『協う』2004年6月号 特集
甘楽富岡のクラインガルテン
(宿泊滞在型の市民農園) 風景農を軸とした「地域協同組合」 をめざして
JA 甘楽富岡における人・商品・地域づくり
高国慶・北川太一 (京都府立大学)
今回のテーマ 「まちづくり、 地域づくり」 を考えた時に、 協同組合との関係性を改めて検討してみた。 キーワードは 「組合員のために協同組合は何ができるか」
であり、 「地域になくてはならない協同組合とは何か」 であった。 地域やそこに暮らす住民から協同組合を見つめた時に先進事例として上がったのが、 今回の群馬県の
JA 甘楽 (かんら) 富岡の地域実践であった。 「地域のくらしの危機を共有する」 からはじまり、 地域を徹底的に見直し、 「地域の全産業が参加・参画する地域づくり」
の姿が、 現地を取材して私たちの前に明らかになった。 (編集部)
1. 地域の概要
甘楽富岡地域は、 群馬県の南西部に位置し、 明治期に設立された官営製糸工場で名高い富岡市を中心に1市3町1村からなる。 7割以上を山林が占め、 標高が100~900mの起伏に富む中山間地域である。
ただし、 上信越自動車道の開通に伴って首都圏へは1~2時間で結ばれるようになり、 交通条件は改善された。
農家戸数は約4,000戸、 耕地面積は約5,500haである。 農業粗生産額は約92億円で、 近年ほぼ横ばいの状態であるが、 その内訳けは野菜35.6%、
酪農17.7%、 コンニャク18.5%となっており、 コメはほとんどみられない。
JA 甘楽富岡は、 1994年3月、 当時の5つの総合農協と1つの専門農協とが合併して発足した広域農協で、 組合員数は約12,000戸 (うち、 正組合員戸数6,700戸)、
職員数は約400名である。
2. スタートは 「危機の共有」 と
「地域総点検活動」 から
(1) 養蚕、 コンニャクの壊滅的打撃
JA 甘楽富岡による農業再生、 産地復興に向けた取組みの契機は、 それまで基幹品目であった養蚕とコンニャクの壊滅的打撃である。 ピーク時の生産額が養蚕では51億円、
コンニャクでは33億円であったものが、 輸入自由化や価格急落等の影響により、 10数年の間にそれぞれ5,000万円、 6億円にまで落ち込んだ。 このことは、
単に農業面だけでなく、 製糸業をはじめとする商工業の衰退や地域の消防団が消滅する等、 地域の産業やコミュニティにまで多大な影響が及んだという。 基幹的農業従事者が都市部へ流出する中で、
その解決策として農村工業導入も試みられたが、 バブルの崩壊もあって功を奏さず、 地域の経済や社会の荒廃化が進行した。
(2) 営農を軸とした農協づくり
このようにして、 農協、 商工会、 市町村行政等による 「危機の共有」 意識が広がる中で、 緊急の課題として持ち上がったのが農協の広域合併である。
合併実現に向けて1980年代後半から研究会が設置され、 新しい農協像についての検討が行われた。 通常の広域合併農協が金融自由化対応に主眼を置いた経営基盤の強化が目的とされるのに対して、
JA 甘楽富岡ではどのようにして農業の生産体系を再構築し、
産地を復興させるか、 それを後押しするための営農事業を基幹とした農協をいかに作っていくか、 という観点からの検討が徹底的になされた。 ややもすれば、
農協合併が 「目的化」 されてしまうのに対して、 JA 甘楽富岡では、 合併はあくまで農業再生のための 「手段」 として位置づけられたのである。
(3) 人、 作目、 資源の再発見
― 「地域総点検活動」 ―
1994年3月に農協の広域合併は実現するが、 まず取り組まれたのが 「地域総点検活動」 である。 そこでは、 地域内に存在する人材、 作目、 資源、
情報のすべてが点検された。 その結果、 確かに農業に従事する基幹的な担い手の数は少なくなっていたものの、 その代わりに、 これまで農業の担い手としては必ずしも表舞台に立っていなかった多くの女性や中高齢者の存在が明らかになった。
また、 養蚕やコンニャクの陰に隠れていた100品目以上に及ぶ栽培作目が発掘された。
これまで、 後継者がいない、 作る品目がないと嘆いていたのは、 実は 「逃げ口上」 であった。 関係者が危機を共有し、 今一度冷静に地域を見つめ直してみると、
