『協う』2004年10月号 コロキウム
若者のニーズと労働者協同組合
日本労働者協同組合連合会
センター事業団
高成田 健
1、 職業訓練から見る若者の現状
「高校を2回中退しました」 「営業の仕事を先日辞めて受講しています」。 これは平成16年5月6日に開講した企業組合労協センター事業団の習志野教室での参加者の自己紹介である。
ここには、 さまざまな経歴を持つ18歳~31歳までの若者19人 (うち14人は女性) が参加した。 この教室は、 雇用・能力開発機構 (旧雇用促進事業団)
の千葉センターから労協センター事業団が受託した職業訓練委託講座 「コミュニティービジネス起業家コース」 (3ヶ月講座+2ヶ月実習付き) である。 失業している人を対象に就職を目標としたもので、
ハロ―ワークを通じて一定条件を満たしている雇用保険受給者であれば、 雇用保険をもらいながら受講することができる。 受講料はテキスト代を除き無料で、 交通費に関しても全額支給される。
但し、 上記の雇用保険受給の条件を満たしていなくても、 ハローワークが受講を認める失業者に関しては、 交通費は自己負担になるが受講することができる。 習志野教室では5人が5ヶ月間の交通費を自己負担して通っていたが、
大半は、 ごく最近まで一般的な会社で営業や事務の仕事をしていて、 そこを辞めて参加してきた若者である。
今回受講した多くは 「このまま自分は一生この会社で働けるのか」、 あるいは 「働くのか」 という疑問を持ち、 自分が一生働くことができる、 そしてやりがいを持てる仕事に就きたい、
という想いを抱いての参加であった。 しかし、 その大半は、 ただ漠然と福祉の仕事に就きたいとの想いだけで、 これまで福祉に携わった経験もなければ、 基本的な知識もほとんどないまま参加してきているのが実態である。
実際、 福祉といっても高齢者福祉や障害者福祉などいろいろあり、 また高齢者福祉でも施設や在宅の2方式があり、 施設についても多様な種類があるわけだが、
そうした基本的なことも知らずに来ている。 そして、 仕事を辞めてまで来て大丈夫だったのかと、 こちらが心配するような人が何人もいるという状況であった。
また、 受講生のほとんどは独身か、 あるいは結婚していてもこどもがいない人たちであり、 地域福祉だとか、 相互扶助だとか言っても、 実感が涌きにくいということもあった。
こうした若者に、 どのように理念や情熱を持って就職に向ってもらうかは大きな課題であり、 雇用・能力開発機構の人からも 「若者向けのコースは、 勉強していてちょっとでも自分と合わないと感じたり、
ついていけないと思うと途中で辞めてしまう脱落者が多く、 また実習に入っても職場関係や自分の就労イメージと合わないと、 すぐに辞めてしまう人も多いので気を付けてください」
と言われていた。
そうした厳しい条件のなかでのスタートではあったが、 全員が無事5ヶ月の受講を終えて、 この9月27日にめでたく修了式を迎えることができた。 特筆すべきは、
全員が最後まで受講しつづけたことと、 毎回の出席率の高さにあった。 これは日々の講義で福祉の現場に携わる講師の想いを知り、 協同組合という横の組織とそのネットワークを肌で感じたことや、
幾つかに分けていたグループの中での支え合いや、 事業計画の共同製作などが大きな力になっていると思われる。 開講している主体が協同組合であることに加え、
実習先もほぼ協同組合であり、 そこで働くひとりひとりの温かい気持ちと、 その気持ちを体現できる職場やサービスの実態に触れることができたからこそ、 こうした結果に繋がったのだと思っている。
2、 若者の失業問題がクローズアップされる中での労協センター事業団の取り組み
労協センター事業団は、 これまでホームヘルパーの養成講座を全国で展開し、 現在までに約4万人の修了生を地域に輩出してきている。 そして、 これらの講座を単なるヘルパーの養成にとどめず、
受講生が 「自分の住む地域を安心して暮らせる地域にすることの意義を発見する」 ために、 さまざまなサービスの拠点 (地域福祉事業所) を自分たちで作ろうと呼掛けている。
それは、 労協センター事業団が仕事起こしの協同組合であることによる。 その結果、 これまでに全国各地で100ヶ所を超える福祉事業所が誕生した。 そのほとんどは、
