『協う』2005年10月号 視角

公的介護保険制度の「予防重視型」転換
田渕 直子


1.「予防重視型」の在宅サービスへ
 来年度4月から公的介護保険制度が大きく変わる。「施設サービス」も大きく変貌するが、協同組合(特に単協)が得意とする「在宅サービス」では、「予防重視(介護予防)」がキーワードとなっている。(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2004/12/dl/h1222-3a.pdf参照。2005年10月5日現在)
 伝染病の予防接種ではあるまいし、いったい何から何を予防するのか。厚生労働省の言うところでは、すでにサービスを受けている(軽度の)利用者の要介護度の上昇を「予防」することが第一。要支援・要介護になるおそれのある高齢者(高齢者人口の5%程度)を介護保険料は支払うが、保険利用者にはさせぬよう「予防」することが第二らしい。
 そのこと自体が絶対的に悪いことではないのだが、結局のところ、保険金支払い増大の「予防」が当面の目的であることが、透けて見えるのが腹立たしい。介護保険制度はそもそも、社会的に供給されていた介護サービスの総量が極めて不足している中で(一説には4割)見切り発車され、妻や嫁・娘が無理心中や虐待の危機感に耐えながら、家族介護を続けない限り、財政破綻が生じるのは初めから目に見えていたはずである。逆に言えば、財政破綻が表面化してきたことは、きわめて正常なことであろう。
2.生活に根ざした活動から
    「専門家」の囲い込みへ
 もうひとつの重大な疑義は、自宅での「単なる家事代行」が目の敵にされる一方、生活そのものではない(通所施設等での)「筋力向上プログラム」「口腔機能改善」「栄養改善」といった、特別のプログラムが妙に脚光を浴びていることである。いずれもホームヘルパーよりも「専門家らしい専門家」の領域であり、かつ立派な経営体にお勤めの白衣(白とは限らぬが)の人物が「科学的な根拠」(厚労省Webサイト)に基づいて実施することになる。そして、これが先の「予防」効果を発揮するらしい。
 しかし、高齢者やその家族が真に求めていることは、何だろうか?『日本経済新聞』8月24日付けの「生活・コミュニティ」面を見て、筆者は思わず笑ってしまった。「見守りって介護じゃないの?」というタイトルの下に、花札に興じているヘルパーと(要介護度4の認知症の)利用者の写真があったからである。これは東京都・目黒区の例であるが、介護者である息子さんのわずかな外出の間に、この利用者は花札にだけは生き生きと真向かえるらしい。ところが、目黒区からは「このような見守りが中心の訪問介護は望ましくない」とご注意を受けているという(同紙)。花札に「予防」の科学的根拠はあるまいが、この利用者にとって、花札を楽しむことこそ、生活の最も大切な部分なのではないのだろうか。
3.「生活の専門家」こそ
    協同組合福祉の主人公
 私の知る、「知的障害児・者の自立生活を支援する」あるNPOでは、いわゆる福祉施設で働いた経験のある職員は、なるべく採用しないと聞いた。なぜなら、彼らは「保護と指導の必要な存在」として利用者に無意識に接し、「いわゆる専門家」に対する依存関係を形成してしまうことが多いからだという。
 協同組合の行なっている福祉活動・福祉事業には様々なものがあり、一概にはいえまいが、やる気になれば、サービス提供者の側と利用者の側が、対等の「生活の専門家」として、向き合えるところに面白みがあるはずである。ひょっとしたら、麻雀のできないヘルパーが、認知症の利用者にそれを教えてもらうことだってありえよう。それは冗談としても、料理や掃除への知恵やこだわりは、「生活の専門家」である(かつてあった)利用者からサービス提供者に伝えられ、ヘルパーにとっても新鮮な情報になるかもしれない。
 「ホームヘルパーという資格」、「介護という仕事」は「生活という日々の営み」を初めてそのまま「社会的なもの」(ある意味での事業)として認知させた点で画期的であった。消費生活協同組合の皆さん、この領土をお堅い専門家にみすみす奪われてしまうのは、もったいなくありませんか?
  
たぶち なおこ 北星学園大学 経済学部