『協う』2004年12月号 特集

鼎 談
イタリアの協同組合と日本
イタリア (社会的協同組合) から何をどう学ぶことができるのか

 今年6月の総会記念シンポジウムでは、 いろいろな 「協同のあり方」 が話し合われました。 この協同のあり方を引き続き交流し合おうということで、 今回は 「イタリアの協同組合から学ぶことはできないか」 ということをねらいに鼎談を行いました。 3人の研究者の方々からは、 それぞれ専門の立場から実践現場のお話いただき、 「日本での協同のあり方」 にも引き寄せながら、 率直な議論をしていただきました。


■出席者 川 口 清 史 (当研究所理事長、 立命館大学政策科学部教授)
     鈴 木   勉 (当研究所研究委員、 佛教大学社会福祉学部教授)
     田 中 夏 子 (都留文科大学社会学科教員)


■それぞれのイタリアとの出会い
田中 協同組合の勉強は1980年代半ばの大学院時代から始めました。 当時は、 生協、 農協とちがった新しい協同のかたちとして、 労働者協同組合が注目され始めた時代でした。 被差別部落問題に取り組む人たちや、 偽装倒産と闘いながら自主生産に取り組んでいる方たち、 障害ゆえに労働市場から排除されてきた人たち、 生協の共同購入に端を発して仕事起こしに着手した人たち等、 いろいろなところから労働の協同組合が着目された時代でした。
 私は、 労働者協同組合が、 こうした人たちの求めるものに応えうる社会的道具となるのではないかと思って、 勉強し始めました。 おのずと、 労働者協同組合が盛んであったヨーロッパ、 特にイタリアに目が向くようになったのですが、 最初の頃は何でもイタリアのことを摂取して、 それを日本に紹介するという勉強の仕方をしていました。 しかし一時、 イタリア研究からやや距離を置いて、 数年間、 日本の中山間地の村や町、 つまり市場から排除されている地域や人々の間を学生たちと歩くことに専念する機会を得ました。 そうすると、 イタリアの特徴だと思っていたことが、 日本の農山村にもきちんと存在していたり、 日本やイタリアといった国単位での特徴もさることながら、 一つの国の中での地域偏差や格差構造を見る中で、 あらためてイタリアと日本の両現場を行き来することの意味がわかってきたような気がします。
鈴木 私はイタリアそのものの研究というよりは、 日本の福祉政策や福祉事業運動との比較の視点からイタリアの動向に関心を持ちました。 1年半前に佛教大学に着任するまで20年間は県立広島女子大学に在職し、 その間は障害者の共同作業所の運営に関与していました。 当初の十数年間は無認可で広島市の補助金もわずかだったのですが、 1996年に社会福祉法人格を取得し理事長になりました。 法人認可を受けるには土地や自己資金の確保など大変でしたが、 最終的に認可となったのは市民や市議会の後押しがあって、 市が土地を無償貸与してくれたからです。 また生協との関係では、 1990年に生協ひろしまから 「生協らしい福祉事業のプランをつくりたい」 ということで検討委員会に呼ばれたことが縁で非常勤理事もするようになり、 介護保険制度実施に先立って同生協の福祉事業の立ち上げに協力するという得がたい体験もさせていただきました。
 ところで、 もともと共同作業所というのは協同組合的な運動だと思っていました。 そんな問題意識から、 当時は 「社会的連帯協同組合」 と呼ばれていたヨーロッパ諸国の社会サービスを提供する協同組合運動の展開を知りました。 イタリアに初めて行ったのは社会的協同組合法が制定 (1991年) された後で、 昨秋を含め3回行きました。
川口 私のイタリアへの関心は1960年代まで遡ります。 当時は構造改革、 ユーロコミュニズムが華やかなりし頃で、 トリアッティとかイタリアコミュニズムに対する関心から入りました。 こういう社会変革の道があるのかと、 すごく新鮮でいろいろな勉強をしました。 私自身が初めてイタリアに行ったのは1987年、 京都生協とウニコープ・フィレンツェとの姉妹提携の関係で私も連れていってもらいました。 そのあと95、 97、 99年と3回イタリアに行きましたが、 ほとんど社会的協同組合ばかり見ていて、 生協を見たのは最初のときだけです。 イタリアの生協は非常に巨大な地位を占めているのですが、 協同組合の規模について 「大きいほうが大きいことができる」 とレガ (LEGA:イタリアの協同組合運動の最有力のナショナルセンター、 1886年設立) の人たちが、 かなりの確信をもって言っていたのが印象的です。 もうひとつは、 イタリアも日本も非常に流通部門が遅れていたのですが、 「流通の民主的な近代化を私たちは担うんだ」 と自分たちの社会的役割を位置づけていました。 これも 「さすがイタリア」 と感心したことです。


