『協う』2006年6月号 特集1
協同で創る仕事おこしとまちづくり
~庄内まちづくり協同組合「虹」(山形県鶴岡市)の挑戦~
上掛 利博(『協う』編集長、京都府立大学教授)
Ⅰ.まちづくり協同組合の背景
藤沢周平の小説の舞台「海坂藩」のモチーフとなった山形県西部庄内藩の城下町鶴岡は、日本の生活協同組合運動にとって重要な“班”を生み出した共立社(鶴岡生協)のまちとして知られてきた。鶴岡市は2005年10月に1市4町1村が合併して、人口約10万人から14万4千人となった(65歳以上の高齢化率26%)。鶴岡の名産といえば枝豆の王様「だだちゃ豆」だが、訪問した5月の連休頃は孟宗竹を味噌と酒粕で味付けした「孟宗汁」、人々の生活に根づいた郷土の味だ。その鶴岡で近年全国から注目されているのが、2004年に設立された「庄内まちづくり協同組合虹」である。
庄内まちづくり事業協同組合「虹」は、急速に進む高齢化社会のなか「いつまでも安心して住みつづけられる街づくり」をしたいという共通の認識に立った4つの協同組合(庄内医療生協、生活協同組合共立社、社会福祉法人山形虹の会、山形県高齢者福祉生協)が連帯して、異業種の法人で構成する事業協同組合方式で設立している。具体的には、中小企業等協同組合法により、「虹の会」と「高齢協」(組合員1,000人、事業高2億円)に、子会社の調剤薬局「ファルマ山形」(有限会社)と住宅建設「コープ開発」(株式会社)を加えた4事業者(資本金1億円以下、従業員100人以下)で立ち上げ、後から「共立社」(組合員11万人、事業高203億円)と「医療生協」(3.7万人、出資金19億円)が参加する形をとった。2005年には「庄内産直センター」(農事組合法人)も加盟した。職員体制は、介護事業部30名、給食配食事業部32名、清掃事業部61名、送迎事業部30名、本部6名の計159名で、事業高約3億円である。
前史として、1964年の新潟地震に際して鶴岡生活協同組合(79年「生活協同組合共立社」に名称変更)に全国から寄せられたカンパの一部を設立基金として「庄内医療生活協同組合」が創立され、74年に「鶴岡協立病院」を開設、84年には新病院が完成し、89年から県内初のデイケアを開始していた(2005年現在、12診療科244床。最大の病院は「鶴岡市立荘内病院」〈24診療科、520床、2003年に新病院〉で急性期医療と救急医療中心)。そして、92年には共立社と庄内医療生協が「くらしたすけあいの会」を共同で始めており、95年に社会福祉法人「山形虹の会」を設立、両生協の組合員5,000人から1億円の寄付を集めて老人保健施設「かけはし」を開設してきた。
Ⅱ.地域づくりと協同組合の役割
共立社の山中洋理事長は、「ロマンとソロバンは協同組合の永遠の課題」(『協う』2004年12月号)のなかで、2002年にイタリアのボローニャを訪問した際に、①ヨーロッパの生協が後退を続けている中でイタリアの生協が前進しているのは何故か、②国連が認定したヨーロッパで一番住みやすい街ボローニャの街づくりに生協がどのような役割を果たしているか、という2つの問題意識を持って参加し、「社会的バランスシート」(1年間の協同組合の活動を通じて、社会や地域にどの様な貢献をしたかを具体的に数字で公表する)と「ロマンとソロバン」という言葉と思想を学んできたと述べている。つまり、地域との関係を強めること(ロマン)が生協の利用につながる(ソロバン)、そのバランスが重要だというのである。
