『協う』2004年10月号 人モノ地域
もみじの里のジェラートは
自然のおいしさ+人のあたたかさ
新鮮牛乳で作った美味しいジェラート (イタリア語でアイスクリームの総称) が食べられると口コミで評判が広がり、 またたく間に人気スポットになったというお店が、
滋賀県の永源寺にあるという。
京都から名神を経由して八風 は っ ぷ 街道かいどう〈国道421号線〉を1時間と少し。 ここが山あいの町永源寺町。 紅葉の名所として名高い臨済宗永源寺はこのすぐ先だ。
途中にある大きな赤い鉄塔が目印、 と聞き、 山道を少し登る。 まっすぐ行けば愛郷の森キャンプ場。 その途中に池田牧場のアイスクリーム工房 『香想こうそう』
がある。 牧場のアイスクリーム…やっぱりなんだか美味しそうだ。
「協う」 編集委員 中本 智子
ジェラート目当てに1日1000人!
「め~~~」 という羊さんの鳴き声に出迎えられる。 のんびりした田舎のたたずまいだ。 そんな中にログハウス風のおしゃれな建物と、 ちょっとそれとは似つかわしくない古いかやぶきの民家が、
しかし妙に馴染んで仲良く並んで建っている。 靴を脱いで上がるジェラート屋さんは木の香りも新鮮な明るいショップだ。 池田牧場はもともとは酪農専業農家だった。
しかし、 いまや全国からジェラートを目当てにお客さんが来るようになった。 地元の 「コープしが」 でもギフトで扱ったとたんに2年目で人気ナンバ-ワンとなったというのだからすごい!オープン以来休日には1000人を超すお客さんが、
そばとこんにゃくだけしかなかった (失礼!) もみじの里にわんさとやってくる。
ここの売りは何といっても自分ちの牧場で搾った新鮮な生乳。 「ひとつのカップに75%以上の牛乳が入ってる」 そうだ。 しかしそれ以上にこだわりがあるのが、
自然の中で採れた旬の美味しいものをできるだけそのままに、 ここの美味しい空気と景色とともに味わってほしいという思いだ。 そしてこの思いを現実のものにし、
人気ショップを作り上げたのが、 これまでの子育てを通して長年安心と安全の食にこだわってきたこの家のお母さん、 農業生産法人の女性経営者池田喜久子さんなのだ。
野菜の産直がスタート地点
何はともあれ本日のお目当て、 ジェラートをまずは食してみなくては始まらない!!!壁のメニュー表に並んだラインアップはなかなかのもの。 シンプルな‘ミルク’というのから‘近江米’‘しょうが’‘かぼちゃ’‘日本酒’…!などなど約30種類。
どれを食べようか迷ってしまう。 「季節限定お芋のアイス」 や 「近所のおばちゃんとこのゴマアイス」 なども見逃せない。 …いろいろ試食。
「どれも自然のお味がとっても美味しいですね!」 「ありがとうございます。 前は工房の2階でしたけど、 今はゆっくり味わっていただけるようになりました」。
今年で8年目のアイスクリーム屋さん。 始められたきっかけは? 「子供の進学にお金がいる頃、 牧場の近くで少し畑をもらって野菜を作りはじめたんです。 酪農ってけっこう昼間は時間があったし…」。
酪農だけやっていた頃と違って、 野菜づくりを通して、 喜久子さんは 「直売」 という形で今まで知らなかったお客さんとのふれあいを体験することになる。 「この前もらったの美味しかったわ。
今度はこんな野菜が食べたいわ、 って言ってくれはると嬉しくてね」。 いままで知らなかった新種の野菜を栽培したり、 消費者からの反応がじかに伝わってくるという、
これまでの生産者だけだったころには得られなかった販売者としての醍醐味を味わって、 喜久子さんは外の世界への夢を膨らませていった。
牛乳で何かをしたい
「野菜もいいけど、 うちには池田牧場の牛乳というどこにも負けない素晴らしい素材がある。 これを使って何かできないかしら…」。 自分ちの牛乳だもの、
ちょっといただいて何か作ることなどたやすいことだ、 と喜久子さんは考えていた。 しかし、 思いもかけない言葉をご主人の義昭さんから聞くことになる。 「うちだけが勝手なことをすると他の組合員に迷惑がかかる」。
当時、 義昭さんは地元 S 酪農の組合長だった。 搾乳した牛乳はすべてここを通して大手のメーカーに引き取られている。 もしその一部を他のものに勝手に使用すると、