■社会的協同組合のうぶごえ
 =そもそも社会的協同組合とは?=
田中 社会的協同組合がかっちりと制度的に出来上がってからの話よりも、 それまでどういうプロセスがあったのかというところからお話します。
 社会的協同組合の取り組まれ方は地域によって多様ですからパターン化するのは無理ですが、 ひとつの流れとしては、 ボローニャやフィレンツェという革新自治体で、 元々あった協同組合運動や労働組合運動、 市民運動がベースになって出てきたものがあります。 トリエステでは、 1970年代後半からの精神医療改革の一環として 「社会的協同組合」 の前身が生まれました。 フランコ・バザーリアという精神科医を中心に、 施設収容型の精神医療ではなく、 地域で暮らしの場と仕事を提供しながら治療することが十分可能であり、 そのことによって人間らしい生活ができるのだという思想が打ち出されました。 そして、 どうやって心に病を抱えた人たちと地域で一緒にやっていくのかという模索の中で社会的協同組合が探り当てられたというかたちです。
 一方、 失業問題が深刻な南部とかサルデーニャなどの島嶼とうしょ部では、 若い人たちの失業問題がコアになっています。 私がサルデーニャで1988年にたずねたのは、 大学を卒業しても就労の場がなかった若者たちの取り組みです。 当時は自治体職員への 「合理化」 も始まっており、 自治体職員の側からすると、 これまで市民に提供していたサービスが行き届かなくなったことに心が痛む思いがあったようです。 人不足による行政サービスの低下を憂えた自治体の労働者が、 「図書館でのサービスを一緒にやらないか」 と地元で無業の若者に声をかけていったのです。 図書の整理や古文書の修復という従来のサービスに加え、 若者たちが加わると、 子どもたちへの読み聞かせとか、 学童保育所的な機能を図書館にくっつける等、 これまでにないサービスも生まれていきました。
 もうひとつは、 新しい貧困問題に起因して生まれた社会的協同組合です。 高齢者、 障害者、 子ども、 ホームレス、 薬物依存、 アルコール依存といった、 今まで行政的なサービスでは対応してこなかった人々の“生きにくさ”をどう解決していくのかというときに、 サービス提供者と対象者という関係ではなく、 共に解決していこうという70年代後半にヨーロッパに広がったコミューン運動をベースにした取り組みだと思います。
 そういった各地で始まったいろいろな取り組みですが、 80年代ぐらいになると 「どうも各地で同じようなことをやっているようだから、 連合としてつながってみないか」 という提案が関係者の間から出され、 1981年に初めて社会的協同組合法が提案されます。 そして、 いろんな実践と議論を経て10年後の91年に、 381号法として法制化されるわけです。
川口 社会的協同組合のひとつの特徴は、 ボランティアと正規の労働者協同組合的な職員と利用者という三者の、 ある種のハイブリッドな組織なんです。 そこで印象的だったのはボランティアです。 イタリアのボランティアは、 熟練工で早期リタイアした人たちがやっていて、 たとえば障害者の人たちと一緒になってものづくりをする。 すると、 非常にいいものが効率的にできてくる。 そういう三者の組み合わせによって初めて、 事業体として市場でも競争できるものができてくるというわけです。 これはイタリア的な労働運動の成果であって、 日本ではなかなかそうはいかないだろうなと思っていたのですが、 ここへきていよいよ団塊の世代がゴボッとリタイアする。 そういう職業的な力を持ったボランティア層を事業の中に生かしていくというスキームを日本でも早くつくらないといけないのではないかと思っています。