受講生の約7割を占める40~60代の女性が中心になり、 4~5人のまとまりの中で 「じゃあみんなのちからを合わせてやってみようかしら」 という雰囲気の中で、
労協が全面的に支援して立ちあがってきているものである。
労協センター事業団では、 こうした経験を重ねる中で、 ヘルパー講座を基本となる2級ヘルパー講座 (130時間) に 「仕事起こし講座」 (2~30時間)
を加え、 受講生が自分たちで地域福祉事業所を作りやすいように改良してきている。 講座全体の流れは、 最初に2級など福祉の資格が取れる講義を行い、 その後現在の雇用情勢や企業の実態、
そして協同組合や NPO について詳しく学び、 加えて協同組合や NPO を実際に立ち上げて現在実践している人の話を聞き、 最後はグループに分かれ自分たちで地域福祉事業所の計画をつくるというやり方をしている。
基本のヘルパー講座についても、 専任の講師を抱えて一から十までテキスト通りにやるのではなく、 実際に福祉現場で働く人たちから福祉の現状や、 その人が何故いまの仕事についたのかなどの想いや体験談を含めて講義を行ってもらっている。
また、 講座では介護技術や高齢者の心理・体の構造・疾病などを主に学習するが、 そこにも 「受容と共感」 ・ 「自立支援」 というテーマが講座の最初から最後まで流れている。
それは相手の気持ちを理解し、 自分の気持ちをどう伝えるかというということであり、 介護とは相手のお世話をすることではなく、 相手の出来ることは尊重してそれをやってもらい、
出来ないところをサポートするといったことを学び取ってもらうことである。 これらは、 地域が分断され、 IT 化が進む今の日本社会において希薄になっている人間関係=コミュニケーションの重要性を再認識させ、
人間関係をつくる力を育成するものでもある。
説明が少し長くなったが、 労協センター事業団は、 こうした理由からヘルパー講座を 「上級講座」 として、 人間発達や仕事起こしの講座に改良・発展させ、
各県や雇用・能力開発機構に職業訓練講座として営業するなかで、 全国でその実績が評価されて、 採用されてきた経過をもつ。
いま、 若年層と呼ばれる30歳以下の若者の失業問題がクローズアップされる中で、 職業訓練講座においても、 従来の3ヶ月の講座に加えて、 現場実習も行うデュアルシステムと呼ばれる講座も募集するようになってきている。
労協センター事業団は、 自分たちで現場も持ち、 かつ講座もできるという有利な条件や、 これまで地域で培ってきたネットワークを生かして、 NPO や非営利・協同の団体に講師や実習の協力をもらい
「コミュニティービジネス起業家コース」 を開発してきたが、 若者を対象としてこうした取り組みを今後も一層積極的に広げなければならないと考えている。
3、 私の地域福祉事業所づくり
私事で恐縮だが、 私は大学卒業後の平成9年に労協センター事業団に就職し、 最初の2年は病院の清掃や生協の物流現場に携わっていた。 介護保険が始まる1年前に千葉県習志野市で地域福祉事業所を作れと本部から言われ、
その当時設立して間もない千葉県高齢者協同組合の習志野・八千代地区の人達と協力して、 「ならしの地域福祉事業所ぬくもり」 を5人で設立した。 介護保険の話もまだまったく出てない状況の中、
とにかく地域のお年寄りが安心して来れる場所 (デイサービス) を作ろうとはじめた。 当時はまだ福祉が措置制度の時代であり、 自分で料金を払ってまでそういう場所に来ようという人はほとんどなく、
開店休業のような状態が半年間くらい続いた。 赤字の垂れ流しで全国の仲間に迷惑を掛けている状態であり、 毎月本部に出向いて事業を継続するか、 閉鎖するかを検討することが続いた。
それでも、 必ず小規模 (「ぬくもり」 は10人以下のデイサービス) で家庭的な雰囲気の場所は必要だと信じ、 運営資金を少しでも捻出するために内職を含めて、
みんなで清掃やチラシ配りなどさまざまな仕事を行い、 デイサービスの営業を夜遅くまでやっていた。 後から聞いた話では、 あの当時近所で若い男性 (私) がなんだか怪しげな営業をしているという噂が立っていた、
という冗談にならないような笑い話もあったくらいなのである。
