『協う』2005年10月号 コロキウム

人間の自由と「福祉」概念
京都府立大学福祉社会学部教授


上掛 利博


�.福祉の土台にあるもの
 公的介護保険が実施されたなかで、福祉の対象者は低所得層から中間層以上へと確かに広がったけれど、福祉関係者の思考が制度の範囲内に限定されたりマニュアル化されて、福祉のアプローチを通じて人間や社会を変革しようとする福祉への視野は逆に狭まってきたのではないか。『協う』第3号(1993年11月)のコロキウム「女性と福祉と人間発達」などで、私は福祉に取り組むなかで主体形成が進むことに着目し、福祉の土台に「人づくり」の課題が存在していると考えてきたのでなおさら強くこのことを意識させられる。
 財政学の神野直彦東京大学教授は、スウェーデンの福祉の根底には「学び」が位置づけられ学びへの投資が実行されており、「福祉社会」と呼ぶより「学習社会」と表現するほうがふさわしいと主張している(「開花した“学びの社会”」『世界』2001年5月号)。すなわち、「スウェーデンでは人間が“学ぶ”ことによって能力を高めれば、雇用され、所得間格差も縮小して、生産性が向上していくと考えるのに対して、日本は人間が“学ぶ”ことを否定しようとする」、「人間を信頼しない日本では、企業や社会から可能な限り、人間を排除して労務コストを低めるばかりでなく、企業の公的負担を低めるために“小さな政府”が目指されるため、人間の成長を促進する公共サービスも供給されることはない。ところが、人間を信頼し、人間の能力を高めて生産性の向上を図ろうとするスウェーデンでは、“大きな政府”か“小さな政府”かという不毛な議論に明け暮れることなく、人間が成長するのに必要なサービスを供給する“有効な政府”が実現」されていると。
 最近でも、筑紫哲也NEWS23(2005年9月15日)は、2003年のOECD調査で学力世界一となったフィンランドの教育について紹介したが、世界一の背後には「人を大切に育てる社会のあり方」が存在することを明らかにしていた。
 �@図書館が多いだけでなく、勉強する所というより幼いころから「読書を楽しいと感じる」ようにしている、�A小学校では国語と算数の補習を週3回行うなど「落ちこぼれを生まない教育」を行って、2割の生徒が受けているが“恥”だとは考えられていない、�B中学校では9年間の義務教育の後に「10年生」という留年制度が“恩恵”としてあり、人的資源のレベルを一人残らず高めている、�C知識集約社会で「人をかけがいのない資源とみなす」視点から育児サポートを充実させている〔どの親も子どもが3歳までは家にいて育てることができ、月500ユーロ(69,000円)の手当、子ども1人に月額110ユーロ(15,300円)を支給;産休5ヶ月と育児休業8ヶ月、給与の3分の2保障;元の職場への復帰を法律で保障;保育所は順番待ちなしで24時間保育も可能〕というように、税金は高いけれど(消費税22%)公的サービスは充実しており、49歳のヴァンハネン首相は「税金をいただくのに見合うことはしている」と語った。
 教育が国の競争力を高めるという点に関わって、携帯電話のシェア世界一のノキア社の副社長は、「教育はフィンランド経済の未来のみならず、社会全体の未来に対する投資だ」と確信を持って述べていたし、3歳と2歳の子の母親(36歳)は、「子どもたちを十分に支えて、教育の身に付いた大人に育てることができると信じています」と自信たっぷりに話した。番組の最後に筑紫キャスターがまとめたように、国家財政の破綻、少子化、教育の荒廃など深刻な問題を抱える日本にとっては、なおのこと「一人ひとりを取りこぼさない社会」をつくることが急務のはずである。
�.人間と福祉の多様性
 皇太子が45歳の誕生日の記者会見(2005年2月23日)で読み上げたことから日本中で突如として有名になった詩に、「批判ばかりされた子どもは、非難することをおぼえる。殴られて大きくなった子どもは、力に頼ることをおぼえる。…しかし、激励を受けた子どもは自信をおぼえる。寛容にであった子どもは、忍耐をおぼえる。賞賛を受けた子どもは、評価することをおぼえる。…可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる」(ドロシー・ロー・ホルト「子ども」)がある。
