『協う』2004年4月号 人モノ地域
「年金制度」 を考える
年金制度は我々を救うか?
「学生無年金障害者運動」 ~坂井さんの活動
京都大学大学院修士課程 宮川加奈子
「障害をもつ人は誰でも国の補助を受けられるのでは?」 国民の多くはそう思っているのではないだろうか。 「年金を払ってないと、 障害者となっても何も補助を受けられない」 と聞いて驚く人は少なくないだろう。 現在、 国民年金保険料の未納・未加入者は対象者の4割に及ぶと言われるが、 どれだけの人が年金制度を正しく理解した上で未納・未加入でいるのか。 年金制度は難解で理解しにくい上、 改正か改悪か変更が繰り返されている。 そして、 その谷間で年金を受けられずに苦しんでいる人達が全国に多くいるのである。 今回、 京都で学生無年金障害者として訴訟、 運動をされている坂井一裕さんにお話を伺った。
■学生無年金障害者とは
現在の法律では、 国内に住む20歳以上の全員が国民年金に加入する被保険者であるが、 1989 (平成元) 年に国民年金法が改正される以前は、 学生は
「任意加入」 という形であった上に、 それほど広報・宣伝されず、 その加入率は僅か1%強とほとんどの学生が加入していなかった。 役所の認知も低く、 手続きに行ったが
「学生は入らなくてもいい」 と言われ、 加入せず帰った人もいた程である。 しかも当時は保険料の免除制度がなく、 支払うお金のない学生は加入したくてもできなかった。
この未加入の学生時代に、 事故や病気で障害者になってしまった場合、 当然年金はもらえず、 例え障害の程度が重度で、 その治療、 介護、 生活に多大な費用が必要であり、
「最低限度の生活」 がおくれなくとも、 国からの補助は一切ないのである。 このように学生時代に年金に加入していなかった結果、 現在生活保障を受けらない
「学生無年金障害者」 が4千人程いるといわれ、 こうした人々を支援する運動が全国でなされている。 彼らは、 「学生らを強制加入から除外しておきながら、
“加入していなかったから”という理由で障害年金を支給しないのは不合理である。 また同じ学生でも、 20歳に満たなくして障害者となった人には無拠出の障害年金があるのに対して、
1日でも20歳を過ぎていれば補助を受けられないのはあまりにも不平等である」 と訴え続けてきた。 国もこの制度的欠陥を自覚していたので、 1989年に法律を改正し、
1991年4月からは学生等も強制加入の対象となり、 また2000年度からは 「学生納付特例制度」 も導入され、 保険料を支払わなくとも年金が受給できるように制度の欠陥が修正された。
しかしそれ以前に無年金障害者になっていた人については救済措置がとられる事はなく、 放置されているのである。
■坂井さんの運動
坂井一裕さんは、 1951 (昭和26) 大阪府松原市で生まれ、 京都の佛教大学に進学してからずっと京都にくらしている。 坂井さんは、 障害を負ってから現在に至るまでを次のように語っている。
1974 (昭和49) 年1月、 卒業・就職を間近に、 友人の運転する車で信号無視をしてきた車と接触事故に遭い、 視覚に障害を負う事になった。 後4ヶ月で厚生年金の加入者となっていたところであった。
その後大学を卒業し、 盲学校で鍼灸師の資格をとり、 現在は自身の経営する鍼灸院を持って、 主に訪問治療を行っている。 事故より数回の手術を経て、 一時は視力を失い、
精神的にも肉体的にも生活が困難な時期があったものの、 現在では症状は改善し、 一人で歩き、 普通に生活できるようにもなった。
障害者年金の事を知ったのは盲学校に入ってからであった。 周りは皆20歳前の障害だったので、 年金制度の事も知らずに受給していたようである。 症状が悪化して3級から1級の障害者となり、
国民年金課へ問い合わせた所、 「国民年金に加入していないという理由で支給されません」 と言われ、 年金制度の中身を初めて知った。 納得がいかなかったが、
あきらめかけていた。 障害を持つ生活はあらゆる面で不自由であり、 人並みの生活をおくる為に様々な費用がかかる。 不意の事故で人生が大きく変わり、 無念さをずっと感じていたが、
年金による生活の保障があったならもっと心に余裕も持てただろう。