その半年後、 1人の方がデイサービスを利用してくれたのをきっかけに、 利用人数は少しずつ増えてきたが、 その後の展開は予期せぬものであった。 それは1日預かってもらうだけでなく、
家に来て援助してほしいと言われ、 ヘルパー派遣を始めたことがきっかけであった。 お弁当を届けてほしいと言われると弁当の宅配サービスを始め、 庭の草取りや粗大ゴミを捨ててほしいと言われるとなんでも屋を始め、
送迎が困っていると聞くと送迎グループを作る、 といった具合である。 こうした経過からもわかるように、 最初から複合的なサービスを展開する意図でサービスを始めたのではなく、
どちらかというと事業を継続させていくためには、 どんな地域の要望であっても断らずに対応しようということで進んでいった側面が強かった。 1年後には介護保険制度が始まったが、
これも主として事業として継続していくために、 きちんと収入が得られるなら介護保険指定事業者にもなろうという意識で移行していったのである。 当然従来の自費で行うサービスも継続していきながらということであった。
対応する制度がないときには、 自らその制度をつくるなどもしてきた (例えば送迎のニーズに対しては互助会を作り、 会員内のサービスという形で運行)。 5年経った今では、
事業所全体で40人くらいの人が関与し、 年間事業高約6千万円の事業所にまでなったが、 とにかく地域のニーズを拾い、 それにいかに応えるかを念頭に、 無我夢中でやってきたというのが実際なのである。
4、 地域福祉の仕事に喜びとやりがいを
なぜこのような形で私たちが複合的なサービスを展開する必要を自覚した理由は、 高齢者あるいは障害者福祉には、 使いづらい縦割りのサービスが多いということが実践を通じて学びとったからである。
例えば介護保険ひとつ取ってみても、 年齢や身体状況によって細かく分類され、 制限されたサービスしか使うことができないのが現実なのである。 サービス事業者にしても、
デイサービスやヘルパー派遣などがそれぞれ分類されていて、 いちいち契約を交わすことが必要となる。 利用する側から言うと、 確かに介護保険制度導入によってサービスを選択するということはできるようにはなったが、
ヘルパーは A 社、 デイサービスは B 社、 ケアマネジャーは C 社と、 大きい施設を持っているような団体を利用する以外は、 いくつもの契約を結ばなくてならない。
これは高齢者にとって大変な負担となる。 しかも大きい施設のところはそれだけ大勢の利用者を抱えなくては採算が合わず、 その分ひとりひとりに対するきめ細かさは失われることになる。
高齢者はひとりひとり身体状況や疾病の状況が、 また家庭や住んでいる地域の環境が違う。 介護は100人いれば100通りの支援策が必要なのであり、 画一的なマニュアルが通用しにくい仕事である。
そういう状況の中で私たちは、 成り行きや結果としての側面もあるが、 単一のサービスを広い地域でやるのではなく、 複合的なサービスを狭い地域で展開する事業所づくりを目指したのである。
もうひとつ、 私がデイサービスで大切にしたのは自分 (介護する側) 自身が楽しめる介護をやろうということである。 私は、 学生時代に知的障害児を月1回日曜日に連れだして、
その子のお母さんに1日でも自由になる時間を作ろうという、 学生サークルに所属していたことがある。 連れ出す日は動物園や公園などに出かけて子どもと一緒に遊ぶが、
その時に学んだのは、 どうすれば子どもたちが楽しめるかを考えるより、 自分が楽しいと思うことを一緒にやった方が、 かえって子どもたちも楽しいということであった。
人間誰しも、 やっている本人が楽しくないのに 「これ楽しいでしょう!?」 と愛想笑いされても、 楽しくないものである。 そういった経験があったのでお年寄り相手でも通じるのではないかと考え、
デイサービスでも 「おもしろくもないのに愛想笑いをしたりするのはやめよう」 と言い続けている。 またデイサービスのプログラムにしても、 「よく他の施設でやっているような風船バレーとか単純な折り紙とかはやめよう」
と、 「スタッフが自分がやっても楽しいことをやろう」 と言って、 押し花教室や習字教室、 あるいは外に出て近隣のバラ園に行ったりヨーカ堂に行き買物に行ったりと、
お金も人手も掛かるが一人ひとりが楽しめるものをやるように心がけてきた。 ある時、 利用されている方から、 「私は大きい施設で50人まとめて面倒見てもらっていたけれど、