 この詩は、スウェーデンの中学校教科書『あなた自身の社会』(原著1991年、アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル著、川上邦夫訳、新評論、1997年)に載っていたものだが、そこでは子どもの育て方についての素晴らしい教訓として与えているわけではない。それどころか、教科書の本文には、「激励や賞賛が良くないのはどんなときですか。この詩は、大人にたいして無理な要求をしていませんか。両親が要求に応え切れないのはどんなときか、例を挙げましょう」という課題が提示されているのである。
 みられるように、スウェーデンの教科書は、正しいマニュアルを単に記憶するというのではなく、異なった視点や人間関係の現実について視野を広げ、自分の頭で問題を発見し考えることを求めているのである。日本では、社会福祉士など国家資格が整備されてきたなかで、ともすれば資格試験の勉強に重きがおかれ、ソーシャルワークとして社会を変えることの意味や、人間相手の福祉労働の創意工夫のおもしろさが軽視されてきたように思えてならない。
 患者さん一人ひとりが「ぼくの先生たち」だという鎌田實『がんばらない』(集英社文庫、2003年)を読むと、「巧みに生きる」ことではない「手ごたえのある生」を通じて、人間の幸福とは何かを考えさせられる。この本は、「小さな地域にこだわって、協同的な世界を形づくっていくことが、21世紀に必要とされているのかもしれない…あるひとりの人の健康を守るということは、その人がいっしょに生活する家族の健康を守ることであり、その地域の健康を育てることが大切だ」という視座で書かれている。
 「21世紀の人類にとって最も大きな問題は、情報長寿社会のなかの、人間のさびしさではないだろうか」と考える鎌田は、介護保険は「人間のさびしさを解決してくれるサービスではない」と指摘したうえで、物や金や情報よりも大切な「魂への心くばり」をとり戻すよう求めている。すなわち、「21世紀に心の時代がほんとうに来るのだとすれば、医療とか福祉が、もっとそれぞれが生きてきた歴史、それぞれの人の生きてきた意味を尊重し、一人ひとりの人間の全体に目を向けることが大切だと思う。魂に、あるいは存在の意味に目を向けるように心を配っていきたい」と。
 福祉を考える際に、人間が生まれてきて存在していること自体に意味があるということをどのように理解するかは重要である。福祉の「仕事の質」にも大きな影響を与えるに違いない。ちなみに、文庫の解説で荻野アンナが、「自立という言葉に、私たちはふりまわされ過ぎたのかもしれない」として、「人は人によって支えられる。寄りかかりながらも、寄りかかり過ぎない。その按配をわきまえる以上の自立は、幻想でしかあり得ない」と述べているが、至言である。
 鎌田には、「ひとりの子どもの涙は、人類すべての悲しみより重い」というひと言をきっかけに、チェルノブイリ原発事故で白血病になった子どもにかかわった絵本がある(『雪とパイナップル』集英社、2004年)。“幸せ”とは何か辞書を開くと、苦しみや悲しみや不安がなく精神的にも物質的にも満ち足りている状態、と書いてあるが「本当だろうか。そんなに簡単ではなさそうだ」として、「人間は、悲しいこと苦しいことの連続でも、幸せだなあと思うことができる。…人とのつながりのなかで生きるとき、幸せを感じたり、不幸せを感じたりするのではないか」と書かれてある。
 この絵本には、「幸せは、もしかしたら、幸せをめざしているプロセスのなかにあるのかもしれない…苦しみや悲しみのなかにいる人たちだからこそ幸福になれる可能性がある」とか、「希望を組織することが大切」「希望はあるものではなく、つくるもの」「希望があれば絶望のなかを人は生きていける」とか、「人間ってすごいなあ…やさしい心は、人から人へ伝染していく」という言葉があって、人と人との関係性への洞察や、一人ひとりの多様な存在が“幸せ”の多様性につながるといった、福祉理解の重要な点が示されている。
�.個人の幸福追求と自発的福祉
 先述のスウェーデンの中学教科書は、障害者とはどういうことかを次のように説明している。「書類やその他の文章を理解できない者、あるいは書くことで自分を表現できない者は、充分障害者とみなすことができます。スウェーデン語をマスターしていない移民の人々も、また一種の言語障害者です  外国へ行ったときの私たちも同様です。何も言えず理解もできず…なのですから。他人と自然に付き合うためには、一杯引っ掛けなければならない人も一種の社会的障害者です」と、かなり広い概念でとらえている。
