『協う』2005年8月号 エッセイ

生協を質量ともにメジャーにしたいと想い続けて三〇年


コープえひめ
専務理事 松本 等


 三〇年前、 私が京都の大学を出て故郷の大学生協に就職した頃の愛媛県内の生協組合員数は、 約五万人でした。 五万人といっても地域生協はごく少数で、 職域生協、 医療生協がその八割を占めている状況でした。 当然、 「せいきょう」 の知名度は無いに等しく、 「農協」 の一部門と思われたり、 某宗教団体の親戚と勘違いされるほどでしたので、 生協に就職したと言っても誰もなんの反応もしてくれませんでした。 とくに私の母親などは、 苦労して大学を出した息子が大学の売店で働くようになったと嘆き、 毎日のように転職のすすめをするのでした。
 母の心配をよそに当の私は、 少人数で家庭的な雰囲気の職場での毎日が新鮮で、 先輩から教えられる仕事を懸命に覚え、 歳の近い学生さんを相手に仕事をするという楽しい日々でした。 そして生協人として物ごころついた頃から、 「今は誰もふりむいてくれない生協だが、 そのうち生協を質量ともメジャーにしたい」 と思ったことが私の生協人生のベースとなりました。 その後、 大学生協事業連合、 県生協連、 地域生協といろいろな職場でいろいろな仕事をさせていただきながら、 県内の生協運動が少しずつメジャーになっていく様子を実感し、 その一員として微力をつくしてきました。
 とくに、 昨年一〇月にコープえひめとアイコープが合併し、 組合員数二一万人、 県内組織率四割、 供給高三〇〇億円の新生コープえひめがスタートしたことは、 愛媛の生協運動にとって歴史的な出来事でした。 いまや県内生協全体の組合員数は三〇年前の六倍近い二八万人、 ほとんど知られてなかった生協はほぼ県内各地に広がり、 県民と地域社会から注目される存在になり、 「生協を質量ともにメジャーにしたい」 との三〇年前の想いに一歩近づいた気がします。
 でも、 まだまだ通過点ですので、 組合員さんの�Tよりよいくらしの想いをかたちに�Uできる生協に進化していきたいとの想いを新たにしています。