共立社鶴岡生協は、1970年代には「管理価格と物価への挑戦」、80年代は「安全・安心な商品開発」、90年代は「くらしのよりどころとしての役割」、21世紀にむけて「地域のよりどころへの挑戦」をしてきた歴史をもっているが、価格や安全・安心な商品だけでなく教育や子ども、平和にも目を向け、「グローバル化と大資本の地域支配に抗して、地域に総合生活保障体制の確立」(共立社90年代構想)を掲げてきた。共立社が目指す「協同のある街づくり」は、歴史的に形成された共通の生産・生活文化を土台に人々のくらしが営まれる「地域づくり」と結びついてこそ成果が期待されるとし、ここに協同組合運動のエネルギーが存在すると地域をとらえている。87年からは、店舗の呼び名も「コープくらしのセンター○○」から「協同の家コープ○○」へと変えた。
庄内医療生協の松本弘道専務は、手掛けられる全ての介護保険適応事業を非営利・協同セクターで立ち上げ、地域に役立つような保健・医療・介護・福祉の複合化はできないかを検討して、総合介護センターの設立、グループホームの増設、プールやジム等の健康増進施設を併設した診療所のリニューアルを実現してきたと述べている(『協う』2003年6月号)。注目されることは、地域づくりの前提となる地域のくらしの実態(経済、生活、医療・福祉、教育)を徹底的に調査して、新しい協同のあり方を研究することが必要と考え「地域づくり研究会」を設立し、10年間で8,600人もの人口減という“町がひとつ消失する”規模になっている事実から、「くらし続けられる街」にするためには地域経済や雇用についても対応する必要があるとして、施設給食や配食サービス、施設待機者に対応するケア付住宅の開設により、地産地消や雇用確保を推進するとしている点である。
足で歩きながら調査して見えてきたのは、人口減少と高齢化のなかで、世帯数がとりわけ1人暮らし2人暮らしの高齢者世帯が急増していること、特別養護老人ホームの待機者が500~600人もいることから地域レベルで“福祉”を考える必要があったことである。また、山形県の就労者一人当たりの年収は全国平均の85%と低いが、県内でも地域格差の拡大、さらに同じ地域内でも、鶴岡市が265万円(パート労働者を含む)なのに、車で20~30分しか離れていない羽黒町(米と庄内柿の産地で価格が低迷)では188万円と大きな所得格差が発生している。所得の多いところに人口が移動すると先祖代々続いてきた町や村が廃墟になる危険性もあることから、第一次産業再生とそれを利用した食品加工産業の振興(雇用創出)こそが“地域”を活性化する最大のポイントとなることであった。そして、山形県の場合は所得と自殺者数が比例することからも、「地域経済と生活は一体」「いつまでも安心して住み続けられるまち」という言葉の重みが伝わってくる。こうして「地域づくり」(仕事おこし)こそが最大の課題だという、まちづくり協同組合の役割が浮かび上がる。
Ⅲ.「福祉」と「雇用」を結ぶ高齢者住宅建設
以上のようなことから庄内まちづくり協同組合の設立趣意書には、「介護、福祉の充実、第一次産業の再生を中心とするあらゆる分野での仕事おこし、地域経済の活性化は急務な課題」と書かれているのである。重要なことは、「私たちはその問題の解決の為に、国や自治体に対して大きな運動を展開していかなければなりませんが、同時に自分たちも解決者として多くの地域の皆さんと共同して立ち向かっていかなければならない」として自分たちで「福祉を創る」方向性を示し、「その為に異業種の壁を乗り越えて…個別の事業者だけでは実現しきれない諸要求を協力、共同することによって解決を図ることが早急に必要」と判断して新たに事業協同組合を設立したとされている点であろう。ここには、協同組合と福祉の関係性と事業モデルが示されている。そして、「当面私たちは、高齢者が安心して暮らせるケア付きの高齢者住宅の建設とその運営、デイサービス、給食配食、送迎、メンテナンスの事業をスタート」させて住民の福祉要求に応えると同時に、「地域での雇用を拡大し、農業をはじめ第一次産業、食品加工による第二次産業、地域商工業への波及効果」も期待できると展望されている。
