『協う』2005年4月号 エッセイ

木と暮らす


京都生協
理事長 小林 智子


 町から農村へ住まいを移し、 木の家に暮らし始めて、 まもなく三度目の春を迎えようとしている。 「何もないところへどうして?」 という人がいたが、 この二年間、 四季それぞれの変化に飽きることのない毎日だった。
 春にはうぐいすの声が山に鋭く響き、 夏には裏の杉林にこだまするヒグラシの声を初めて聞いた。 秋には近くの山で取れたという立派な松茸のおすそ分けという思いがけないこともあった。 そして、 ことしの冬は雪がよく降って、 まぶしい銀世界を見ながらのお正月を経験した。
 家を建てるにあたり考えたのは、 まわりの自然があまりに美しいので、 そのなかにとけ込むような家にしたいということ。 「京杉の家」 をコンセプトにした設計事務所にお願いし、 美山の杉を使った家ができあがった。 山の見学会にも参加し、 はじめて山の現状を目で見て知る機会となった。
 いま消費者の中では、 杉が住宅の素材であるという認識はほとんどなく、 美山で杉に囲まれて暮していた人でさえ、 家を建て替える時、 家の周りの杉を使うという発想が浮かばなかったという話も聞いた。 ひとり、 またひとりと少しずつ、 木に親しむ人が広がっていくことを願っている。
 わたしはもう慣れて感じないが、 尋ねてきた人は木の香りがするという。 住み始めてしばらく、 木は大量の水分を出し、 時々 「ピシ!」 と鋭い音をたてて裂けることを繰り返した。 すでに切られ削られ柱や梁となっても、 木は生きているんだと実感する出来事だった。 杉の床板は感触がとても暖かいのだが、 柔らかくてすぐ傷つき、 そこつ者の私にとっては困るのだが、 あまり気にせず、 キズも木の節穴もあるがままに楽しもうと思う。 床にゴロンと寝転がり天井の杉板をながめていると、 自分が自然の一部分であるような感じになるのが不思議だ。
 無垢の杉板は年月とともに色合いが変わるという。 十年先、 木の家の住人とともにどんな色に変化するのか楽しみにしている。