『協う』2003年12月号 特集
食農教育最前線
―生産地の食農教育、 消費地の食農教育―
現代は飽食の時代である一方で、 食べ物を大事にしない、 ご飯を食べずにお菓子やジュースばかりを好むといった乱れた食生活となっている子ども達が多い。
また、 各種の食品添加物を使用した食品を口にする機会も頻繁である。 子どもの頃に染み付いた味覚や食習慣は大人になってもなかなか抜けないという点を考慮すると問題は重大である。
このような事態は、 農業や漁業といった生産の現場から切り離されてしまった子ども達が増えたことと無関係ではない。 田んぼや畑を見たことがなかったり、 大根が土の中で育つことを知らなかったり、
かぼちゃが木の枝にぶら下がって大きくなるなどと恐るべき勘違いをしている子がいたりと、 まさに惨憺たる状況である。 都会の子ども達に限らず、 農村の子ども達においても油断できない。
なにしろ、 日本の食料自給率はカロリーベースで40%であり、 日本の子ども達は総じて食料生産の現場から切り離されているといっても過言ではないからだ。
このような現状のなかで、 子ども達をとりまくこうした大問題になんとか立ち向かおうとする動きが、 保護者、 教師、 栄養士、 農業生産者サイドなどから、
近年活発に見られるようになってきていることをご存知であろうか。 それは、 「食農教育」 へのとりくみである。
しかし食農教育といっても、 消費が生産現場と切り離されてしまった現実がある以上、 それを効果的に行うことは大変に難しい。 そこで今月の特集においては、
この食農教育への意欲的な取り組みをとりあげる。 (1)農村地域において地場農産物を積極的に活用した、 注目すべき学校給食活動、 (2)とりわけ生産現場と切り離されがちな都市部において、
敢えて米作りに取り組む総合学習に言及する。 その上で、 (3)各学校における食農教育を支える農林水産省近畿農政局の 「出張講座」 について紹介していく。
地場農産物を活用した学校給食活動
兵庫県山崎町においては地場農産物を活用した、 こだわりのある学校給食活動が展開されている。 同町の学校給食は小学校9校、 中学校3校の計12校に対して約2600食が、
パートも含めて29名の職員により山崎町学校給食センターから供給されている。 その特色は、 地元産の食材を極力優先し、 不足分のみ業者から購入していることである。
給食事業を開始して間もない1994年度には、 重量ベースで27%を占めた山崎町産の食材は、 2001年度には48%までに拡大した。 山崎町が中国山地の谷間に位置する中山間地域で平地もそう多くなく、
兼業農家が大半を占めることを考えれば驚くべき数字である。
山崎町における学校給食開始は1993年であり、 他の市町村と比較しても遅い。 ただ、 当時はちょうど学校給食のあり方が見直されている時期であったため、
学校、 PTA、 自治会、 婦人会、 商工会、 農協等の各種団体の意気込みは相当のものであった。 「せっかく始めるのであれば、 兵庫県で一番進んだ給食を作ろう」
と地域ぐるみで始めたのである。 同時に、 「望ましい食習慣」 や 「日本の食文化」 あるいは 「地域の農業」 についての学習活動として 「食についての教育」
を小中学校でも実施して欲しいという PTA からの強い要望も出ていた。 そのため、 学校給食が単なる 「昼ご飯」 ではなく 「食教育」 として位置付けられたのである。
さて、 同町の学校給食の特色を具体的に見ていこう。
■完全米飯給食
和食の良さを伝えるために、 週5回の主食は毎日ご飯としていることである。 他の周辺市町村の学校給食が週に3回の米飯給食を行っている一方で2回のパン食を取り入れているのが通例であることを考慮していただくならば、
山崎町のこだわりを理解していただけよう。 同町においてはパン食は月にわずかに一回だけ、 毎日の米飯給食に変化をつけるために実施しているに過ぎない。
■地場農産物の優先的利用
おかずについても地元でとれる地場野菜を優先的に活用している。 有機栽培、 低農薬栽培による契約栽培作物を積極的に取り入れ、 場合によっては学校農園における収穫物を取り入れるといった試みも頻繁に実施されている。
米は、 田植え時に使う除草剤以外には一切農薬を使わずに特別栽培した地元産のキヌヒカリを1999年度産米より使用しており、 契約栽培により確保している。
豆腐や油揚げといった大豆製品も、 契約栽培により調達した地元産大豆 「もち大豆」 を利用して、 地元の山崎町豆腐油揚げ商工業組合が給食用に供給日の朝に特別加工をして供給する、
という力の入れようである。
■手作りにこだわる
冷凍食品には頼らず、 また食品添加物や化学調味料を避け、 国産の旬の食品をできるだけ使うようにしている。 地場農産物を利用しているため、 下処理されていない素材から手作りしている。
また、 特に手間のかかるハンバーグ、 コロッケ、 ホイル蒸し、 ミンチカツ等の日でもおかずを3品目提供するなどの努力を欠かさないとのことだ。
■強化磁器食器の利用
安全性と食べ物の暖かさをより感じてもらうために、 食器は全て町花 「さつき」 のデザインをいれた強化磁器食器を採用している。 もっとも、 使っているのがやんちゃ盛りの小学生と中学生、
