『協う』2005年2月号 コロキウム

鳥インフルエンザ問題を考える
京都府生協連合会 事務局長
坂本 茂

はじめに
 ~食品安全基本法成立後の問題として
 2004年2月27日、 京都府丹波町で高病原性鳥インフルエンザ発生との報道があってから、 はや1年をむかえる。 25万羽という大量の鳥の殺処分、 府職員らによる長期の防疫作業の限界と自衛隊の出動、 近隣養鶏場やカラスへの感染の広がり、 発生農場の会長夫妻の自死、 息子にあたる社長の告発・逮捕……。 このようななかで、 鶏卵・鶏肉の消費は大きく落ち込み、 影響は近県だけでなく全国におよんで、 丹波産・京都産の名のつく商品の多くがスーパー等の売り場から姿を消す事態となった。
 これに先立って、 2003年5月に食品安全基本法が成立した。 わが国の食品安全行政の画期となることが期待されており、 あらたに設置された食品安全委員会がどのような機能を発揮するものか、 注目されていたわけであるが、 高病原性鳥インフルエンザ問題 (以下、 鳥インフルエンザ問題と略す) はその 「実力」 のほどを試す最初の出来事となった。
 本稿では、 鳥インフルエンザ問題を 「どのように認識するのか」、 丹波町を中心とする一連の問題が 「どのような社会的状況のなかで発生したのか」、 行政をはじめとして 「どのような対策がとられたのか」 などについて見ていきながら、 この問題の 「意味」 について考える、 ひとつの材料を提供したいと思う。 読者には、 経過と影響の全体的な概況を冒頭で記さなければならないところだが、 紙幅の関係上、 京都新聞社の調べによる別表を添付したので、 ご了承願いたい。


[1] 鳥インフルエンザ問題をどう認識するか
   ~そのリスク・プロフィール
 鳥インフルエンザのリスク概容について、 最初にふれておきたい。 1点めは近年、 世界中で大発生していること、 2点めは 「人畜共通感染症」 という性格をおびていること (鳥  鳥  人……人)、 そして3点めは、 新型の人インフルエンザ発生への国際的警戒、 である。

 鳥から鳥への感染 京都府丹波町で処分され、 埋却された鳥は25万羽といわれるが、 鳥インフルエンザによる感染被害は日本だけで発生しているのではない。 世界各地で鳥インフルエンザの発生がみられ、 この数年で、 1億羽以上の鶏が死亡ないし殺処分されている。 1997年に香港で120万羽、 1999年にイタリアで1400万羽、 2003年にオランダで3000万羽が死亡ないし殺処分されている。 オランダの場合は、 同国全飼養羽数の3分の1にあたるという規模であった (以下、 カッコ内は死亡ないし殺処分された鳥の羽数)。 ベルギー (270万羽)、 ドイツ (40万羽) でも発生し、 2004年にはアメリカ (8万羽) でも発生、 カナダでは1900万羽が淘汰された。
 2003年12月頃から、 アジア各国で猛威をふるいはじめ、 韓国 (250万羽)、 台湾 (33万羽)、 ベトナム (2700万羽)、 カンボジア (2万羽)、 タイ (1020万羽)、 インドネシア (470万羽)、 パキスタン (170万羽)、 中国 (126万羽)、 ラオス (1万羽) となっている。 日本では発生した4農場の合計で29万が淘汰されたが、 これらと比較すれば、 むしろ小規模にとどまっているといってよい。

 「人畜共通感染症」 としての鳥インフルエンザ つぎに認識しておかなければならない点は、 鳥インフルエンザウイルスが鳥から鳥へ感染するだけでなく、 鳥から人へ感染していることである。 死亡者も出ており、 オランダでは感染者89人のうち獣医師1人が死亡、 タイでは17人の感染者のうち12人死亡、 ベトナムでは感染30人中、 22人死亡と報告されている (2004年12月時点)。 2005年に入って以降もベトナムでは鳥インフルエンザの感染による死亡者があいついでいる。
 中国や東南アジアでは、 鳥は市場で生きた状態で売られており、 その市場の裏に行って血を抜いて羽をバーナーで焼いて持って帰るというのはごく普通のことである。 生きた状態で鳥が販売されている、 あるいはアヒル・ニワトリ・豚などが人間と生活空間をともにしている環境のもとで、 鳥と人とのあいだでの濃厚な接触が日常的に存在し、 また鳥インフルエンザの感染被害がくりかえし発生するなかで、 鳥から人への感染が発生しているのである。
 鳥インフルエンザの人への感染による致死率は高く、 また以下にのべるように、 鳥インフルエンザウイルスが人から人への感染性を獲得した場合は全地球的規模の重大問題となることが予想されるので、 「人畜共通感染症」 という視点からも、 十分な注意を払っておかなければならない。

