『協う』2005年10月号 エッセイ

創立20周年に思う
こうち生協
理事長 宮本 正気


 わたしたちのこうち生協は、この一一月一八日で創立二〇周年を迎えます。当時、消費者の間から、高知でも、全国的に急成長している班を基礎にした、共同購入型生協をつくってほしいという声が次第に大きくなっていました。それを受けて、四国で県庁所在地に、生協がまだなかった高知市と徳島市にぜひ市民生協を創ろうと、四国地区生協協議会が「四国は一つ」を合言葉に、一九八四年三月発足しました。一九八四年一一月にとくしま生協が、こうち生協は、一年遅れの一九八五年一一月一八日に設立されました。創立総会は七〇〇人の組合員参加のもとで開催され、「海と山の幸に恵まれた土佐の地に、よりよい暮らしと健康、子供たちの明るい未来を求める生協の炎この炎を高知の隅々にまで広げよう」と炎のような創立宣言が読み上げられました。
 設立の三年ほど前、共同購入事業を立上げるには、経験豊かな人材どうしても必要だと、当時の野村県連会長とともに、京都生協に人探しに行ったことを思い出します。ところがお願いをしたあと、「お前がやったらいい」と横関元京都生協理事長に一喝されました。これで私自身の地域生協づくりの腹を決めたように思います。その後、こうち生協設立準備事務局長をへて専務理事・理事長とあっというまの二〇年でした。その中で、いつも想いだすことは、「四国は一つ」の合言葉と四国地区生協協議会の指導のもとに、高知特有の七月の炎天下、二回にわたる支援統一行動が行われ、四国地区の各生協から、延べ三一六名の職員が泊りがけで仲間づくりをやりとげてくれたことです。
 こうち生協は、おかげさまで現在、組合員数七六〇〇〇人・出資金三二億円・供給一一〇億円・職員数六〇〇人の組織にまでなりました。しかし二〇周年を迎えたいま、こうち生協は、新たな問題に直面しています。人口減による地域の生活基盤の崩壊に向きあって、生活協同組合としてどう対応していくのかという問題です。高知県の人口は八〇万人を割って、「村にくるのは、郵便の配達と生協」といった地域も多くでてきています。地域と結びつき、協同と共生、助け合いの活動を進めるのが生協の目指すものです。その意味では、過疎地域のかかえる問題にかみあって事業が前進した時、こうち生協は、個性にもとづく新たなる発展ができるように思います。
 こうち生協も人間でいえば、成人式を迎える二〇歳、温故知新の成人式とゆきたいものです。