『協う』2005年8月号 書評2
境 毅たけし 著
『モモ』 と考える時間とお金の秘密
- 「時間がない」 とはどういうことなのか?-
(書肆心水、 2005年3月、 2600円+税)
評:清水 隆
研究所事務局長
ミヒャエル・エンデの 『モモ』 (1976年、 岩波書店) は、 小学5,6年以上を対象にした幻想的な童話形式の本ですが、 探偵小説的なスリルと時代への鋭い風刺もあって、
世代を超えて多くの人に親しまれた物語です。 その後、 話題になったのは1999年 NHK で放映された 「エンデの遺言―根源からお金を問う」 と同名の書
(2000年、 NHK 出版) で、 これも多くの読者を得たようです。
今年、 静かに出版されたこの本は、 『モモ』 をはじめとしたエンデの労作を筆者の視点から読み解き、 筆者自身の研究を重ねて、 エンデの思索をさらにすすめたもののように思います。
『モモ』 はそのタイトルにあるように 「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」 です。 物語では、 人々が灰色の男たち
(時間泥棒) に言葉巧みに誘惑され、 余裕のない生活に追いたてられ、 最後にはかけがいのない人生の意味まで見失っていく様子が描かれています。 物語は最後にモモが灰色の男たちに決死の闘いを挑んで勝利し、
人々が再び平穏な時間を得ることで幕を閉じるのですが、 本書の著者は、 主人公の 「モモ」 は 「近代市民社会」 そのものであり、 『モモ』 が書かれたその後の30年をみたとき、
モモは 「物語の終幕とは違って、 灰色の男たちに敗北してしまった」 として、 私達が生きる現代社会の行き詰まりの根本にある時間とお金の問題にせまります。
物語では、 灰色の男たちは 「時間貯蓄銀行」 という不思議なところからやって来るのですが、 本書はそこから時間や 「時間貯蓄」 ということの意味、 あまりに日常的すぎて多くの人が考えようとしないお金のもつ問題にせまっていきます。
そこでは、 様々な哲学者の思索のあとも辿りながら、 先史時代から現代に至る時代ごとの時間意識の違いやお金のもつ根本問題について解き明かされています。 さらに
「お金の商品化」 がもたらす現代社会の問題の克服に挑む試みや運動を 「モモの新しい闘い」 として紹介するとともに、 そうした現代の動きにつながっている
「新しい思考」 の源流にも触れています。
現代生活はコンピューターの利用が日常的となり、 鉄道や通信はますます速く便利になっています。 コンピューターが普及し始めたとき、 私たちは素朴にも、
仕事が短時間ですみ、 人間は自由な時間を享受出来るようになるという、 ほのかな期待をよせたのではないでしょうか。 しかし事態はそれとは全く逆の、 まさに
『モモ』 で描かれた世界-大人は忙しすぎて子ども達にかまえなくなり、 子ども達も次第に 「小さな時間貯蓄家といった顔つきになって」 しまうような方向-にすすんでいるように思えます。
その意味で、 いまほどお金の問題を 「根源から問い直す」 ことが求められている時はないのかもしれません。 エンデ歿10年記念にだされた本書は、 エンデが後の世代に託したものを考える上で大きな示唆を与えているように思います。