『協う』2006年4月号 人モノ地域
京 都 三 条 ラジオカフェ NPO京都コミュニティ放送
京都大学経済学研究科修士課程 宮川 加奈子
日本初のNPOによるコミュニティラジオ局が誕生したのは、今から3年前の2003年3月31日であり、これは日本の放送の歴史において非常に画期的な瞬間でしたと創設者の1人で、現放送局長の町田寿二さんは語る。「市民の手による、市民のための放送局を作りたい」…この思いから毎週有志による月曜例会を始めて7年、放送免許の取得、放送機材のやりくり、番組づくり、市民への放送制作の指導、など数々の困難を経て、現在では番組数は80本にもなり、ラジオ局のあるカフェにも多くの人々が集まっている。
「ラジオカフェ」とは
三条御幸町にある旧新聞社ビルの1階に、レトロモダンでお洒落なカフェがある。アールヌーボー調で温かさとくつろぎを感じられるそのカフェは、ラジオ局のスタジオを備えており、「FM79.7MHz京都三条ラジオカフェ」はそこで制作されているのである。コーヒーやケーキをいただきながら店内で番組や音楽などの放送を聴くことができるだけでなく、番組制作の集いの場でもあり、カフェからの生放送もしばしば行われて、明るくにぎわっている。
なぜカフェとスタジオが一体なのか。それは、スタジオから一方的に発信する放送局ではなく、ヨーロッパの街のカフェのような、市民が気楽に立ち寄り、お茶を飲みながら放送制作にも参加し、メッセージを発信できるようなユニークな放送局を目指したからである。
市民による番組制作
誰でも3分1500円で自由に番組を作り、発信できることがNPOコミュニティラジオならではの特徴である。好きな音楽を流したり、詩を朗読したり、自分の思いや主張を形にすることができる。ユニークなヒット番組をいくつか紹介すると、「FM看護系★ナイト」は看護師グループによるトーク番組で、医療の問題や、自分の患者さんにスタジオから電話をつないで赤裸々な話をしたりと、ふだん病院内ではなかなかはかれない患者さんとのコミュニケーションや、看護師の思いを伝えている。「弁護士の実像と虚像」は、近寄りがたいと思われがちな弁護士を様々な角度から弁護士の方が斬るトーク番組である。「京都龍馬会」は開局と同時にスタートした番組第一号で、現在でも続いている。
他にも住職の方のカフェでのトーク会や、京都へ訪れた修学旅行生が番組を制作したりと、作り手は実に様々で、番組表を見ているだけでとても興味深い。一般のマスコミのような、最大公約数を対象とし、スポンサーの意向に従った番組制作ではこのような自由な番組作りは実現しえないであろう。また、1日に3回のニュースの原稿は、放送原稿を自ら作成したり、ラジオカフェ制作の番組である「ウォーキングカフェ」では、中継機材の代わりに携帯電話を利用するなど、一つひとつの番組を工夫し手作りしている。
NPOによるラジオ局の開局
民間によるコミュニティラジオ局は多く存在するが、NHKを除く全てが株式会社や行政による第三セクター方式の運営であり、NPOとして放送免許を取得したのはラジオカフェが初めてである。日本の堅い電波行政に小さな針穴を開けることができた、と町田さんは開拓者としての実感を込めて語る。そしてその後、東京、長崎、福井、岩手でNPOによるコミュニティラジオ局が次々に生まれたのである。
電波は国民の共有財産とされながら、市民が放送免許を取得することは容易でなく、開局までには様々な壁があった。特に放送免許の取得と機材等設備にかかる資金づくりが大きな問題であった。放送局に勤めていた町田さんともう1人のスタッフ以外は、放送に関しては素人で、全てが一からのスタートであった。開局準備局を立ち上げ、各地のコミュニティラジオ局を見学し、勉強してイメージを膨らませながらも、はじめは「夢で終わるかもしれない、それでもいいか」という思いがあったという。