 新型人インフルエンザへの警戒 もっとも警戒しなければならないのは、 新型の人インフルエンザが生成されることである。 かつて、 人類は1918年のスペイン風邪、 1957年のアジア風邪、 1968年の香港風邪と三たび、 「インフルエンザ・パンデミック」 とよばれるインフルエンザの大流行を経験した。 いずれも発生した新型の人インフルエンザは、 鳥インフルエンザ由来のものとなっており、 それから変異をとげたものである。 人にとってはまったく新しい感染症であり、 免疫がないために、 そのおよぼす被害は甚大なものになる。 航空機の発達等により、 感染のスピード・規模・社会的影響は当時の比較にならない。 あたらしい人インフルエンザが発生すれば、 世界で30億人が感染、 6000万人から5億人が死亡するであろうとの推計もある。 このため、 地域事情により鳥インフルエンザの発生を根絶できないとみられている東アジアにたいして、 国際的なインフルエンザ監視網がしかれている。
 2003年に京都をはじめ近畿圏をも震撼させた SARS (重症急性呼吸器症候群) は、 当初は鳥インフルエンザ由来の新型人インフルエンザの疑いがもたれたものであり、 こうした監視網のなかで発見されたものであった。 2004年3月22日、 京都市内でおこなわれた 「食のリスクコミュニケーション講演会」 (内閣府等の主催) で、 国立感染症研究所情報センター・岡部信彦氏は、 人インフルエンザの今日的段階でのリスク評価として、 「長目の導火線に火がついた状態」 とのべた。 タイでの感染事例の研究によると、 人  人の感染がつよく疑われている。


[2] 丹波町船井農場での
   発生の背景にあるもの
 京都府丹波町船井農場で発生した鳥インフルエンザ問題の端緒が、 養鶏場を経営する浅田農産の対応にあることは間違いない。 問題の発覚は、 内部告発によるものであったし、 それがなければ事態はさらに重大なものになったであろう。 25万羽もの養鶏規模でありながら獣医師をおいていなかったこと、 相当数の死亡鶏の発生を放置しつづけていたこと、 感染の疑いがありながら生きた鳥を出荷したこと、 獣医師に相談したとのウソ発言など、 その社会的な責任はまぬかれえない。 しかし、 そのような行動・対応の背景にどのような問題があったのかについても、 見ておく必要がある。

 鳥インフルエンザ対策の遅れ・欠陥の多い 「マニュアル」 前述したように、 鳥インフルエンザは近年、世界各地で発生しており、 養鶏業界は2001年7月の時点で、 国にたいして対策の強化を要望している。 こうした要望をうけ、 2002年4月に強毒型鳥インフルエンザ専門家会議開催が開催され、 防疫対策要綱指針策定の必要性が指摘された。 そして、 「鳥インフルエンザ防疫マニュアル」 (以下、 「マニュアル」 という) が策定されたのが、 2003年9月である。 鳥インフルエンザの発生にともなってとられた防疫措置は、 農水省の策定した 「マニュアル」 にしたがってすすめられたわけであるが、 この 「マニュアル」 が欠陥の多いものであったことは関係者も多く指摘するところである。
  「マニュアル」 の法的基礎をなす 「家畜伝染病予防法」 は1951年に制定されたものであり、 今日の数十万羽以上規模の養鶏場の存在を想定してはいないし、 伝染病の法的通報義務も獣医師となっていて経営者にあるのではない。 それはさておくにしても、 「マニュアル」 は予防・早期発見の視点がなく、 外国での大規模な鳥インフルエンザの発生とその対策の事例が多く生まれているにもかかわらず、 「規模」 にかんする想定もされていない。 対策は、 家畜伝染病予防法にもとづいて当該する府県知事の責任でおこなわれるものであり、 府県をこえる大規模な被害の発生を想定していない。

 公的研究機関の後退・家畜保健衛生所の統合 こうした対策の遅れの基礎に、 鳥の病気や品種改良等にかんする公的研究機関の後退がある。 養鶏経営の大規模化がすすむなかで、 品種改良をはじめ、 鳥にかんする研究は公的なものから、 「コマーシャルベース」 にシフトしてしまっている。
 鳥インフルエンザ国内発生の第1事例となった山口県では、 2003年12月30日、 農場管理獣医師の要請により家畜保健衛生所職員が立ち入り検査をおこなってから、 死亡鶏が急増し、 鳥インフルエンザの疑いをもって検査を開始するまで10日間を要している。 鳥インフルエンザと判定確認されたのは、 さらに3日後であった。
 多くの府県で家畜保健衛生所の整理・統合がはかられ、 国の研究機関も集約化がすすめられてきた。 しかも、 対象となる家畜は牛・豚が主となり、 鳥の研究は国の機関としては、 肉用鶏が兵庫県龍野市、 採卵鶏が愛知県岡崎市の各1カ所となり、 鳥インフルエンザの判定をおこなうには、 茨城県つくば市にある動物衛生研究所へ検体を送付しなければならない。