農業に意欲を持つ人、 決して大規模ではないが圃場に栽培されている多くの作目が存在していたのである。 あとは、 農協が中心となって、 生産をシステム化し、
いかに販売するかである。 そこで JA 甘楽富岡では、 この 「地域総点検活動」 の結果を受けて、 少品目大量生産型の産地から多品目少量生産型の産地への転換をスローガンとして掲げ、
営農事業本部制を確立することによって生産から販売に至るまでの営農事業の強化がめざされることになる。
3. ステップアップ方式による
農業者のトレーニング
(1) 産地再生に向けた二つのプログラム
多品目少量生産による産地の再生に向けて、 次の二つのプログラムが用意された。
■ 「チャレンジ21農業プログラム」
ここでは、 年齢、 性別を問わず、 ある程度の農業経験はあるものの、 これまで生産者部会には属さず、 これから意欲的に野菜づくり等に取り組みたい人、
特に、 会社の退職者や子育てが一段落した女性などが選定された。 ただし、 あくまでこれまで以上の 「所得とやりがい」 を追求することが重要であるとし、
当初に具体的な所得目標を明示して地区内の同条件の人と競争しながら農業に取り組んでいく。 相談や技術指導は、 農協から委嘱された 「営農アドバイザリースタッフ」
(生産者部会員) があたり、 頑張った人には表彰制度が設けられた。
■ 「重点野菜8品目推進事業」
これは、 ナス、 オクラ、 タマネギ、 ニラ、 シイタケなど、 気象の変化に比較的強く、 軽量の作目を選定し、 担い手の育成と産地化を図るためのプログラムである。
数値目標として、 1品目あたり10億円と設定され、 8品目で往時の80億円をあげる産地化がめざされた。 具体的な実践にあたっては、 農協の営農指導員を中心に、
管内の普及センター、 市町村行政とも連携しながら進められた。
(2) 農業者のトレーニングシステム
JA 甘楽富岡では、 こうした二つのプログラムを実践していきながら、 管内の農業者をアマチュア、 セミプロ、 プロという三つに分けて対応している。
その中で特筆すべきは、 三つのランクに合わせた生産・販売戦略を構築し、 それに応じた営農相談・指導、 施設整備を行っている点である。
■アマチュア農業者
ここではまず40a、 40万円、 4品目の初期投資からスタートし、 「潜在的販売農業者」 として位置づけたうえで、 JA 甘楽富岡が地域に開設している2ヶ所の直売所
「食彩館」 に出荷・販売してもらう。 売値は生産者自らでつけ、 売れ残った場合は各自の責任で持ち帰る。
食彩館の売り場面積は60坪程度で、 月平均3,000万円程度 (2店舗合計) の売上げがある。 ただし注意すべきは、 この食彩館は農産物を直売すること自体が目的ではなく、
あくまで次のステップに向けての 「トレーニングセンター」 として位置づけられている点である。 このゾーンに属する農業者たちは、 ある時は消費者の厳しいジャッジを受け、
またある時には生産者同士が切磋琢磨し合いながら、 自らの技術力、 経営力、 販売力を磨いていくことになる。 当初34名でスタートした食彩館への出荷会員は翌年には100名を越え、
その後も順調に増加した結果、 現在では1,100名を越えるに至っている。
■セミプロ農業者
ここでは、 「インショップ方式」 による販売が促進されている。 これによって、 現在では200以上にまで及んでいる 「地域総点検活動」 によって発掘された品目が、
首都圏を中心とした約30の店舗内にある JA 甘楽富岡コーナーに、 年間途切れることなく常時約40品目が販売されている。 朝の7時過ぎ、 各自の番号入りのコンテナに詰められた出荷作目を持ってこのゾーンの農業者たちが集荷場に姿を見せる。
後述するように予め販売先が知らされているため、 農業者自らが手際よく販売店ごとに出荷品目を並べ、 1時間後には各店舗へのトラックが出発する。 こうして送られた
「朝取り・即日出荷」 野菜の数々が、 10~11時には店頭に並ぶことになる。
ここでの商品はすべて買い取り方式で、 毎週金曜日に数量や価格が JA 営農指導員と店舗担当者により取り決められる。 味と鮮度にこだわり、 徹底して旬を追求した生産・販売体系、
それを可能にしているのが D-0 (デイゼロ) による商品供給体制の構築である。 また、 生産者、 農協担当者、 店舗、 そしてその背後に存在する消費者相互が、