こうして2004年に開設されたのが、ケア付き高齢者住宅「虹の家こころ」(30室の個室)である。利用料金は、室料(水光熱費、食費込み)と介護保険サービス料の合計で平均月額8.5万円程度、部屋は身体状況に合わせて4タイプ(電磁調理器付キッチン配備で要介護1、2程度の援助のAタイプ3室・Bタイプ7室、一部をカーテンにしたトイレで介助が可能なCタイプ12室、洗面所のみで介護スペースを確保した寝たきり対応のDタイプ8室)あるが、協立病院に隣接しており医療面で安心である。利用累計41件のうち、要介護5が20人、要介護4が8人と重度で、また、胃ろう13人、透析6人、尿道バルーン3人など医学的管理が必要なケースが多い。こうした医療ニーズの高い高齢者の場合、これまで特養などのホームでは引き受けてもらえなかったという事情がある。
投資総額は1.8億円で、コープ開発が建設し家賃を月180万円払っている。家賃に水光熱費、給食費を加えたランニングコストは月額320万円となり、家賃と食事の収入は約153万円なので、月に約170万円の赤字となるが、医療生協は、ヘルパー派遣、訪問看護、デイケアなど30人分の介護保険サービスが月額645万円あるので「老人住宅事業分担金」として134万円を出している。同じく、社会福祉法人はデイケアの利用が124万円あるので分担金を74万円出し、共立社は福祉用具(ベッド)のレンタル料が53万円入いるので分担金5.3万円を出している。合計213万円の分担金が入るので「こころ」は月43万円の黒字となる。加わった法人も事業が広がって黒字になるし、新たにヘルパーを10人雇って地元での雇用を拡大した。
次に、まちづくり協同組合が、高齢化率約30%の大山地域に「安心して暮らせる高齢者施設の実現を」という要望に応えて、2005年4月に宿泊可能なデイサービスとして開設したのが「虹の家おうら」(6畳の個室10室、夫婦2組を含む12人が利用)である(組合員が2,000万円を寄付、元開業医が建物を寄付し、土地を安く借地。改修費7,000万円)。地域の組合員からの「月額5万円台で暮らせる施設」の要求を実現すること、急に預かって欲しいという「即日ステイ」の要求へ柔軟に対応することを目指した。医療生協のケアプランセンターと訪問介護ステーションを併設している。
利用(宿泊)対象者は、介護保険で要介護1~3と認定された方(介護1が半分)、デイサービスの利用者に限定している。ベッドは共立社、食事は配食センターが担当。当初は自己負担の平均は5.5万円だったが、今は1泊1,200円で月3.6万円に食費ホテルコストがアップした分と介護保険の1割負担をあわせて月額6万円台となっている。順番待ちは5人、緊急のニーズはデイセンターの休憩室やベッドも活用して柔軟に対応している。
昼間は「デイサービスおうら」(定員19名)で、食事と楽しめる空間(みんな同じことをするのではなく、土いじりに手工芸とやりたいことを小グループで個別対応)、お風呂を提供している。昼間はデイを利用して居室にいないし、短期間の利用を想定しているので、部屋にタンスの持ち込みは認めず衣装ケースが床に置かれている。オープン当初から1年以上利用されている方も多いことを考えると“生活の質”という点が課題であろう。
Ⅳ.協同で創るまちづくりの実験
山中理事長は、「日常の暮らしと地域を守る」ために黙っていてはだめで、組合員の要求を運動・活動・事業へつなげることが重要だと、これまで共立社の「くらしのセンター」「協同の家」が暮らしを守る拠点、グループ・サークル、教育活動のセンターとして役割を果たしてきたことを強調された。そして、グローバル化で地域が疲弊しているなか、少子高齢化でも安心して住み続けられるまちにすることが「21世紀の協同組合の社会的役割」だとして、庄内まちづくり協同組合はJA、漁協、市民団体が力を寄せ合う“実験”であり、「協同の力」はファジーなほうがいいし「多機能」でやるとして、豊かな協同の時代を展望された。