 国内発生第1・第2事例による 「楽観視」 2004年1月12日、 山口県で鳥インフルエンザの発生が確認された。 国内発生は79年ぶりのことであった。 山口県は、 ただちに農林水産省策定の 「マニュアル」 にもとづく対策をはじめ、 発生農場から30■圏内に鶏卵・鶏肉等の移動制限措置をとった。 山口県の場合は、 発生が日本海側であったこともあり、 移動制限区域が他県にまたがることはなかった。 つづいて2月17日、 大分県で第2事例が発生した。 大分の場合は、 愛玩用としての少数の飼養であり、 大規模な感染にはつながらなかった。
 第1・第2事例の経過をふまえて、 2月18日に農林水産大臣は、 「家畜伝染病予防法及び防疫マニュアルに基づき、 まん延防止に万全を期してまいりたい」 と、 家伝法と 「マニュアル」 にもとづく対策により鳥インフルエンザの制圧に成功したとの認識をのぞかせ、 早くも防疫期間・範囲の緩和・縮小に着手する旨の発言をおこなった。 農水省の担当者は 「策定した 『マニュアル』 どおりの展開となり、 自画自賛していた」 という。

 戦後最低といわける低卵価のなかで もうひとつ、 指摘しておかなければならないのは、 当時、 卵価が、 戦後統計をとりだして以降、 最低の水準を記録していたことである。 「卵は物価の優等生」 といわれてひさしい。 それどころか、 スーパーなどで客よせのための 「オトリ」 商品の位置づけからぬけられない商材といってもよい。 そうした消費・流通の今日を生み出してきたのが生産部面での大きな変化、 日本養鶏業の企業化・大規模化である。
 現在、 日本で飼養されているのは肉用鶏1億560万羽、 採卵鶏1億7740万羽であり、 養鶏農家戸数は1975年時点で50万戸をこえていたものが、 今日では4600戸を切っている。 かつての農家による 「庭先養鶏」 はごく少数となり、 「企業養鶏」 の時代をむかえ、 1カ所で百万羽をこえる規模の養鶏場もあらわれている。 一方で、 飼養形態も 「平飼い (ひらがい)」 方式から、 「ウインドレス (無窓) 鶏舎」 での 「ケージ (かご) 飼い」 方式が主流となった。 つまり 「ニワのトリ」 でなく、 「カゴのトリ」 から生まれる卵が食卓にあがるようになっている。
 養鶏業は 「ゴールなき規模拡大」 とよばれ、 価格要求にたいして規模の拡大で応ずることによって、 経営を維持してきた。 公表している飼養数と実態のあいだに相当の開きがあることも 「常識」 であり、 需給調整機能が十分はたらいてこなかった。
 2004年年明けから、 卵価は急速な下落をみせ、 経営にあらたな困難・選択をもとめる事態となった。 自死した浅田会長は日本養鶏協会の副会長という地位にあったが、 みずからの養鶏場で鳥インフルエンザが発生し、 その影響とこんごの経営について思いをめぐらしたとき、 自死をもってしか、 選ぶ道がなかったのであろうか。
 上に見たように、 鳥インフルエンザは、 行政の対応や養鶏生産者の管理など対策に 「弱い部分」 があり、 その 「弱い部分」 にウイルスが侵入・感染を拡大していったのである。 こうしたことは、 他の感染症となんら変わるところがない。


[3] 「風評被害」 というが……
   消費の減退をもたらした要因は何か
 鳥インフルエンザの発生をうけて、 鶏肉・鶏卵の消費は大きく落ち込んだ。 「丹波産・京都府産の卵・鶏肉はとりあつかっておりません」 のポスターが小売店に貼り出され、 学校給食についても 「丹波産・京都府産の卵・鶏肉は使用しない」 ことを決めたところもあった。 こうした状況は 「風評被害」 といわれたが、 この問題が 「風評」 = 「うわさ」 に属するものであり、 原因がはっきりしないというわけではないであろう。 生産者サイドからは、 「マスコミ主犯説」 をとる考えも根づよい。 しかし、 筆者は、 「防疫マニュアルじたい」 にも、 その要因があると考えるものである。

