『協う』2003年12月号 視角

「制度としての農協」 から真の協同組合へ
太田原 高昭
 もう15年以上も前のことになるが、 私は武内哲夫氏との共著 『明日の農協』 (農文協) で日本型農協の特徴を 「制度としての農協」 と表現した。 本来の協同組合は自主・自律の原則に立つものであるが、 日本の農協は政府の農業行政の執行のために必要な 「制度」 としてつくられたものであり、 国民生活に欠かせない公共施設としての意味をもつ反面で、 組合員の主体性の確立が妨げられている、 というような意味を含ませたつもりである。
 こうした農協の公共的な役割は、 農業保護政策の後退とりわけ農業行政の根幹を占めていた食管制度などコメ政策の転換でかなり薄らいできていたが、 今年の3月に発表された農水省の 「農協のあり方研究会」 の報告書は、 「これまで行政は安易に農協系統を活用してきた」 と反省し、 今後は農協を特別扱いしないと述べている。 これは農協に対する行政側からの縁切り宣言であり、 「制度としての農協」 の終焉を意味している。
 その背景には 「米政策改革大綱」 によって政府がコメの生産調整からも手を引くということがあるのだが、 これまで 「制度」 に依存すること大であった系統農協 (JA グループ) にとって、 これはその存立の前提をくつがえされるに等しい重大な事態である。 しかし不思議なことに 「あり方研究会」 報告に対する系統農協の見解はあまり聞かれないし、 この10月に行われた第23回 JA 全国大会の議案にもその記述がない。
 あるいは系統農業にとって 「制度としての農協」 がいつまでも続かないことはすでに折込み済みのことであって、 だからこそ 「自立のための農協改革」 を訴え続けてきたのだということかもしれない。 たしかに1991年の第19回大会いらい、 系統農協は農協の広域合併と連合会の全国統合の 「中抜き2段階」 制を初めとする経営自立化の方針を追及してきた。 そしてこの方針は農協の広域化など一定の成果を収めたかにみえる。
 しかしその内実はどうであろうか。 合併して大きくなった農協の経営は一向によくならないばかりか、 議案に公表された数字をみても破綻寸前である。 連合会統合も共済連については実現したが、 経済連は独自路線をとる道県との分列行進となり、 信連については統合方針自体が白紙に戻りかねない。 「合併、 統合さえすれば」 と走ってきた道に赤信号が点灯していることは明らかである。
 これは組織と事業の基盤である農業の発展の展望を欠いたまま、 経営主義的に 「自立」 しようとした方針自体に問題があったと言わなければならないだろう。 考えてみるとこの方針が出された1991年はバブル経済の頂点の年だった。 バブル崩壊によって方針の前提がすべてくつがえったのである。 今回の議案にはそのことの中間総括と自立方針の練り直しがどうしても必要だったのではないか。
 それと共に、 ウルグアイ・ラウンドの農業交渉に惨敗し、 今また WTO 農業交渉で国内農業発展の展望を切り開けないでいる政府に対して、 議案を見る限り何の抗議も表明されていないのはどういうことなのか。 国内農業の維持発展と食料自給率の向上は食料・農業・農村基本法に明記された国の責務であるのに、 それを達成し得ないでいる農政は、 農協の経営危機にも重大な責任を有しているはずである。
 この責任を棚に上げたまま農協だけを使い捨てにしようとしている国に対して何も言えないでいることは、 系統農協が 「制度」 から自立する気がないことを逆に証明しているのではないだろうか。 踏まれても踏まれてもついていく 「下駄の雪」 になるようだったら、 系統農協はますます求心力を失うことになるだろう。 23回大会議案にはよいこともたくさん書いてあるが、 こうした肝心なところでの空しさが感じられるのである。
 国は農協はもういらないと言っているし、 経営主義的自立路線、 つまり農協と連合会が全国連の支所や支店として生き残る道も破綻に瀕している。 農協が生きる道は 「組合員にとってどうしても必要な組織」 になること以外に残されていない。 自主・自律のほんものの協同組合への脱皮が、 このような追い詰められた状況で迫られるのは残念であるが、 協同組合であろうとするならやはりこの道しかないことを再確認したいのである。

北海学園大学教授  日本協同組合学会元会長
 おおたはら たかあき