しかし、月曜例会を1年以上もち、若者の参加者も増えたことから、このエネルギーがあればなんとかなるのでは、と実現に向けて本格的に動き出した。免許の申請には膨大な量の書類を作成する必要があり、専門のコンサル会社があるほどであったが、多くの費用がかかるため、全て手分けして自分たちで作成した。そして使用できる電波の隙間を調査し、5年分の経営計画を立て、2002年の秋に近畿総合通信局へ申請した。年明けの1月16日にようやく予備免許が下りたときには、「ついにやった!」と最高に感動し、それは画期的な瞬間であったという。資金については、NPOではとてもやりきれない部分は株式会社をサポートカンパニーとして設立し、市民から1口100万円の出資を募ったところ、賛同者から25口も集まり、驚きと共に潜在的なニーズの存在を実感し、それも力になったという。
町衆の文化と力
NPOコミュニティラジオ局の設立が実現に至ったのは、京都の土地柄もあるのではないか、と町田さんは語る。市民の受けとめ方が違う。歴史ある、文化的な土地柄。様々な場面で町衆の力を感じてきた。開局時に40本も番組が集まったことは感動的だった。未経験の少人数のスタッフで、誰が聴くとも未明のうちに、やってみようという人々がいたのである。そのような市民の思いが支えになったという。
また番組を作ってみて、京都ならではの町衆のニーズやエネルギーをずっと感じてきた。例えば、「ウォーキングカフェ」で、いろんな店などを訪問して、歴史、文化、営み、思いに触れ、その奥の深さに気づかされた。今までの仕事では何をみてきたんだ、何をしてきたんだということを恥ずかしく思ったほどであるという。京都のこと、京都の人をまだまだ知らなかったことを実感した。ラジオカフェで、町衆の文化を掘り起こし、発信する、自分もその中に入ってサポートし、一緒に「思い」を具体化していくという経験の中には、失敗やトラブルを含めて、日々ドラマがあり、新たな感動や充実を感じている。
また、2004年の台風23号の際、京都NPOセンターが救援ボランティアを募集するというので、呼びかけのスポットを流したところ、集まった197人の中に「ラジオカフェを聞いて参加しました」という人がなんと3人もいた。聴いている人の中から行動に移した人が3人もいたことに感動し、この時に放送の社会的存在価値を実感したという。
これからのラジオカフェ
ラジオカフェは24時間放送している。現在、制作番組自体はその2~3割で、80本ほどに増えているが、あとは音楽などである。スタッフはボランティアがほとんどである。初めのうちは、作り手が番組を時間内に終えられなかったりしていたが、今では残り3分という指示を出すと、上手く話をまとめられるようになってきており、目指していたことが一つひとつ実現しているなあと感じている。これからも、市民の「発信できる力」をどう育てていくかが課題である。また、自分の思いを伝えることと、聴くほうが満足できるかということは別であるので、両方が共有、共感できるようにするための事業展開をし、ヒット番組を制作することが必要であると考えているという。
コミュニティ放送は電波法では、最大出力が20ワットで一般の放送に比べて電波が弱いため、車ではよく受信できるが、都心部でもビルの障害などがあり、聴きたくても聴こえないという現実がある。電波法を改正し規制が緩和されたらと思うし、市民が気軽に利用できる環境をもっと整える努力や工夫をしていきたい、と町田さんは語る。
コミュニティーラジオの可能性
既存の他のラジオ局のような、固定のパーソナリティがリクエストの音楽を流したり、ハガキを紹介したりするような番組とは違う。それぞれの作り手がそれぞれの思いを伝える形のラジオカフェの番組は、話し言葉は専門家のように流暢ではないにせよ、内容が深く、聴きごたえがある。また、費用を支払うことでラジオが自分の表現の場になるということは、非常に斬新で、魅力的である。インターネットの普及により、子どもから高齢者まで、誰でも趣味や問題意識を外に向けて発信できることが可能となっているが、ラジオというメディアやカフェの場を通しての繋がりはまた別の意味を持つ。今回、お話を伺った町田さんのいきいきとした姿を見て、改めてそれを感じた。
ラジオカフェ創設者の一人、町田寿二さん
三条御幸町角のカフェ入口
「ひとみと普天の火曜歌謡ちょっとチャット」生放送中