 「回収」 をめぐる問題 山口の事例においても京都の事例においても、 発生農場の事業者にたいし、 出荷した鶏卵・鶏肉の 「自主回収」 の行政指導があった。 また行政もその流通を追跡した。 回収作業がすすめられる一方で、 「鶏卵・鶏肉は安全です。 食べて、 鳥インフルエンザにかかったという報告がありません」 という宣伝がおこなわれたが、 「回収しているのは、 安全ではないからではないか」 と消費者がうけとめるのは無理からぬところではないか。 はたして、 「回収」 要請の必要性はあったのだろうか。 一方で、 「心配の方は、 加熱してお召し上がりください」 という宣伝文句もあり、 このことは卵の生食を敬遠させ、 さらには納豆の消費減にもむすびついた。
  「マニュアル」 は、 「食用卵集配センターから出荷された卵、 食鳥処理場等で処理された食鳥肉等については、 県畜産主務課は、 各都道府県の公衆衛生部局等及び衛生管理課と協議し、 その取扱いを決定する」 として、 その判断を発生県にゆだねていた。 山口県は 「念のため」 の措置として、 自主回収を指導したわけであるが、 京都府の場合も同様の対応をおこなった。

 食品安全委員会の見解も不明快 3月9日の時点になって、 食品安全委員会、 厚生労働省、 農林水産省、 環境省の連名で 「国民の皆様へ (鳥インフルエンザについて)」 が発表された。 これを契機に、 一時の過熱的なマスコミ報道は影をひそめ、 鶏肉・鶏卵の消費も回復基調に転ずるが、 回収問題については、 「食品衛生の観点からは、 鳥インフルエンザ発生農場から出荷された鶏卵や鶏肉を回収する必要はない。 家畜衛生の観点から、 生きた鶏等がウイルスに感染することを防止するために、 鶏肉や卵の回収が必要ですが、 その場合における回収を必要とする範囲については、 近く、 専門家の意見を聴いて明確にする」 と、 一部に余地を残した見解であった。
 結論が出たのは、 4月7日であり、 食料・農業・農村政策審議会消費・安全分科会家畜衛生部会第6回家きん疾病小委員会は、 「GP センター・食鳥処理場経由の鶏卵・鶏肉は回収不必要」 とした。 発生農場由来のものであっても、 「回収は必要ない」 ことが明確となったわけである。

 行政責任は大きい 2003年9月に農水省が策定した 「鳥インフルエンザ防疫マニュアル」 は、 多くの欠陥をかかえたものであった。 このことは、 京都事例をふまえて、 相当部分の改定がおこなわれたことでもあきらかである。 発生予防措置、 異常家きん発見時の連絡強化が3月10日時点で改正された 「マニュアル」 に挿入されたように、 そもそも、 警戒・予防・早期発見の視点が欠落したものであったことは先にのべたとおりである。
  「マニュアル」 は、 「発生後のまん延防止」 を基調としたものであり、 「移動制限」 がそのワク組みをなした。 卵の保管、 肉用鶏の増体、 鶏糞の措置、 養鶏生産者への経済補償、 防疫解除過程で発生する問題などは、 欠落していた。
 いわゆる 「風評被害」 にたいしても、 的確・有効に対処できなかったというだけでなく、 「風評被害」 をまねいた要因は行政の側にもあり、 この点での責任は大きいといわねばならないだろう。


[4] むすびにかえて
   ~岐路に立つ養鶏業
 今回、 京都府丹波町で生じた問題を、 「浅田農産 (が起こした) 事件」 と考えるか 「鳥 (が運んだ) インフルエンザによる (自然) 災害」 と考えるか、 また 「鳥から鳥への感染を防ぐことを目的にした出来事であり、 ヒトヘの健康被害にかんしてのものではなかった」 という見方や、 「リスク・マネジメントには成功したが、 リスクコミュニケーションには失敗した」 という見方など、 さまざまな見解がある。 問題をどのように認識するか、 その 「差」 は初動対応だけでなく、 その後の対応についても大きな 「違い」 となってあらわれる。

