則を崩したことから、むしろ「公共化」を維持すべきこと、④営利事業者の第一義的な関心は利潤の獲得にあり、利用者の福祉の実現をその従属変数に置くことから不適切である等、介護保険制度の枠組み自体の再検討を行うよう要望したいと思います。
ケアワーカー・利用者の位置づけ 協同組合の被雇用者・お客様でいいのか?
今年の「協同組合福祉フォーラム」は“協同組合福祉サービスは、新たなセクターを形成できるか”をテーマにしていました。その意図は、福祉業界において協同組合を「公的サービス」「民間サービス」に次ぐ新たなセクターとして形成しようとする点にあると記されていました。
その是非については措くとして、筆者が疑問に感じているのは、介護保険事業における生協や農協のケアワーカーと利用者の位置づけにあります。それは、ケアワーカーが当該協同組合の介護業務部門か子会社の被雇用者になっており、事業運営の主体者としての位置には置かれていない点です。また、協同組合が提供するサービスの利用者は「お客様」にとどまっており、ケアワーカーとの共同関係を形成しようとする方向性も見出せないことです。
この問題に関しては、筆者も結論をもつにはいたっていません。イタリアのように、既存の協同組合の援助を受けて、社会的協同組合という新たな組織を生み出す方法もあり得るとは思っています。また、既存の協同組合の部内に位置づけるにしても、福祉部門はケアワーカーの自主的運営を認め、たとえばワーカーズコープのような組織形態をとるとともに、利用者の組織化にも取り組み、ワーカーや当事者の要求を聞き取り、それを事業運営に反映する仕組みを形成することなどが考えられます。
何をもって協同組合らしさというのか評価は難しいのですが、少なくとも、働く人や利用者を客体に置かず、主体者として位置づける組織構成を模索する努力が必要だと思われます。
プロフィール
鈴木 勉(すずき つとむ)
1951年生まれ。1977年日本福祉大学大学院社会福祉学研究科修了。1983年県立広島女子大学文学部社会福祉学科講師、助教授、教授。現在、佛教大学社会福祉学部教授。専門は福祉政策論、非営利福祉組織論。『現代障害者論』(共編著、高管出版、2006年)、『ノーマライゼーションの理論と政策』(単著、萌文社、1999年)他