 そして、障害者にみえる人が自身を特に障害者とは意識せずに生活していることもあることにふれ、「障害の程度は、障害者にたいするその他の人々の態度や、環境がどれほど障害者のために整えられているかにも大きく依存しています」と、社会環境の重要性を述べている。特に、交通事故などで多くの若者が「人生において一度も働く機会をもつことなく」早期年金受給者となっていることにたいして注意を喚起し、また、障害者と障害者団体が、行政と「普通の人々」の両方と様々な改善のために闘ってきたことにも触れ、そのうえで、「障害者にたいして好奇心を示したり、同情したり、過剰に保護することは容易です。しかし、彼らのほとんどは、そうしたことを求めてはいない」として、「彼らが欲しいのは私たちそのものであって、私たちの慈悲ではないのです。私たちの中の誰かと一緒にいたいのです」と結んでいる。
 このように、言語障害、アルコールなどの社会的障害、社会環境の整備、労働権の保障、ノーマライゼーションに至るまで、福祉概念の拡大がみられる。単に福祉の対象が広がっただけではなく、福祉の考え方や手法までも大きく変化した。
 カナダの子育て家庭支援の形成過程を研究した小出まみ名寄女子短大教授が遺著『地域から生まれる支えあいの子育て』(ひとなる書房、1999年)で指摘したように、「子どもの問題、家族の問題、地域社会の問題などが社会問題として発生してしまってから個別に対処するのが従来の行政サービスの手法であったとすれば、…新しい考え方と手法は、問題が起きる前のごく普通の、ごく一般の状況における親と子の生活を支援し、力をつけることでいささかでも問題発生を事前に減らそう」とするものである。このように普通の家庭を対象に「福祉の出前」を展開するカナダに対し、あくまで自己責任を前提にそこから外れた特定の人を対象とする「後追い福祉」の日本は、社会問題の根本を解決できない仕組みとなってしまっている。
 その原因について小出は、「これまで私たちは行政の責任、公的責任を重視するあまり、ボランティアのもつ豊かな発想力を積極的に生かしたとはいえない。…豊かな可能性を秘めたボランティアの力を、とくに活動の発端、契機のところで生かし、それを拠点に公的な力を引き出していくべきではなかろうか」と述べている。この指摘は、日本で社会福祉の運動や研究において、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を重視して国家責任を追求してきたほどには、第13条の「個人として尊重される」「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」が注目されてこなかったことへの反省を迫っているといえよう。また、スウェーデンの中学教科書は、「全ての人々に公平と安全を与える」社会福祉が濫用されたり不公平や無駄を生んでいないかについて注意を喚起し、「私たちが自分で、あるいは相互に協力してやるべきことを、社会が取り上げてしまったということはありませんか」と福祉の根源的な問題を提起している。
 以上のように、今日では、公的福祉のあり方にたいする「自発的福祉」の意味が問われている。地域で必要なニーズについて、当事者や住民が参加し創意工夫をしながら、資金などの公的援助を受けるようになった経験は、70年代の共同保育所づくり運動、80年代の障害者共同作業所づくり運動、90年代の宅老所・グループホームづくりなど、日本にもある。そこでの実践が、「援助する者/される者」という一方的な関係をなくし対等平等な人間関係のなかから、自分たちの問題として地域社会に働きかけることで、従来の「福祉の質」を変えてきたことは注目されて良い。協同組合のくらし助け合い活動やNPOの福祉事業なども、この自発的福祉に連なる。
 なお、90年の福祉八法改正で社会福祉事業法は、旧法の「援護、育成または更生の措置を要する者」から「福祉サービスを必要とする者」に対象を拡大したが、2000年の社会福祉法では「福祉サービスの利用者」という用語に改めている。「利用者」という言葉で表したい内容はサービスの提供者との対等の立場であろうが、それよりも「主人公」は誰かという視点が自発的福祉には不可欠である。
�.ノーマライゼーションと福祉の人づくり
