『協う』2003年10月号 エッセイ

酪農随想 (みみづのたはごと)
綾部酪農農業協同組合
組合長 朝子栄

 戦後の酪農はほとんど一~二頭から始まり、 稲作、 畑作と結びついた自給飼料主体の有畜農業として展開された。 牛一~二頭が財産であり、 それに明日の暮しを託していた。 酪農の仲間もだんだん増え、 農村は若者で活気にあふれていた。
 日本経済も高度成長期を迎えた昭和四〇年、 国に於ては酪農振興法に基づいて酪農近代化基本計画が策定され、 畜産が選択的拡大部門の一つに位置付けられ、 専業化、 規模拡大が急速に進んだ。 規模拡大が進むに従って今度は酪農の仲間が集落からどんどん消えていった。
 近代化計画は一〇年毎に策定され、 規模及び個体乳量の数値が示された。 飼養技術や施設の機械化が進み、 限られた面積で可能な限り牛を飼養し個々の牛から可能なかぎり多量の乳を搾ることを前提として構築されていった。
 現在では一戸当りの飼育頭数は五〇頭余り、 一頭当り産乳量は、 四〇年前の二倍余りに改良され欧州連合 (EU) を凌ぐまでに発展を遂げた。
 しかし規模拡大が進むに従って、 土地利用の循環型酪農から輸入飼料依存形、 即ち国際分業化へと進んだ。 そして穀物飼料供与による高度な飼養技術によって極限まで産乳能力を高める改良が行われ、 その結果牛の耐用年数が短縮され、 平均三産程度でその命を終えるようになった。 人の都合でそのようにされていった牛達の悲鳴が聞えるようである。 牡牛は更に哀れである。 生後二年程で肉として処分される。
 考えてみれば人間ほど身勝手で傲慢な生きものはない。 せめて生かされていることに感謝の気持を持ちたいものである。
 以前、 農業国ニュージーランドのことについて書いてある記事を見たことがある。 それには、 「(一) 作物は昔のまま品種改良はしない。 (二) 牛は放牧主体で加工飼料は使用しない。 (三) 便利なこと、 楽なこと、 物を持っていることが唯一の価値ではない。 必要以上に欲はもたない。 (四) 川は今も清流である (護岸がされていない)。 (五) のんびりと人生を楽しむ。 明るい内に店を閉める。 家族とゆっくり過ごす。」 等それぞれ国によって歴史、 文化、 風土の違いはあるが、 日本農業が構造改善、 近代化、 経済優先の合理化へと駆け足で進むばかりではなく、 一度立ち止って振り返ってみることも必要ではないか。
 食べ物に季節感が無くなったように農業農村にも季節感がうすれていくように感じるのも、 やはり齢のせいなのかもしれない。
「経済の成長は満足を上廻る必要を生みだし、 次第に窮乏感を我々に味わせる」
米国心理学者ポール・ワクテル