 京都府生協連の活動 京都府生協連合会は、 2003年12月、 韓国で鳥インフルエンザが発生した頃からこの問題に関心をもち、 「マニュアル」 の不備など、 関係機関にたいし意見提出をおこなってきた。 そうしたなかで、 2004年2月に京都府丹波町での出来事が起こった。 発生報道のあった2月27日当日、 ただちに行動を開始し、 この問題は局地的なものではなく広域的な問題であり、 さらに国際的な連関をもったものとしてとらえ対策を講ずるべきこと、 清浄化へむけた迅速な対応と消費者への正確な情報提供の必要性、 京都府における鶏肉・鶏卵の生産・流通・消費の特徴と対策、 とくに生産者補償などについて、 その日のうちから国・京都府・各政党などにたいして提案・要請行動をおこなってきた。
 京都の生協にとって、 産直卵は牛乳とならんで生協のシンボル商品であることにくわえ、 京都府内における生産の割合が高く、 今回の防疫措置により、 長期間にわたって供給がストップするという事態はまさしく、 大きな 「危機」 であった。 会員生協・近隣生協連への情報提供はじめ、 生産者への支援企画を実施したほか、 鳥インフルエンザ問題の理解と府内産品の消費回復の取り組みをおこなった。
 3月27日に開催した 「鳥インフルエンザに負けないゾ!生産者と消費者の緊急集会」 には、 移動制限区域内の養鶏家だけでなく、 これまで O157 や BSE 問題に直面し、 生協と提携するなかで苦境を脱してきたカイワレ生産者・肉牛生産者なども出席して、 業種をこえた連帯の場となった。 4月15日には、 JA 京都中央会との共催で 「鳥インフルエンザに負けるな!がんばる京都府内養鶏農家を励ますつどい」 を開催。 JA と生協が共同で集会を企画したことは京都の協同組合運動史上、 はじめてのことであった。
 また京都生協では、 移動制限の緩和措置がとられた直後から、 供給を再開し、 生産者とともに飼料メーカー・ヒヨコ生産者・システムメーカーなどがいっせいに店頭で 「私たちは卵が大好きです!」 と利用促進をよびかけた。
 こうした取り組みは、 つどマスコミ各社も大きく取り上げ、 府内に明るいニュースを提供し、 このことが府民の安心感の創出に貢献したと考える。

 日本養鶏業の岐路 多くの生産者は今回の出来事をつうじて、 養鶏業のもつ 「リスク」 ということについて認識をあらたにした。 長期にわたる鶏卵・鶏肉等の移動規制により取引先をなくしたところも多い。 補償問題も残っている。 消費者のもとめる鶏卵・鶏肉とはどのようなものなのか、 これまでどおりの飼養方式でよいのか、 取引先はどうこたえてくれるか、 経営戦略の再検討を余儀なくされている。 現在、 京都の生産者は 「災い転じて福となす」 を合言葉に、 鶏卵・鶏肉の信頼回復にむけて、 衛生管理・品質保証・トレーサビリティ・表示など総合的なシステムづくりをすすめている。
 京都府においては、 この出来事をつうじて、 「食の安心・安全」 の課題が府民生活にもっとも重要なものと認識されはじめた。 生協にとっても、 「感染症」 対応というあらたな課題に直面したのであり、 事業活動上の教訓を引き出し、 備えておかなければならない。

プロフィール
坂本 茂 (さかもと しげる)
京都府生活協同組合連合会 事務局長
1952年生れ
京都生活協同組合 産直・連帯担当
以降、 商品企画室長・理事会室長などをへて、 現職
京都府生産・消費連携推進協議会幹事
NPO 京の農産物あんしんネットワーク理事
京ブランド食品認定事業ワーキング委員

鳥インフルエンザのデータ (2004年4月時点、 京都新聞社調べ)
処分した鶏 22万5200羽 (浅田農産船井農場)
      1万4690羽 (高田養鶏場)
      6880羽 (アリノベ)
延べ作業人員 約1万4000人
処理した鶏ふん 約1万立方メートル
使用した消石灰 約1300トン
出荷された鶏肉 1万5532羽
出荷された卵 約92万6000個
流通した府県 鶏肉6府県 卵17府県
30キロ圏の養鶏農家 1000羽以上37戸
          1000羽未満1250戸
30キロ圏の鶏など 採卵鶏54万1230羽
         ブロイラー 19万5400羽
         アヒル 2万1000羽
         ダチョウ 46羽
車両消毒ポイント 府内43ヵ所
卵の焼却廃棄量 (予定)  1300トン (2000万個)
給食で鶏肉・卵を外した学校 京都34校、 滋賀53校
持ち込まれた野鳥 2162羽
検査したカラス 76羽
養鶏農家緊急融資 相談222件、 申し込み35件
緊急対策予算 府8億円 国1億8800万円
府の対策本部会議 26回
府への相談件数 2724件
府HPへのアクセス 59万9057件
丹波町への激励メール 20通

生産者と消費者の緊急集会
組合員からのメッセージ