一個500円ほどの食器を、 たびたび割られてしまうのには困ってしまうとのことであるが、 これもモノを大事にする教育の一環になるということであろうか、 我慢しておられるようである。
■給食指導の充実
給食センターは各小学校へ栄養士を派遣して、 「正しい食事のあり方」 あるいは 「望ましい食習慣」 といった指導を積極的に行っている。 小学校低学年に対しては、
学級活動において、 好き嫌いなく食べてもらえるための指導を行っているほか、 親子給食といった取組みも行っている。 小学校高学年に対しても、 バイキング形式の給食
(栄養のバランスを考える力を養うことができる) の事前指導を家庭科の時間に行ったり、 健康集会といったものを開催して朝ご飯の大切さをアピールしたりするほか、
実際にごはんと味噌汁の調理実習に協力している。
■保護者との連携
給食連絡会を学期ごとに開催して、 献立内容・給食費等を協議しているほか、 保護者に対する試食会を実施して、 給食の内容を理解してもらうなどの活動が活発である。
以上のように、 他の市町村ではなかなか見られないほどこだわった学校給食活動が展開されているが、 同町においてこれが可能となった秘密は、 具体的にどこにあるのであろうか。
この点を給食活動が軌道に乗るまでの経過をたどりながら、 以下で探ってみたい。
山崎町は当初から地場産の食材を利用した給食活動を行うことを意図していた。 そのため1990年前後から実際に学校給食活動が始まるまで、 農協、 商工会、
町などによる学校給食協議会や検討委員会が何度も開催され、 農協組合長、 町長を巻き込みながら事業方式の模索がかなりの期間に渡っておこなわれる必要があった。
1991年には各地の給食センターの視察を繰り返している。 1992年になると、 給食活動における地元産農産物供給のあり方についての検討が次第に活発化し、
地元産給食材料の購入体制確立へ向けて協議が進んだ。 結局、 町直営の給食センターにおいて一括調理したのち各学校にコンテナで配送する方式を採用したが、 このなかで、
米、 みそ、 小麦といった基本的な食材については農協からの供給を受ける一方で、 野菜類を地元の公設市場である協同組合山崎魚菜市場から購入するシステムを選択した。
では、 この協同組合山崎魚菜市場とはどのような組織なのだろうか。
協同組合山崎魚菜市場は、 そもそも山崎町の地元農家と地元の八百屋を結びつけ、 地場産の野菜、 川魚、 果物を売買するために1953年に設立された市場である。
このような目的で成立した市場であったので、 自分達で食べるような農薬を控えた安全な野菜が出荷されている一方で、 給食に使えるほど量的に十分確保するという点では弱点を抱えていた。
そのため、 魚菜市場が給食用の食材供給を行うのには工夫が必要であった。 その工夫とは、 毎日、 生産者と話を交わし農作物の生育状況を把握している魚菜市場の担当者が、
翌月の献立に必要な材料と分量を把握して、 各生産者に出荷量を少しずつ割り当てるということである。 それは、 使用日の朝に収穫・出荷することを可能とし、
より新鮮なものを確保するためである。 また特に重要なのは、 市場の組合員である各生産者の出荷可能量を、 早期にセンターまで連絡することである。 センターはこうした地元からの出荷可能量を踏まえた上で、
不足分を他の市場あるいは業者から購入することで対応し食材を確保しているのである。 これにより地元農家はできる範囲内で給食用の食材を提供すればよいこととなり、
出荷量確保のために無理をする必要がない。 センターのほうも地元産野菜は他の市場などから確保する野菜に比べて安価であることから、 この方式のメリットは大きいのである。
学校給食用の食材だからといって大量一括供給を受ける必要はないのだ。 極めて優れた手法と言えよう。
協同組合山崎魚菜市場は、 給食センターへ供給する食材生産者として、 山崎町内26名、 南隣の新宮町内1名を確保した上で、 給食センターと生産者の間に位置することにより各食材の安定供給を図るという、
きわめて重要な役割を担っているのである。
このようにして実施している給食活動は地域全体にとって大変好評である。 第一に、 児童生徒あるいはその家庭にとっては、 ただ単においしいだけでなく、 作物の出自が明確にわかることにより安心感を持てる。
なんと、 各学校の校内放送では、 その日の昼食素材について、 豆知識に加えて生産者の実名と住所がアナウンスされているほどである。 だから、 子ども達は、
地域の農家から給食に供給予定の農産物についていろいろと教えてもらえるだけでなく、 給食用食材の生育を近所で観察することも可能である。 そのほか、 最近は夫婦共働き家庭が増えたため各家庭における食事が次第に簡単なものとなる傾向にある。
そのため、 普段家庭では作れないような手間のかかる食事が給食に出されることを大変歓迎しているとのことであった。 また、 給食のメニューが家庭における親子の会話にのぼることも増えたとのことで、
家庭における食農教育の促進にもなる。
第二に、 給食センターにとっても、 このような地場産作物を重視した給食活動は、 業者を通じて食材確保する場合に比べても、 コスト的に見て安価となるというメリットがある。
