『協う』2004年4月号 エッセイ
作り手と使い手を繋ぐ生協職人
京都工芸繊維大学生活協同組合
専務理事 松浦 順三
京都工芸繊維大学には国立大学としては珍しく、 美術館 「美術工芸資料館」 を持っています。 大学も創立一〇〇周年を迎え、 美術工芸資料館でも 「一九〇二年の好奇心」
という展覧会を開催していました。 (残念ながら終わってしまいましたが、 今は 「大橋コレクション展覧会」 を開催中です)
この 「一九〇二年の好奇心」 展では、 京都高等工芸学校時代に、 デザイン教育にあてるために収集されてきた収蔵品 (約二九〇〇〇点) の一部を展覧していました。
展覧会終了間際に行われたフォーラムに折角の機会でしたので参加させて頂きました。 そこでは工業品と工芸品について、 様々な角度で論じられていました。 私には、
難しい話も多々あったのですが、 大変おもしろかったです。
特に物づくりの視点で捉えた 「工業」 と 「工芸」 の違いについて推察され、 感慨深いものがありました。 美術品は飾って使われることのない物、 工業品は大量に生産され、
大量に消費される物、 工芸品は作り手と使い手が繋がっている物、 と言うような先生もおられました。
話を聞きながら、 つい生協の事も考えてしまうのですが、 生協の活動もこの 「工芸」 の域で考えないといけないなと感じました。 使い手の行動に意識を馳せ、
使いやすくて、 洗練されたデザインや、 味わいのある物を作る職人の人たちと、 私たち生協職員は似ているのではないでしょうか。
知識と経験、 物に対する探求心を持つ職人さんたち。 組合員の日常の中で必要とされている物を私たちは提供している訳ですが、 その物の品質が高すぎても低すぎてもダメなのだと思います。
私たちも提供する物に対する知識を蓄積させ、 組合員と共にニーズを実現させていく経験をしっかりと積み、 人と物に対する興味を持ち続けたいと思います。 日常の中にある工芸品のような生協を目指して頑張りたいと思いながら、
美術工芸資料館の所蔵品の家具や陶磁器なんかを見ていると、 なんだか、 当時の人たちの生活が見えてきそうでした。