お互いに双方向で情報を交換し、 意見を出し合うことによって、 関係者共通のトレーニングセンターとしての役割が発揮されているのである。
■プロ農業者
ここでは、 「総合相対複合取引」 (重点8品目を対象に、 量販店や生協に対する定量、 定価、 多品目の買い取り販売)、 「G (Gunma と
Good の頭文字) ルート市場予約販売」 (ニラ、 ナスを主品目とした市場向けの予約相対取引)、 「ギフト販売」 (量販店や生協共同購入向けの販売)
という3つのチャネルが用意されている。
また、 a) 徹底した農作業の負担軽減、 b) 産地段階での多様な 「商品」 づくり、 c) 段ボール使用の抑制等による環境にやさしい出荷・販売に力点が置かれている。
特に、 a) の点に関連して、 出荷労働の大半を占めるパッキング作業から生産者を解放することを目的として、 産地パッケージセンターを JA が開設・運営している。
このことによって農家は、 生産に専従的に打ち込むことができ、 さらにはパッキング作業から解放された家族内の高齢者が、 畑での野菜づくりにも精を出せるようになったという。
(3) 電算システムの構築と商品開発委員会の役割
JA 甘楽富岡がこうした生産・販売体制を構築できた要因として、 個々の農業者とその圃場の状況をデータベース化した電算システムを独自に開発したことがあげられる。
また、 商品開発委員会が設置され、 農協、 生協・量販店、 生産者、 行政関係者等がメンバーとなり、 日々、 対応を協議しているのも特徴である。
そこでは、
生協・量販店によるブランドだけではなく、 JA 独自のブランド開発も行われ、 まさに 「農産物」 から 「商品」 づくりの場としての機能が発揮されている。
(4) 営農指導員もステップアップ方式で
上記のように分けられた農業者は、 一定の要件を満たすと次のステップへと移ることができる。 例えば、 アマチュアからセミプロへは、 月に概ね20万円以上を売り上げること、
セミプロからプロへは生産者部会員の協議・推薦により承認されることにより、 ステップアップをするしくみである。
なお、 こうした農業者の生産技術・経営指導にあたる JA 甘楽富岡の営農指導員は、 合併当初の30名から56名へと増員が図られた。 当農協では、
新規採用職員は、 地域や農家の中に積極的に入っていけるように、 必ず全員が営農担当として配属される。 2, 3年の経験を積んだうえで、 そこから何人かの職員が生産者部会の事務局担当者となり、
さらには専門的な営農担当者として量販店や生協との交渉を行っていく。 この段階までくると、 単なる技術・経営指導にとどまらず、 農協の営農事業部門の中枢を担うものとして、
販売、 購買、 利用、 加工といった事業部門を総合的にコーディネートしていく力量が求められてくる。
4. 協同組合としての運営方式の
確立と地域との連携
(1) 徹底した組合員の意向把握と運営委員会制度
JA 甘楽富岡の基本的な運営理念は、 「組合員のために JA は何ができるか」 ということの不断の追求である。 そのためには、 組合員のニーズをいかに的確につかむか、
そして、 協同組合の主人公である組合員が主体的に活動するしくみをいかに構築するか、 という点に配慮がなされている。
その一つが、 組合員アンケートの実施であり、 指導、 販売、 購買、 利用等に関わる事業別のアンケートと組合員が現在抱えている悩みや問題点、 農協への注文等を把握するアンケートを交互に隔年ごとに実施し、
組合員の意向やニーズが把握される。 そして、 これら二つの結果を総合的に分析し、 産地や地域の課題をはっきりさせて農協はその解消に努めるのである。
今一つは、 各種の運営委員会制度の設立と活用である。 JA 甘楽富岡においては、 重点野菜推進委員会、 販売促進委員会 (その下に、 市場販売、
直販、 商品開発の部会が置かれている)、 購買品取引委員会、 野菜パッケージセンター運営委員会等、 実にさまざまな運営委員会があり、 月に1回程度話し合いの場が設けられている。
また、 農協 (事務局) と生産者部会との間には 「業務委託契約書」 が交わされ、 そこでは年間行事についての企画立案、 事務取扱い、 会議や研修会、