松本専務は、市立病院は急性期が8割を占め患者と“点”でしか付き合わないが、医療生協は急性期が2割、フィットネスと健康づくりで“入口”を延ばし、介護と高齢者住宅で“出口”を延ばして「ロングに付き合う」ことを強調された。上記の「こころ」「おうら」の設置の中核には、協同・連帯の実践モデルとして、医療生協の「ショートステイ(25床)」「ケアプランセンター」「デイサービス」「ヘルパーステーション」に、購買生協の「くらしのたすけあいの会」「福祉用具サービス」、そして高齢協の「配食センター味彩」を集めた「総合介護センターふたば」の存在がある(介護事業の地域シェアは、訪問介護では6%だが、ケアプラン19.6%、訪問看護42.7%、通所リハビリ62.4%)。松本専務は「素人の強み」で施設基準を全部めくって生活支援型ショートステイは居宅扱い(届出制)であることを発見、「前代未聞だが法的にはクリアーできる」として実現にこぎつけ、今では全国の医療生協に広がっている。
なかでも、元病院の調理室がある「ふたば」の給食センターで集中して食事を作り、退職者を雇って安いコストで「こころ」「おうら」に配食していることが経営上の要になっている。また、松本専務は次の構想として、①「少し負担してもいいから、もっと質の高い、外出自由なアパートを」という組合員の要求に応えるため、鶴岡市内で工務店所有の2LDK(12室)のアパートを借り上げ、サポートセンターを設置して月額12万円程度で提供する、②庄内平野の真ん中の米作大農家が多い地域にある診療所を「有料老人ホーム」(10戸)にリニューアルして、そこを拠点に「施設に入りたくない」組合員の在宅福祉をサポートしていく、という新しいアイデアも考えていた。
いずれの場合も、「まちづくり」で意識していることは「雇用の創出」という庄内まちづくり協同組合の“創意工夫”と“実験”は、介護の仕事(ヘルパー、送迎、配食、掃除など)を新たに創出し、そこで働く人々の働きがいや生きがい(人間としての誇り)を引き出そうとしているのである。ここには、新しい地域を創りたいという願いと、それに応える協同組合の社会的役割が明確に示されているように思える。-まず、生協ひろしまの福祉事業と活動の概要と足どりお話しいただけますか-
(高田)端的に数字から言いますと、生協ひろしまは、2005年度末で34万世帯加入、福祉事業高は、年間計で7億2700万円です。これは予算比で102.1%、前年比で111.6%という到達で、本部配賦も含めて経常剰余4,727万円が確保できた状況です。主な事業収入は、介護保険事業で約5億円、障害者支援費事業(障害者がサービスを選択し、事業者と契約を結んでサービスを利用する制度。従来の措置制度に代わり2003年度からスタート)で約1.8億円、ヘルパーの研修などの独自福祉事業は0.5億円となっています。一方、福祉活動の分野では、「くらしの助け合いの会」の会員は約1,000名ほどで、今一番増えているのは子育て支援ですね。
足どりを言いますと、1988年に「くらしの助け合いの会」がスタート。89年から福祉事業積立金を設け、91年には組合員の要望から「福祉講座」を開設し、各地区の運営委員会に福祉委員会が発足しました。92年から福祉講座の受講生の要望で「福祉大学」を開校し、高齢化社会に向けての基盤から福祉のあり方、実際の介護の状況を勉強し合いました。これは有料にも関わらず、2年間で1,100名の参加があったと聞いています。さらに、94年からは広島市からホームペルパー3級養成講座の委託を受けて、生協ひろしまから50名が参加しています。その後、相談窓口として福祉情報センターを開設し、2000年度から介護保険事業をスタートさせました。実は、94年のヘルパー講座修了者の何人かが、生協ひろしまの現場でいま事業所長をやっていて、大きな力を発揮しています。