『協う』2005年4月号 人モノ地域

「環」を目指す手作りメディア

 環境問題にかかわる情報の共有と集積、 さらに現実に行動するうえでの連携。 これは、 様々な面において顕在化しつつある環境問題に対処するうえで必要不可欠なことだ。 実際、 多くの調査・研究機関あるいは国際的な組織が、 世界各地でこういった大切な役割を果たしている。 だが、 比較的狭いエリアの環境問題を考える際には、 違ったアプローチもあるようだ。 広島県の太田川流域における取組みを見てみよう。
「協う」 編集委員 名和 洋人


「自分達の川」 への危機感
 広島県民約300万人のうち、 半数以上が飲料水として利用している太田川。 この太田川について、 転勤族の多い広島市に東京や大阪から引っ越してきた人たちは、 そこから取水した水道水を飲んで 「広島の水はおいしい」 と感じている。 地元の人たちも 「太田川はまだまだきれいじゃけい」 と言う。
 しかし近年、 太田川の現実に危機感を持つ人々が徐々に増加しつつあるようだ。 実際、 太田川流域では、 それまで見られなかった数多くの異変が頻発するようになっている。 例えば、 人里へのクマの出没、 人命をも奪う土石流の頻発、 河口域における貝毒や悪性赤潮の発生である。 現代は商品経済が高度に発達し、 地球の裏側の産物を居ながらにして手に入れられる時代であっても、 私達の地域社会は地域の河川と無関係ではいられない。 広島の場合も、 人々と太田川との結びつきは決して切り離せない。 太田川流域に住む人々は、 毎日、 太田川の水を飲み、 そこで発電された電気を利用し、 そこに棲む生物を食しているだけでなく、 排水をも太田川に捨てているからだ。 このことを考えると、 さきにあげたような異変の発生は、 特にそこに住む人々にとって深刻な問題である。
 当然、 太田川流域の人々も、 疑問を感じて次第に行動を起こしつつある。 実際、 太田川水系本来の自然に適応した持続可能な地域循環型社会を一歩一歩つくっていこうとする試みは少なくないようだ。 今回とりあげる 『環・太田川』 を編集発行しようとするグループも同様の問題意識から出発している。 しかし、 彼らは具体的な行動を起こす前に、 やらなければならないことに気づいた。 それは、 太田川流域のことを調べ、 いろいろな人たちに会って話を聞き、 太田川にかかわる様々な活動を学んだうえで、 これらを広く発信することであった。
月刊情報誌
『環・太田川』 の誕生
 2000年2月、 太田川流域の現状に危機感をもつ人々の一部が、 以上のような問題意識から新たなメディアの必要性を感じ、 これを創刊しようと立ち上がった。 1年半近くの準備と試行錯誤ののち、 2001年5月に創刊されたのが月刊情報誌 『環・太田川』 である。 B5 版20ページに10項目ほどの記事を掲載するという小誌であるが、 編集方針は相当に骨太だ。 同誌は、 「流域の 『今』 を、 その 『今』 が現れるに至った歴史・背景から掘り起こし、 流域にかかわる人たちとともに、 将来のあるべき姿を議論していく材料を提供」 するという方針を打ち出している。 また、 流域を広くおおうネットワークを形成しようとしている。
 それではより具体的に、 『環・太田川』 がネットワーク化していこうとしているものは何なのであろうか。 それは、 太田川の上流と下流との間のつながり、 農山村、 都市、 漁村のつながり、 暮らしのあり方や心のもち方など面での昔を知る老人と未来を担う子ども達との間のつながり、 研究者と現場で働く人の研究内容のつながり、 等々である。 それは、 これまでの固定化した枠組みを超えた、 人々の新たな結びつき方と言える。 同誌は、 こうしたそれぞれのつながりを大切にし、 具体的な改革への取組みを通じて、 実践的に目的達成のための仕組みを作っていこうというのである。 さらに、 「流域住民皆が読者であり、 また記者である」 ような誌面づくりを心がけたいとのことだ。
 当初の目論見は見事にあたり、 様々な立場の人たちの手による多様な記事がたくさん集まり、 誌面構成も大変におもしろい。 また同誌は、 太田川に関心を持つ人だけでなく太田川を利用する 「太田川市民」 に、 流域の自然や川、 山村の姿を、 過去から現在はもちろん、 未来のことをも視野に入れて、 魅力あふれる文章で発信しているのだ。 一読してすぐに、 同誌が意欲的なメディアであることが、 誌面から伝わってきた。
