『協う』2006年4月号 エッセイ
ある先生への想い
コープいしかわ
理事長 横山 和男
私の古里は福井県の美山町という所です。山に囲まれ、足羽川の上流、自然が豊かで美しい町です。今年は、近年になく大雪となり、美山町でも雪で一苦労する冬となりました。
大雪、特に豪雪に関して、私には決して忘れられない出来事があります。一九六三(昭和三八)年の豪雪(いわゆる「三八豪雪」)時に、大規模な雪崩(表層ナダレ)に遭遇しました。小学校の下校時であり、引率の教頭先生を含め九人全員が埋まってしまいました。そのうち、先生と児童合わせて四人が救出作業の甲斐もなく亡くなってしまいました。その時の光景は、四十年以上経った現在もリアルに眼に浮かびます。大変な衝撃で、私自身、何年経っても忘れることができませんでした。
田舎の小さな小学校で、児童生徒は六十人くらいでした。学校も地域も打ちひしがれました。合同火葬の様子は決して忘れることができません。生き残ったのは男子で私ひとり、女子は四人全員です。そうした中で、当時の小学校の校長先生が、どうしたら悲しみから立ち直れるのかと真剣に考えて下さり、児童全員が参加する楽器演奏(全校音楽)を学校に取り入れました。みんなで演奏の練習をしました。当時の河合楽器の音楽コンクールの小学校の部に応募し、入賞することができました。みんな感激です。その後の学校生活は少しずつ元気がでてきました。
私は、男子唯一の生き残りということで、当時の校長先生から「生き残りの勇者だ、君は!」と言われ、子ども心にも感ずるものがありました。その一言に、その後の私の人生が大きく影響を受けました。中学、高校と進学して以降も、たびたび家に呼んで私の話を聞いてくれました。亡くなった人の無念を想い、少しでも人に役立つ人間に成長して欲しいという校長先生の思いがそこにあったと思います。振り返ると「私の人生を先生が見守ってくれているんだ」と勇気づけられていることに気がつきます。今は亡き校長先生ですが、正直であること、誠実であること、愚直でも良いから一所懸命に生きることを教えてくれました。私の生協人生にも活かされていると心から感謝しています。