『協う』2004年2月号 視角

住宅建材としての森林資源問題
伊藤 達夫


 わが国の森林面積は約2500万haで国土の約67%を占めている。 また、 森林のおよそ4割がスギ・ヒノキを中心とする人工林であり、 そのほとんどが柱材や板材等の生産を目的とする用材林として管理・育成されている。 この人工林の蓄積 (幹の体積) の合計は約19億■で、 年間約7000万■ずつ増加している。 2001年の国内の製材用材の消費量が丸太換算で約3700万■であることを考えれば、 わが国では人工林の蓄積の増加量分、 すなわち年々の利子に相当する部分を伐採するだけで、 元本である森林蓄積を減らすことなく製材用材を自給できることになる。 また、 人工林の蓄積の内容を見ても、 伐採利用できる46年生以上の人工林の面積が全体の2割に達している。 これらのことから、 わが国の人工林は育成段階から利用段階に入ったと言われている。
 このように見ると、 わが国の森林資源は充実した状態にあると思えてくるが、 実際は多くの問題を抱えている。 まず、 上述の統計数値の信頼性である。 わが国の森林資源量は、 標本調査ではなく、 樹種や林齢、 所有者等の違いによって細かく区分けされた、 全国で数千万ヶ所にもなる個別の森林の数値を積み上げて算出したものである。 この数値は都道府県と国有林の管理する森林 (調査) 簿と呼ばれる帳簿に記載されているが、 それは実際に調査されたものではなく、 植栽後理想的な成長経過をたどっていると仮定して算出された架空のものである。 造林が失敗して人工林が成立していなかったり成長が悪かったり、 気象災害や病虫害に遭っている場合もあるので、 現実の蓄積量はもっと小さいと推測される。
 さらに、 資源の質的問題がある。 人工林は、 間伐や枝打ちといった保育を施すことによってはじめて通直で大きさの揃った製材に適した丸太を生産できるが、 これらの手入れが十分になされないと、 細くて曲がった利用価値の著しく低い丸太しか収穫できない林になってしまう。 例えば、 スギの立木価格 (丸太ではなく林地に生育している状態で売買する時の価格) が1980年頃のピーク時に比べて現在では4分の1以下になっていることからも分かるように、 伐採しても採算の合わないことが、 森林保育への資金と労力の投入意欲をますます低下させているという問題もある。
 また、 伐採や保育の作業を行う林業労働者の減少と高齢化いう問題も大きい。 2001年の推計では、 林業に従事する者は全国で約7万人にすぎず、 しかもそのうち5万人は50歳以上である。 人工林だけでも全国で約1千万haあることを考えると、 もはやこの人工林をそのまま維持・管理できる状況ではない。
 では、 わが国の森林には土砂流出の防止や環境保全といった公益的機能だけを期待すればよいかというともちろんそうではない。 グローバリゼーションの名の下に大きなエネルギーを費やして木材を大量にこの地球上であちこち移動させることは、 環境への負荷という点からだけ見ても望ましいことではない。 木材は生産地にできるだけ近いところで消費されるべきである。 また、 山間地の地域社会の存続という点からも、 木材生産活動が持続可能であることが大きな条件となる。
 材価の低迷という大きな問題はあるが、 木材のブランドイメージとしての産地形成や輸入材に対抗するための均質材の量的確保といったことだけを追求するのではなく、 森林所有者や森林管理を請け負う森林組合と住宅建材を必要とする消費者との間を近づけることによって林業を活性化しようとする動きがあることは注目される。 木材の流通過程の複雑さという克服されるべき障害はあるが、 山に立っている木が消費者から商品として直接認識されるようになれば、 森林管理に対する意欲や方法にも大きな変化が出てくる。 そのための鍵となるのが実は森林の情報整備である。 前述したような形骸化した統計資料の作成のための森林情報ではなく、 どこにどんな木がどれだけあるのかということをきめ細かく把握することがわが国の木材資源の持続的利用に不可欠である。
  
いとう たつお
 京都府立大学大学院農学研究科助手