残り物を売る-残乳処理-という扱いになり、 売り値にひびく。 これは組合員全体の問題になる、 というのだ。 いきなりの大きな壁。 しかし、 喜久子さんのやる気が本物とわかっていたのは他でもない組合長であり、
夫である義昭さんだった。 粘り強く酪農家やメーカーを説得し活路を見出してくれた。 牛乳を使ってお客さんとつながりたいという彼女の夢は、 いよいよその一歩を踏み出すこととなる。
息子さんからのアドバイス
喜久子さんは只今55歳。 すでに子どもさんは結婚されているが、 ご長男がとても体の弱い子どもさんだったそうだ。 「食べるものには人一倍気を使って育ててきたんです」。
体のことを考えれば、 自然の味が一番と、 ほとんどの食べ物を手作りしてきた。 だから素材の味を生かせるモノにこだわった。 チーズ、 ヨーグルト、 アイスクリーム…。
いろいろ迷ったが、 前の二つは気候や味のばらつき、 この土地の人の好みなどから考えてちょっと難しい。 しかし、 アイスクリームといってもどんな味が好まれるのか?世は高級志向のリッチなアイスに人気が集まっているようだけれど、
自然な味には少し遠いように思われた。 その頃アメリカに留学中だったご長男が嬉しい情報を伝えてくれる。 「おかあさん、 いまニューヨークで人気なのは低カロリーのアイスミルクだよ。
自然の味がもとめられているんだよ」。 食にこだわって育ててきた息子さんからの力強いアドバイスだった。
モノにも人にも助けられて、
今がある
「何といっても大変だったのが保健所です。 何回行っても許可をくれない。 牛乳だから条件が厳しいのは判るんですけれどねえ…。 10回目くらい行ったかしら」。
最後には、 「検査で1回でも陽性が出たらすぐ辞める。」 と啖呵をきって、 やっとゴーサイン。
それから喜久子さんのこだわりのアイスクリーム作りが始まった。 とにかくジェラートをやるからには本場で勉強をしなくては…と、 単身イタリアへも行った。
歴史は違うが食に対するスローライフの考え方に共感を覚えたという。 こだわりの味は、 お菓子教室に通っていた頃の先生と2人で毎日試作に励んだ。 リキュールの使い方など、
プロの技術を教えてもらったことは大きな自信になった。 素材のほとんどは地元のもの。 野菜を作っていた頃の知り合いが、 今も畑で採れた旬の素材を届けてくれる。
たまたま取材中にお酒を届けに来た京都伏見の酒屋さんには、 ここに食べに来られたのがご縁で、 ジェラートに合う香りのよいお酒をお願いするようになったそうだ。
「私は運がいいんです。 いろんな人に助けられてここまで来たと思っています」。 そんな喜久子さんにもオープンして5年目に危機が訪れる。 仕入れの交渉やさまざまな雑務が彼女にのしかかり、
本当にやりたかったことから自分が遠ざかっているように思え、 外に出られなくなった。 生産者と販売者を同時にこなす難しさ。 しかし 「パイオニアに苦労はつきものよ」
という友人の励ましに、 やり続けることが大事と、 原点に返った。
大地の恵みに感謝して
壁に 「香想」 の想いが掲げられている。 (表紙写真参照) 「香想」 とは香りを想うというところから名づけられた。 それは食べ物の香りだけでなく、 自然の香り、
空気の香り…そして人の香りを感じさせる。 喜久子さんのこだわりジェラートはモノだけでなく、 人という素材を大切にしてきた想いとの結実だと感じた。 苦労が実ってジェラート屋さんは順調に売り上げを伸ばしている。
それでもいろんな素材を試して、 日々新しい味ヘのチャレンジも忘れない。
昨秋、 築160年の民家を移築して 「香想庵」 という鹿肉やイワナといった地元の素材を使った食事処を始められた。 田舎の親戚に来たみたいにゆっくりしていってもらいたいという。 陽の当たる縁側で、 移ろう季節を感じながら、 おくどさんで炊いたおかゆを食べる。 具だくさんのお汁をすする。 時間はひたすらゆっくりと過ぎていく。 帰りがけ、 池田牧場に立ち寄り牛さんにご挨拶をした。 工房でたった今出来たばかりのジェラートをいただく。 いろんな香りが、 ぎゅっと詰まった味がした。
〈池田さんご夫婦〉
〈ログハウス風のお店の入口〉
〈茅葺きのお食事処 「香想庵」〉