 1998年の中央社会福祉審議会「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」では、「成熟した社会においては、国民が自らの生活を自らの責任で営むことが基本」とした上で、社会福祉の目的を「国民全体を対象として…社会連帯の考え方にたった支援を行い、個人が人としての尊厳を持って、家庭や地域の中で、障害の有無や年齢に関わらず、その人らしい安心のある生活が送れるように自立を支援する」と述べている。ここでは、自己責任原則を基本としつつも、「従来のように限られた者の保護・救済にとどまらず」と明記して、�@社会福祉がすべての国民を対象とすること(それゆえ「社会連帯」が必要というのは飛躍であるが)を確認し、�A「個人」に注目して「人としての尊厳」がもてるように、�B「家庭や地域」の中で「その人らしい生活」を安心して営めるように支えると、まさしくノーマライゼーションの理念に立った福祉の理解が示されているのである。
 ノーマライゼーションの考えは、1975年の国連「障害者の権利宣言」において、「障害者は、その人間としての尊厳が尊重される権利を生まれながらに有する。障害者は、その障害の原因、性質、程度のいかんを問わず、同年齢の市民と同一の基本的権利を有する。このことは、先ず第一に、できるかぎり、通常かつ十分相応な生活を享受することを意味する」として世界に示されたものである。さらには、「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである」という文言で知られる1980年の国連「国際障害者年行動計画」において、「社会は、全ての人々のニーズに適切に、最善に対応するためには今なお学ばなければならない…これは単に障害者のみならず、社会全体にとっても利益となるものである」、「障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである」ということが明確にされて、“かわいそうな存在”“保護の対象”としての障害者観ではなく、逆に社会の方が障害者から学ばなければならないという観点へ転換したのである。
 ボランティアなどに関わった経験として、「助けてあげたというよりも自分の方が学ぶことが多かった」という話を聞くが、いわば「お互い様」といえる人間関係のもとで、多様な価値を認める福祉の「人づくり」の側面が理解されるようになってきたといえよう。このようにして、福祉を通じて一人ひとりの人間と、その人間が構成する社会が“自由”になっていくのである。
 社会福祉の歴史研究を進めた池田敬正教授は近著『福祉原論を考える』(高菅書店、2005年)において、社会福祉を「現代に成立する社会共同としての生活支援」と規定して、歴史貫通的な社会共同が「人間の自由の成長(放任的自由から連帯的自律への成長…引用者)を通じて、相互に自律した人間関係にもとづく相互支援としての社会福祉に展開する」としている。そして福祉サービスを普遍主義的に展開するためには、個人主義的自由による選択的利用ではなく、「住民全体が参加する自律的連帯にもとづく公共の民主主義的役割」や「個人の自由を公共的共同により支えようとする民主主義的認識」が不可欠であると強調されている。つまり、「選択の尊重」を「公共の支援」(公共的共同にもとづく連帯的支援)と結びつけることで現代の社会福祉は成立するがゆえに、「個人一人ひとりの自律的判断を土台とする連帯」を重視するのである。池田のこの主張は、自由な選択と自己責任に立脚して社会福祉をセーフティネットに限定する新自由主義の議論が、結局のところすべての人を対象とせず自由競争からの落伍者を「二級市民」としてしまうことになるのとは大きく異なっている。
 以上のように、福祉概念の検討は、自由な人間の発達と社会の民主主義的な発展という課題を、現代に生きる私たちに問いかけているのである。
               
プロフィール
上掛利博(かみかけ としひろ)、1954年6月北九州八幡(やはた)の生まれ。京都府立大学文学部社会福祉学科卒業、立命館大学大学院経済学研究科博士課程修了。専門は、社会政策・社会福祉論。共編著に『社会福祉講座・全5巻』(かもがわ出版)、『世界の社会福祉�Eデンマーク・ノルウェー』(旬報社)ほか。「京都ノルウェーゼミ」顧問。趣味は、LPレコード(声楽)の収集。