■人間発達と社会的協同組合
鈴木 私は障害者福祉という切口からイタリアの社会的協同組合を見ていますが、 興味深いのは、 障害をもっている人など社会的に不利な立場にある人が組合員の3割以上を占めることを要件にして認証される B 型の社会的協同組合 (注1) です。 障害当事者が協同組合の方針決定に関与する権利と義務を持っているというわけです。 サービス利用者もサービス提供者とともに組合員になれるのです。 このタイプは 「複合 (マルチステークホルダー) 協同組合」 といわれ、 生協や農協のように消費者や農業者の 「共益」 を追求する 「単一の利害関係者による (シングルステークホルダー) 協同組合」 から、 福祉のような地域住民全体の 「公益」 を追求する組織へと展開する過程で組合員構成が拡大しています。 B 型の社会的協同組合はサービスを受ける人の声を包摂している組織と評価でき、 当事者の潜在能力の発達という福祉の実現に適合性をもっていると思います。
 もうひとつ注目しているのは、 田中さんが先ほど例に出されたトリエステの経験です。 心を病む人たちは加療を要する病者としての側面と、 仕事や生活のしにくさという障害者の側面をもっています。 ですから精神病院を解体しても両側面への措置が必要であり、 病者としての側面への対応は、 救急精神医療も含めて地方自治体が責任を果たしています。 また、 生活のしにくさという障害に対して、 仕事や日中活動の場と住まいの保障を担ったのは、 以前は 「就労協同組合」 と日本語に訳されていた社会的協同組合でした。 いま日本でも脱施設化が言われていますが、 これにはイタリアのトリエステの試みを総合的に勉強しておく必要があると思っています。 かつてアメリカで巨大な州立の精神病院を解体したところ、 大量のホームレスを生み出し、 多くはマフィアなど闇社会の犠牲者になったといわれていますから、 わが国の場合もイタリアのような受皿を用意しておく必要を感じています。
 障害者福祉と協同組合についてもう少し付け加えますと、 70年代はじめに日本の共同作業所の第1号の 「ゆたか共同作業所」 (1969年設立・名古屋市) を訪れたとき、 知的障害をもつ人たちがダンボールの組立作業をしていましたが、 感動したのはみんなが実に楽しそうに働いていたことです。 もうひとつは、 いったい誰が職員か分からなかった (笑)。 みんな一緒になって働いていた。 そこの職員たちは福祉施設に勤めていて、 その管理主義的運営に嫌気がさして辞めてきたというような人たちで、 「障害者と一緒に働いて、 一緒に未来を創っていく」 という想いがありました。 これはまさに 「協働」 の芽だったと思います。
 これもそこで聞いた話ですが、 最初は 「障害者を働かせるとは何事か。 障害者に安楽に過ごしてもらうのが福祉だろう」 と怒っていた地域住民が、 障害者の生き生きと働く姿を見て支援者に変わっていったというのです。 日本の場合、 共同作業所は協同組合法制の不備もあって協同組合の一種とは思われていないのですが、 内容的にはイタリアの社会的協同組合と同じようなことをやってきているんだというのが率直な感想です。

(注1) イタリアの社会的協同組合には A 型・B 型があり (AB 型もある)、 A 型は 「社会福祉、 保健、 教育等のサービスの運営を担う協同組合」、 B 型は 「社会的不利益を被る者の就労を目的として農業、 製造業、 商業およびサービス業等の多様な活動を行う協同組合」 と法第1条で定義されている。 その他、 「社会的不利益をこうむる労働者の数が報酬を受ける労働者の30%を下回らない」 (第4条) 等も盛り込まれている。 詳細は田中夏子著 『イタリアの社会的経済の地域展開』 (日本経済評論社 2004年) 第3章などを参照。