運動を始めたきっかけは、 視力が改善してから初めて読んだ新聞の一つの記事だった。 そこには大阪の学生無年金障害者の審査請求について書かれていた。 その時は、
まさか自分自身がこのような運動を起こすとは思っていなかった。 しかし記事を見て、 「これは何か協力をしなければ」 と支援運動に参加した。 その後は運動を広げていこうと、
「無年金障害者をなくす会~京都」 を結成し、 自ら原告に立って活動をしてきた。 今日に至るまで、 多くの全国運動の当事者や支援者の方に出会い、 支えられてきたが、
運動も最初は困難でいっぱいだった。 社会的な関心が低く、 なかなか内容を理解してもらえず、 自らも知識が足りずにうまく伝える事ができないでいた。 また原告が1級の重度障害者である事もあり、
運動自体あまり進んでいかないという現実もあった。 時には、 「義務を怠って、 権利ばかり主張するな!」 という反発が寄せられた事もある。 日本人は権利を訴える事に慣れていないし、
社会にも権利を主張させない空気があるようだ。 しかし運動を進める中で、 「権利を“ずうずうしく”主張していく事で、 世の中は少しずつ良い方へ変わっていくのではないか。」
と思う様になった。
学生無年金障害者の訴訟は全国九地裁で行われているが、 先月東京地裁で原告が勝利し、 国に対して、 適切な立法処置をとらなかったことは 「違憲」 とする画期的な判決が下された事は、
記憶に新しい。 坂井さんはこの裁判を傍聴席の一番前で聞き、 これまでの思いが一気にこみ上げ、 胸がいっぱいになったそうである。 坂井さんをはじめ多くの人が、
この判決が地方の訴訟運動の追い風となる事を願っている。
■日本の社会保障制度について
老後だけでなく、 障害を受けた時も生活の基盤を支える社会制度であるにもかかわらず、 私達は年金制度について知識があまりにも乏しく、 また知る機会も少ない。
中学、 高校と公民の授業を受けるが、 教科書にその制度の理念や具体的な内容は書かれてはいない。 知ろうという意思があれば如何ようにもなるが、 若い世代は特に、
積極的に目を向けようとはしていないようだ。 結果、 誰もが“知らないでいる”事で簡単に 「無年金障害者」 と成り得てしまうのが現実である。 かく言う筆者自身も、
障害者保障が年金制度に組み込まれているとは知らず、 また通知がきた際も、 「お金のない学生がどうしてこのような額を拠出できるのか!」 と問題意識無く腹を立てていた。
母親が思いやって免除の申請を行ってくれていなければ、 私も障害を負った時、 無年金で困っていただろう。
またこの制度は 「社会保障」 とは言いがら、 「福祉」 あるいは 「助け合い」 のイメージが感じられない。 政府は年金と 「私保険」 の差を明記してはいるが、
国民の意識の中では、 自分が老後 「損か得か」 の判断だけで加入が決められている。 現在の年金制度には、 運用について等々見直すべき事が数多くあるが、
まず国は社会保障あり方そのものを根本から検討し、 また国民が理解し賛同しようと思うような広報の手段を整えなければならない。
坂井さんは国への陳述書の中でこう語っている。 「私の子供もだいぶ大きくなり、 次は子供の世代と考える時に、 重度障害に陥ったものが、 20歳を過ぎたか否か、
国民年金の保険料を拠出したか否か等で、 最低限の社会保障すら無条件で受けられないような社会を引き継がせる事はできないと痛感しています。 社会的弱者となっても誰もが安心して暮らせるような社会を構築したいのです。
障害者の所得保障が当たり前の世の中にしたいのです。」
障害による生活の不自由さは、 障害を受けて初めてわかるものである。 障害を持たないものがこれを 「自己責任」 という言葉で片付けてしまってよいはずがない。
国は憲法で生存権をうたう通り、 国民の最低限度の生活を保障し、 皆が豊かに生活できる環境を整える責任がある。 障害を持つ人々や、 十分な所得のない人々の生活こそ保障すべきではないのか。
生活の苦しさで保険料も出せない者よりも、 保険料を出せる家庭にのみその権利が与えられる現在の社会に疑問を感じざるを得ない。
私達は“知る事”を拒否してはならない。 未来を見据え、 私達の将来を支えるこの制度の迷走を止めていかなければならないのである。