何も面白いことはなかった。 でもここは本当に楽しい。 人としてみてもらっている」 と言われたことがあったが、 その時に 「本当にこの仕事を追及してきて良かったなぁ」
とつくづく感じたものである。 結局私自身もこの仕事を通じて、 高齢者からいろいろな昔の話を聞くことや会話を通じて、 人間としての生き方や尊厳ある対応について考えさせられ、
家族や地域の大切さを学んでいる。 そして自らの仕事が喜びとやりがいあるものに変わっていったのである。
5、 協同組合によるコミュニティービジネスと若者
現在、 労協センター事業団には大勢の若者が参加して来ている。 私が入団した当時は各事業所に一人いるか、 いないかといった具合であったが、 複数の若者がいる事業所も増えてきている。
雇用情勢の厳しさということが大きな要因ではあるが、 労協センター事業団が本当に地域福祉のことをやれるようになったことも、 若者が増えてきた大きな要因と思われる。
これまで20年間、 労協センター事業団は理念としては 「地域に役立つ仕事起こし」 と 「安心して暮らせるまちづくり」 を謳ってきたが、 実際には病院清掃や生協物流などの仕事がほとんどで、
福祉に直接携わるような仕事はできていなかった。 しかし現在、 東京を中心に各地で公的な福祉サービス (宅老所、 介護予防事業、 学童保育や子育て支援など)
の委託を次々に受けるなど、 さまざまな形で地域福祉の事業所を展開できるようになってきている。 そこに、 いま若者たちが合流してきている。 競争社会に勝ち残るための教育をされ続けてきた若者の中から、
それに疑問感じる人たちが合流してきているように思える。
コミュニティービジネスと呼ばれる、 高齢者・障害者・子ども・食・農・環境・リサイクルなどの事業が、 今後地域で発展するといわれている。 こうした地域で個別の対応が求められるような事業分野では、
今後も NPO や協同組合が非常に有利に展開できると思われる。 その理由は、 先ほどの高齢者デイサービスの例からも分るように、 この事業分野ではこれまでの規模の経済に働いていたスケールメリットや効率とはむしろ逆のことが求められるからである。
細かいニーズに対してはきめ細かく複合的にサービスを供給していくことが求められるが、 これはまさに協同組合が得意とすることである。 特に労働者協同組合においては、
働く一人一人が出資し、 経営に参加し、 労働するという、 主体的な働き方が求められるボトムアップ型の組織であることも優位に働く。
また、 民間営利企業は地域住民を 「お客さま」 にすることはできても、 意思決定の主体者にすることはできない。 そこで働く人についても、 何百人何千人の大企業の中では、
自分がどこを担い、 何を作り出しているのかということも実感しにくくなっている。 そうした中で労協に入ってくる若者は、 従来の企業にはなかった新しい働き方を求めて入ってきているのではないか。
私たち労協センター事業団は、 ひとつひとつの事業所が独立採算で地域に存在し、 そこの地域で求められている多様で切実なニーズに対して直接に具体的で人間的なサービスを提供していく。
お互いの顔がわかる範囲で仕事や事業が成り立っている。 IT 化が進み、 人と話すのが煩わしいという人も増えている。 本来、 人間は直接コミュニケーションを通じて、
生活していく存在であり、 その本質的なところを再度求めている若者が増えているように思われる。 現代におけるビジネスでの成功は、 競争社会で勝ちつづけて勝者となるイメージがあるが、
逆に仲間と一緒に、 ネットワークをひろげて実現していくという志向も確実に拡がってきているように思える。 私たちの労協センター事業団は、 働く若者たちが協同の力で地域を再生し、
人と人との繋がりを再生し、 そして自己実現をしていく、 そんな夢のある協同組合を作っていきたいと思う。
* 「コロキウム」 は、 理論的な問題提起の場であるが、 今回については実践的な問題提供をしていただきました。 (編集部)
プロフィール
高成田健 (たかなりた たけし)
97年 青山学院大学経済学部卒
日本労働者協同組合連合会センター事業団入団
現在、 同事業団理事および東関東事業本部事務局長