『協う』2006年4月号 書評2

吉川 元忠
関岡 英之 著
国こく 富ふ 消しょう 尽じん -対米隷従の果てに-

(PHP研究所、2006年1月、1500円+税)

岩根 泉
くらしと協同の研究所事務局



 本書は『拒否できない日本』(文春新書)を著した関岡氏と国際金融論の権威吉川氏の対談という形式でつくられています。吉川氏にとっては遺作となりました。
 経済学素人の私には「国富消尽」とは耳慣れない言葉でしたが、一体何なのでしょうか。辞書によると、「国全体の富。一国の経済力」を「消耗し尽くすこと。使い切ること」となります。「対米隷従の果てに」というサブタイトルがついていますが、果たして私たちは、日常のくらしの中でこのタイトルに言うように「米国に隷従することで日本の富がなくなってしまう」というような実感を持っているでしょうか。本書はその実感を持たないでいる多くの日本人への警告の書であるといえます。
 本書では、私たちのくらしに直結する様々な問題の多くの原因が対米隷従にあり、そのことが日本の将来を絶望的なものにしているということを多くの事実をあげて示しています。日本の銀行が、企業が、郵貯が狙われ、次には医療や教育までもが収奪の対象となって米国の富に化けて行くメカニズムについて、実に壮大で巧妙なシナリオとその演者たちの姿が示されています。そしてそのシナリオには「グローバリゼーション」とか「新自由主義」という副題がついているのです。このシナリオの進行につれ日本経済の空洞化は進みやがて破綻してしまうでしょうが、経済だけではなく日本が培ってきた財産としての社会構造や精神構造までもが壊されるというのです。これは、「日本はなぜこんなに生き難い国になってしまったのか」という嘆きとともに、私たちが日々疑問に感じていることとつながりそうです。
 そして第7章が眼目です。米国主導の「グローバリゼーション」とは、収奪のための「自分達がプレイしやすいように平らにならされた競技場にすること」にすぎないこと。それは目に見えず気づきにくいが、徐々に効いてきて気がつくとがんじがらめで服従せざるを得ない「不可視の帝国主義」というべきものであるとし、対抗軸としてアジア共同体によるオルタグローバリゼーションの可能性をあげています。そして、そのために必要でかつ今の日本に欠けているものが「思想」であるとも述べています。
 最後に、本書をどんな立場で読むかという課題があるように思います。善意の人々が、「国富防衛、対米自尊」ということで、ややもすればナショナリズムなどの既存の陣営にとりこまれてしまいかねない危うさを感じます。そういう既存の対立する立場に左右されることなく、この「思想の構築」を誰が担うのか、どのように構築していくのかという重要な課題があるのです。主権者として、国を憂うる人々に、知ってほしい、ぜひ読んでいただきたい一冊です。