会計処理等に関する取り決めが明記されている。 すべてのことを農協内部で抱え込むのではなく、 必要最小限の事務局機能、 そのための事業内容や損益状況を含めた情報公開機能を農協が担い、
その他の運営については、 できる限り生産者組合員が主体的に行うようなしくみがとられているのである。
(2) 地域との連携
JA 甘楽富岡のもう一つの運営理念は、 地域になくてはならない農協づくりをめざしていることである。
先に述べた多品目少量生産を軸とした農業再構築の取組みは、 別の見方をすれば、 養蚕の衰退で荒廃した農地の活用を通した農村コミュニティの再生運動でもあった。
例えば、 遊休農地を整備することによってできあがったクラインガルテン (宿泊滞在型の市民農園) は、 地域内住民はもとより甘楽富岡地域と東京との線上を結ぶ住民によって利用されており、
都市住民との交流やグリーンツーリズムの拠点となりつつある。 将来的には、 やがて現役を退くであろう 「団塊の世代」 を対象にした農業実践のためのトレーニングセンターとして活用する構想もある。
さらには、 昔からの青年会議所や商工会とのネットワークを利用しながら、 毎年、 官営工場跡を舞台に開催される 「ザ・シルクデー」 の企画・準備や、
合併1周年の取組みとしてスタートし、 地域選出理事が 「農園先生」 となる地元小中学校での農作業体験教室も評価が高い。
農協合併を行って10年が経った今、 JA 甘楽富岡は、 まさに 「全産業が参加・参画する地域づくり、 それをプロデュースできるような農業協同組合」
(黒澤氏談) が、 着実に根を張りつつあると言えよう。
5. 農を軸とした 「地域協同組合」
をめざして
わが国の総合農協は、 早くから 「地域協同組合」 の方向をめざしてきたと言われている。 しかしながら、 ややもすればこの 「地域協同組合」 という言葉が、
単に事業の伸長のみを目的とした准組合員の拡大政策と結びつけられたり、 農業や農村といった観点を軽視して、 営農関連以外の事業 (とりわけ、 信用・共済事業)
を推進するための隠れみのとして使われてしまったことは、 否めないであろう。
協同組合とは、 組合員のくらしに根ざしたニーズ (くらしの向上に対する思い) を事業活動として実践し、 その社会的目的を実現するためにある。 この
「思い」 や 「社会的目的」 の中心が、 農協では 「農」 にある。 そして、 「農」 を基盤とする協同組合である以上 「地域」 との係わりを避けることができず、
この意味で、 農協は農を軸とした 「地域協同組合」 と言うべきである。 ここで紹介した JA 甘楽富岡の実践は、 まさに農を軸とした 「地域協同組合」
づくりへの挑戦であると言えよう。 ただし、 ここでのノウハウは、 旧富岡市農協時代から長年に渡って培われてきたものであり、 それを動かしているものは、
地域の歴史や風土、 さらには 「そこに住む人々に擦り込まれた DNA」 (黒澤氏談) なのかもしれない。
そのことを前提としたうえで、 JA 甘楽富岡の取り組みから学ぶべき点を指摘するならば、 地域の関係者や住民が、 現在置かれている状況を共有すること、
特に、 地域の課題を発見するためのしくみを確立することの大切さであろう。 そのためには、 これまでの 「戸」 を中心としたシステムから、 「個」
を尊重したシステムへの転換をはかることが必要であり、
世代や性別を越えたさまざまな個人の思いや呟きを拾い、 個人の能力を発揮するしくみを整えてそれを応援すること、 このことこそが地域とともに歩む協同組合の重要な役割ではないか。
[注]
JA 甘楽富岡における取り組み経過については、 『自然と人間を結ぶ』 (農文協) の2000年7月号 (特集: JA 甘楽富岡の IT 革命)、
同じく2001年7月号 (特集: JA 甘楽富岡に学ぶ IT 時代の農協改革) が参考になる。
<謝辞>
本特集にあたって、 ご多忙の中、 快く取材に応じていただいた黒澤賢治氏 (前 JA 甘楽富岡営農事業本部長、 現 JA 高崎ハム常務理事) に、
記して感謝の意を表します。
直売所 「食彩館」 の売場 (編集部撮影、 以下同じ)
インショップ方式の集荷場 (早朝風景)
ふるさと農園 (クラインガルテンの研修・事務棟)
富岡・官営製糸工場跡