■イタリアの南北問題
川口 イタリアは北部と南部ではずいぶんと違いますが、 私は北部しか見ていないので、 両方とも見ている田中さんにぜひ、 南北のコミュニティの違いが社会的協同組合にどう反映しているのか、 お聞かせいただきたいのですが。
田中 北部の場合は、 たとえば構成メンバーを見ても非常に多様です。 そもそも社会的協同組合は、 就労組合員だけで6種類くらいに分かれ、 そのほかに利用組合員やボランティア組合員、 財政支援だけの組合員がいます。 さらには自治体が理事組織に加わってきたりということで、 制度的に地域のいろいろな人が関われる仕組みができています。 北部の社会的協同組合は、 その多様な構成を運営上も積極的に取り入れているようです。 こうした多様性の確保は、 各地の実践がまず先にあり、 一定のかたちになってきたものを制度が後追いし、 理論的な組み立てをしたという経緯です。 ボランティアの関わりを重視するというのも、 カトリック文化の強い北の特徴かと思います。
 南部はもう少しシンプルな成り立ちです。 目の前の問題を当事者がどうやって解決していくのか、 その当事者の奮闘を見て周りに支援者がだんだんと育っていく、 という協同組合の原点のような姿があります。 ただ、 失業率が高いという背景があり、 ボランティアの余裕がなく、 ボランティア比率は南部では下がります。
 また南部では、 戦争直後の1950年代から開発政策の中で協同組合をつくることが位置づけられてきており、 社会的協同組合ではなくても、 たとえば農村女性の起業支援をするようなタイプの協同組合をはじめ様々な協同組織があります。 そういう中で、 女性たちが介護の社会的協同組合をつくり、 着実に伸びているという例もあります。 協同組合が主催するヘルパー講座に地元の女性たちが参加して、 「こんな面白い勉強をしたことがなかった」 と声をはずませる。 家に帰って 「今日はこんな勉強をしたのよ」 と教材を食卓に広げて家族に話す、 家族もみんなでそれを聞く、 私はそんな光景を目の当たりにして、 女性の社会参加と家族関係の変化という効果も生まれていることを感じました。
 あと、 自治体の力量もかなり重要です。 社会的協同組合は1991年に国レベルで法制化される前に、 州レベルでかなり先行していろいろな制度がつくられています。 イタリアは州の権限が非常に強く、 州レベルのものが出揃ったところで、 「国レベルでやろうか」 という感じです。 つまり地方自治の分権構造が、 地域ごとの社会的協同組合の様々な挑戦を、 国に先んじて認知できる環境となっていたわけです。


■外部委託と評価問題
鈴木 福祉行政のところで気になっていることがあります。 それまで行政がやっていた福祉サービスを社会的協同組合に委託していくわけですから、 行政のサービス評価能力が失われてしまうという心配がでてきます。 日本でも民営化が進み、 分野によっては自治体の直営事業がなくなるなどの問題が生じていますが、 そのあたりをイタリアはどうしているのでしょうか。
田中 サービス水準をどう陶冶していくのかということに関しては、 レガも CGM (注2) も意識的にイノベーションということを打ち出しています。 社会的協同組合の特徴は一般に 「小規模」 「地域密着」 「専門性」 等とされていますが、 レガの場合、 特に専門集団としてどれだけ優れたものを出せるかということを強調しています。 ですが、 ご指摘のように自治体の中には、 「職員合理化」 の中で、 委託した事業がちゃんと遂行できているのか、 チェックや評価をできる人が少なくなっていますから、 自治体の担当者と協同組合の事業連合がタイアップして評価システムをつくっています。 とはいえ、 協同組合がイニシアティブをとっているので、 どこまで自分たちに厳しい評価になっているのかは分かりません。 ただ、 就労支援に関してはかなり成熟したモデルを出してきています。

(注2) CGM は、 1987年に2次レベルの協同組合組織として設立され、 個々の協同組合の連合会ではなく、 (州や大都市の) 地方連合によって作られた全国レベルのネットワーク組織のこと。

川口 イタリアの福祉サービスの水準はすごく遅れていて、 おそらく日本よりも遅れているのではないかというのが私の印象ですね。 ボランティアとか住民の参加という点ではすごいものがありますが…。 スウェーデンなどは逆に水準は高いけれども 「専門家支配」 という問題が起こり、 そこで 「住民参加」 の必要性が出てきています。
鈴木 イタリアでは日本より遅れている面もありますが、 私はかなり総合的に対応しているなという印象があります。 精神病院解体のケースが典型ですが、 精神障害をもった人たちが普通に暮らそうと思ったら、 どうしても医療とともに住まいや働く場が必要になります。 低水準の部分があっても、 そういう人間生活のニーズを分断しないで対応するというトータリティのようなものがイタリアにはあると思われます。