ちょっと拝見、 『環・太田川』
 こうなると、 どのような記事が掲載されているのか気になるところだ。 最近のものについて見てみたい。
 まず冒頭には、 FM 放送 「ひろしま P ステーション」 DJ の小林一彦氏による刺激的な話題提供がある。 ここ1年間のものをいくつか集めても、 「高齢者、 障害者にはバリアフリーを、 健常者にはバリアトライでいきましょう」 「美的センスアップは地球を救う !! の巻」 「『売れる』 ことは罪なのか」 「ツキノワグマ受難に思うこと」 と、 つい興味をそそられるタイトルが目白押しだ。 その内容は、 太田川流域の問題と常に直接結びついているわけではない。 しかし、 現代社会の底流にある問題に切り込んでおり、 私たちの生活の場を取り巻く環境の問題について、 改めて考えさせられてしまうような話題を提供している。
 さらに、 「写真・絵画で蘇る太田川」 といった連載の中などで、 人の手が大きく加わる前の太田川の姿を探し出し、 人々と太田川のかつての付き合い方を振り返っている。 往時は盛んであった川魚漁、 また川舟や渡し舟の話、 木材を集積して順次いかだに組んだり物資を舟につむ作業を行う回送業の歴史など、 昔の暮らしぶりと太田川とのかかわり方が、 詳しく紹介されている。 これらの記事は、 500名にもなる年配の方々から聞き取った調査をベースにしているというから、 資料として貴重である。 太田川の最下流に位置する広島市は100万都市へと成長した一方で、 川を徹底的に利用し尽くしてきた。 そのため、 流域に昔の面影を見つけることはとても難しい。 写真や絵画を見たり、 かつての太田川を良く知る年配の方々の話しを聞かなければ、 開発以前の太田川の姿を知りえない。 こういった企画から、 流域の昔の生活が実は大変活気にあふれていたことを知ることができるのである。
  「太田川水系の生き物たち」 コーナーでは、 流域において現在あるいはかつて広く見られた、 植物、 魚、 鳥、 などの生き物をとりあげ、 その生態や特徴などをわかりやすく紹介している。 あるとき、 「ここだけは是非カラーで!」 との声があがって、 それ以来、 毎回別刷りのカラー写真を挿むようになったとのことだ。 美しいものばかりで、 写真だけを取り出してどこかに飾りたくなる出来ばえだ。
私達の未来をつくるために
 2004年6月に 『環・太田川』 は創刊3周年を迎え、 記念シンポジウムが開催された。 そこでは、 太田川流域の過去から現在、 そして未来を見据え、 新たな課題を見出している。 その中でも、 例えば、 佐々木健教授 (広島国際大学) が指摘した水源税の導入などは、 検討すべき重要な論点であると思われる。 河川の上流域に位置する山林については、 木材を生産するだけではなく、 水源を維持する機能をも併せて持たせることが必要不可欠であると、 近年ようやく考えられるまでになった。 広島湾のカキ養殖業者などが太田川上流域に植林して、 自らの漁場を守ろうとする活動については 『協う』 前号において紹介したとおりだが、 流域の地域資源の面だけでなく、 資金面でも下流と上流とを結びつけなければならない。
 こうした課題提起の面からも、 仲介役として 『環・太田川』 が果たす役割は大きい。
 以上のように、 同誌は流域にかかわる人的ネットワークの形成を土台に発展してきた手作りメディアであるが、 代表代行の篠原一郎氏によれば、 それゆえの課題も多いとのことだ。 購読料を年間3000円ときわめて低額に設定したため、 印刷実費代をまかなうのがやっとなのだ。 取材・執筆・編集活動はすべて無給のボランティアに頼っている。 そのため、 『環・太田川』 に積極的に参加しようとする人材の確保には、 ずいぶんと苦労されているようである。
 人々の 「環」 が幾層にも形成され、 太田川流域の循環システムをより優れたものへと変えていく契機が、 ますます生み出されることを祈らずにはいられない。
  「協う」 読者の皆さんも、 一度読まれてみてはいかがでしょうか?ということで連絡先を紹介しておく。


■ 『環・太田川』 編集委員会
  事務連絡先
〒739-1734 広島市安佐北区口田3-21-9
篠原一郎方
Tel・Fax: 082-842-6414
E-mail: shino1@fureai-ch.ne.jp
太田川下流堰せきの案内板
多くの被爆者が水を求めて入水した太田川
『環・太田川』 2月号