『協う』2003年12月号 書評2
農の将来を知りたくば、 農の過去に聞け
西村 智由紀
編集委員
京都生協組合員
『農のモノサシ』
山下惣一著
創森社 2003年7月 1,600円+税
「百姓」 にとって、 種をまき、 手入れをし、 懸命に汗を流して得られるのが収穫の喜び。 それが豊作であることで報われる喜びが、 今の百姓にはないという。
豊作になればコメがだぶつき、 国費の無駄使いだとマスコミに叩かれ、 翌年は減反が強化され、 結局、 自分で自分の首を絞める結果となる。 まさに、 「コメ作っちゃメシは食えんばい」
である。 そんな日本農業の現状に警鐘を鳴らす著者の、 子ども時代から現在まで農業生産者として過ごした「農」の暮らしの日々と、 将来の 「農」 に馳せる想いを綴った随想集である。
日常生活の中で、 必要に迫られて農作業の労力だった子ども時代の体験を持つ著者は、 時代と共に機械化も進んだこともあり、 自分の子どもたちには農業を手伝わせなかった。
しかし、 農業・農村の近代化に奔走した昭和30年代を 「歴史」 として語ることになった孫の世代の今は、 また、 泥んこ田植えや稲刈りなどを、 子どもの教育として体験する
(させる) 時代となった。
「子どもの育つ環境としては、 伝統的な共同体の暮らしであった昔の農村が理想的だ」 と言う現代に苦笑いする著者。 だけど、 「農の体験」 を通して、
世代間のふれあいと家族団らんの食農教育を目指す時代の機運を感じ、 大自然の営みと一体である 「農の変わらない価値」 の大切さを説いている。
著者は、 商家は三代続けば老舗だが、 農家の場合は新家だという。 私は、 本書のタイトルである 「農のモノサシ」 のモノサシ…って何だろう?と考えた。
「忙しい」 が口癖の現代人は、 分単位、 日単位のモノサシで日々生活している。 「農」 の暮らしは、 季節単位、 年単位、 世代単位のモノサシで自然と共にものを生み出して生きている。
その 「モノサシ」 の差が、 ライフスタイルの差であることに納得した。
本書は全体を通して、 稲作が支える 「赤トンボが群れ飛ぶ夕空、 田の面を渡る涼しい風、 彼岸花の咲く風景」 を感じ取れる。 読後、 そんな風景の中で、
少しでも 「農」 や 「大家族」 で育った者には、 追体験として感じるだろうし、 全く縁が無かったものには、 スローで大きな暮らしの環のライフスタイルが新鮮に感じられるおすすめの一冊である。