■労働を通して 「参加」 すること
鈴木 よく 「スウェーデンでは」 とか 「ドイツでは」 とか言われますが、 たとえばスウェーデンのケアを要する障害者や高齢者などの住居のスペースは、 とても広く機能的です。 しかしそれは福祉政策というより、 住宅政策としての最低保障水準なんですね。 2DK に5人家族がひしめいているような日本とはかなり距離があります。 そこを抜きに 「スウェーデンでは」 と言われても虚しさを感じることがあります。 その意味では、 イタリアと日本は共通する福祉課題とその改善に向けて同じような営みのある国だと思うのです。 しかし、 協同組合の整備状況では相当違います。
 新貧困層の問題で言うと、 たとえば薬物依存とかアルコール依存は、 失業率が高くなれば当然増えてきます。 未来を失った人たちは身体や精神に障害がなくても“生きにくい”。 これはイタリアでも日本でも同じですが、 日本では基本的に障害者手帳を持たない新貧困層は福祉事業の対象とはなりません。 イタリアでは社会的協同組合が新貧困層の人間的な暮らしを実現するために果敢なチャレンジを続け、 それを行政が追認して費用保障をするという実践が生まれている。
 その点、 日本は立ち遅れているのですが、 新たな挑戦は生まれています。 一例をあげれば、 いま引きこもりの問題が大きな社会問題になっていますが、 この問題で和歌山では共同作業所というかたちでの実践が始まっていますし、 他の地域でも労働を通しての社会参加の場をつくろうという試みがあります。 いま日本の協同組合法は労働者協同組合の法制化をめぐっていろんな議論が始まっていますが、 引きこもり問題での実践例のように、 「労働を通して社会参加する」 という芽を育てるような法制化こそ望まれると思っています。


■非営利・協同の次のステップを考える
川口 おっしゃるように、 福祉国家という点では北欧と日本のあいだにはものすごい距離があります。 一方で、 いまの日本は構造改革で 「市場万能主義」 「効率至上主義」 です。 しかし誰もそんなことは信用していません。 それではどうすればいいかということで、 NPO とか新しい協同組合という非営利・協同に注目が集まっているんですね。 じゃ、 どういうふうに私たちが非営利・協同の力をつくりあげていくのかと考えたとき、 イタリアの社会的協同組合の活動はとても参考になるわけです。
 いま日本の事業型 NPO は踊り場に来ています。 年商2億、 3億円という規模になると、 マネジメントに限界がくるんです。 NPO というスキームはアメリカから採り入れたのですが、 このアメリカ的な行き方ではうまくいかないところがいっぱい出てきています。 そういう中で 「出資型非営利法人」 という議論が出はじめています。 いまの NPO には出資という発想は全然ないのですが、 やはりある程度の事業展開をしようとしたら出資しないとできない。 そうなると、 これはもう協同組合です。 だからいま協同組合というスキームを NPO の議論にどう取り込み、 新しい議論にしていくのかが大きな課題になっていると思います。 その意味でもイタリアの経験についてもっと議論していかないと、 日本の非営利・協同が次のステップを踏むのはなかなか難しいのではないかと思います。
 また、 事業を大きく展開するためにはマネジメント力がないことにはどうしようもありません。 そのマネジメント能力を持つ人材をイタリアではどう蓄積してきたのか。 これは研究課題でもありますが、 私の印象としては、 やはりイタリアのこれまでの分厚い社会運動が生み出してきたのではないかと思っています。 いろいろな社会的協同組合の人に 「以前は何をやっていましたか」 と聞くと、 「労働組合の書記をやっていました」 とか 「協同組合をやってました」 という人が多かったんですね。 日本の大きな福祉 NPO でも、 同様に聞くと 「生協の理事をやっていました」 という人はけっこう多い。 マネジメント力というのは机の上で勉強してもなかなか身につかないんです。 そのように生協の持っている社会的な責任を考え、 生協でマネジメントを身につけた管理職や理事がどんどんと出てきて支えていこうという仕組み、 NPO のマネジメント支援のための NPO をつくるとかが欲しいところですね。
鈴木 私が気になっているのは生協や農協などの協同組合が参入している介護保険事業の問題です。 協同組合陣営から介護保険に対する統一的な改善要望書が出されましたが、 問題は介護保険サービスの供給者の立場でしか発言していないことです。 生協なり農協なりの組合員で介護保険を利用している人は相当数いるわけですが、 そういう利用者の立場の反映が見られません。 これと関連して、 以前調査した生協のパートヘルパーたちは 「生協もふつうの会社と変わらない」 と言われるんですね。 もちろん介護保険自体がもつ問題があるので、 生協とはいえ全てのケアワーカーを常勤のトレーニングされた人たちで揃えるわけにはいきません。 しかし、 協同組合としてのミッションはどうなっているのかと問いたいですね。 利用者の要望を受けとめないような協同組合の介護保険事業が規模的には伸びたとしても、 供給サイドの発想だけでは非常に歪んだ展開になりかねない。 いま改めて 「協同組合って何だったのか」 という問いを発する必要があると考えています。 協同組合が介護の問題、 くらしの問題で市民の民主的協同を強める拠点としてとらえられないと、 それこそ 「転落の踊り場」 になりかねないと危惧しています。


■イタリアから何をどう学ぶか
田中 イタリアから何をどう学ぶのかという点ですが、 二つのことを言いたいと思います。 ひとつはイタリアの戦後社会のつくられ方に遡って確認しておく必要があると思います。 イタリアの戦後社会は、 「なぜ自分たちの社会はファシズムに巻き込まれたのか」 という疑問・反省から始まり、 反集権的な社会構成をつくってきました。 そして、 職場には工場評議会、 地域には住民地区評議会、 学校には学校評議会というかたちで、 参加と自治の力を陶冶していくための拠点づくりに早期から取り組んでいます。 それらが土壌となって、 その結実のひとつが社会的協同組合というかたちなのだと思います。 つまり、 社会的協同組合やそれに準じた非営利団体を量的に増やしたり、 パートナーシップの事例を採り入れたりといったことが重要なのではなく、 社会的協同組合が認知され、 成り立ち、 発展しうる社会的土壌をどう作っていくか、 という視点でイタリアを学ぶ必要があると思います。
 もうひとつは、 最初の点と比べてやや技術的なことになります。 いま日本でも急ピッチですすんでいる指定管理者制度 (注3) の問題にどう対応するかという点です。 イタリアの労働組合で話を聞いたときに、 「社会的協同組合の広がりを労組としてサポートしてきたが、 本当に自治体や公的主体の直営ではできなかったのかという問いかけが弱かった」 といっているんですね。 公務労働者の労働組合の反省点として、 非営利ということでどんどん外部に委託されていっているが、 それはやがては市場化をにらんだ非営利かもしれないということの見通しがやや甘かった。 直営だと採算が悪いとかサービスが悪いとか言うけれど、 本当に直営ではだめなのかという問いかけが弱かった、 としているわけです。 ひるがえって日本では、 例えば都内の公立幼稚園等、 ゆくゆくは市場化をにらんでいるけれど、 手始めとして非営利を活用する、 といった形の外部委託が始まっています。 指定管理者制度に遭遇した時、 非営利にとっては入札や契約の面で有利な条件をどう作るか、 という議論から出発しがちですが、 公務労働者の仕事の行き詰まりや悩みをきちんと捉えるところに遡って、 直営・委託のあり方を地域で議論することが重要だと思います。 このあたり、 イタリアの労働組合の経験や反省から学ぶべき点は多いと思っています。

(注3) 2003年地方自治法の改定で、 地方公共団体は条例により、 指定の手続、 管理の基準、 業務の範囲を定めて指定管理者に 「公の施設」 (市民利用施設) の管理を行わせることが可能となった (法改定前に委託化していた 「公の施設」 については3年以内に直営にするか、 または指定管理者制度に変更しなければならない)。 地方公共団体は 「公の施設」 を管理する直接的な主体から退く一方、 指定管理者は管理権限が委任され直接的な管理主体 (「委託」 から 「代行」) になる。

川口 最後に、 私は今日の話には二つのポイントがあったと思います。 ひとつはイタリアから何を学ぶか、 もうひとつは社会的協同組合を学ぶということです。 社会的協同組合は、 日本の私たちが注目している以上にヨーロッパで注目を集めています。 アメリカで発展してきた NPO とヨーロッパで発展してきた協同組合の違いを超えて新しいサードセクター (企業や政府でない組織の総称、 非営利・協同セクターのこと) の中核的な組織として位置付けられるようになっています。 それは 「NPO か協同組合か」 ではなく、 NPO でもあり協同組合でもある組織だからです。 というのは、 NPO はボランティアによる公益組織、 協同組合は自助による共益組織とされてきたのですが、 社会的協同組合はその両方を持つハイブリッド組織であり、 その両方のよさを生かせる組織だからです。 社会的協同組合はイタリアの創造した革新的な社会組織ということができます。
 もうひとつのイタリアから学ぶことは焦点が拡大しすぎますが、 イタリア社会が日本と同様、 さまざまな遅れた点を残しながらも、 伝統と自然を大事にしています。 そうしたものを基礎にして社会運動として協同組合を展開していることは、 今後ともぜひ学んで行きたいものだと思っています。