なんと、 ときには農家で余った作物を無償で提供していただけることすらあるとのことであった。 センターを通じて、 生産者と消費者が密接に結びついているからこそできる裏技であろう。
確かに、 サイズや形が不揃いの食材を、 最初から扱うことになるので、 給食センターにおける下準備は大変であり、 それだけの労働力を確保する必要があるという不利な面も確かに見られるが、
山崎町民の支持は得られており、 大きな問題とはなっていないようである。
第三に、 地元農家にとっては、 減反せざるを得なかった水田に作付けした野菜類の販路が確保されるだけでなく、 地域の子ども達の、 時には自分自身の子どもの食を支える作物を栽培しているとあって、
大変に励みになっているとのことだ。 業者は、 学校給食用に質の劣る食材を供給する傾向にあるそうだが、 地元農家は形が不揃いであったとしても安全かつ新鮮である点を重視して供給に努めているのである。
以上のような、 山崎町における注目すべき給食事業であるが、 今後の課題もある。 それは、 第一に、 子ども達に好き嫌いがある中で、 出来る限り残さずに食べてもらうことであり、
またそのための工夫をすることである。 実際、 地元産の食材を優先的に使用し、 合成着色料や発色剤の使用を避けているため、 発色面ではどうしても不利になりがちである。
良質の食器を用いているのはこのデメリットを緩和するためでもあるのだが、 今後も盛り付けの工夫などにより対応する必要があるとのことであった。 第二に、 近々予定されている市町村合併により各町村の給食事業の独自性がどのような影響を受けるかという点である。
各センターの良い面の特長を生かす方向に作用する場合は望ましいといえるが、 もしも、 合併に伴うスケールメリットだけを生かすということが今後検討されることになれば、
山崎町のような地元産の食材を生かす給食事業が不利な影響を受けることがないとは言い切れないようだ。
このような課題があるものの、 農業や食に対する知識だけでなく優れた味覚を身につけて育った山崎町の子ども達が、 将来成長して、 農業や食に対してどのような選択を下すのであろうか。
今から大変楽しみである。
都市部における食農教育
つづいて紹介するのは、 大阪府豊中市立東豊台小学校における食農教育である。
東豊台小学校5年生の週3時間の総合学習は、 日本の主食 「お米」 をテーマとして実施している。 しかし、 豊中市は大阪市北部に接する大阪都市圏の典型的な近郊住宅地域であるため、
市全体で第一次産業従事者はわずか0.2%、 校区の中には皆無である。 このような環境において 「お米」 学習をどのように展開したのであろうか。
都会のベッドタウンで生活する子ども達は、 ご飯は知っていても玄米の状態ましてやもみ殻のついた状態のお米は見たことがない。 家庭科の時間に初めて米をといだ子も多かったという状況である。
そこで、 自分達で1年間お米作りを実際にやってみることで、 お米をつくる大変さから農家の方の苦労や食べ物への感謝の気持ちを実感させることを目指した。
同小学校は、 この 「お米」 学習に2000年度から取り組んでいる。 最初は、 都心部の学校を中心に近年普及しつつあるバケツ稲の栽培を試みた。 バケツ稲とは、
シャーレなどで発芽させた種もみを、 土を入れたポリバケツで稲を栽培、 観察、 最後には収穫までをおこなうものであり、 近場に田んぼがなくても稲作りを体験できる。
これを主導している全国農業協同組合中央会 (JA 全中) のホームページによると、 バケツで稲を育てるという一連の作業を通じて、 次代を担う子ども達にお米やごはん、
稲作文化について理解を深めてもらうことを目的に、 1989年からスタートしている。
ところが、 東豊台小学校ではバケツ稲に満足せず、 次の2001年度にはさらに本格的な取組みを開始した。 学校長自ら兵庫県川西市に出向き、 休耕田から表土を軽トラック2台分運び入れ、
学校内に排水完備の水田を作ってしまったのである。 さて、 こうして作り上げた水田を活用していかなる 「お米」 学習が展開されたのだろうか?
2002年の取組みを春から順を追って見てみよう。
春
【4月】お米について全く何も知らない5年生の子ども達が、 最初にしなければならないことは自分の家で食べているお米の米袋をよく観察することである。 これにより児童は、
自分のクラスメートの食べている米産地は全国各地にひろがり、 銘柄は多種多様であって一律ではないことを知り、 自分達の食のみなもとを垣間見る。 同時に社会科の授業においては日本農業における米作りを学び、
総合学習との相乗効果をあげる試みがなされる。
【5月】連休も明けるとずいぶん暖かくなり、 つくった水田の準備をする。 田おこし (水田を耕して砕土し、 空気を土の中に入れる作業。 雑草駆除の効果もある)、
代かき (水田の整地作業の一つで、 耕起した水田に水を入れ、 砕土と田面のならしを目的として上層を攪拌する作業) に挑戦するのである。 また、 種もみから発芽させ苗作りにとりかかる。
教室のなかでは外国米の試食会が開催され、 その食味を知り、 特徴を学ぶ。 また、 1993年の米大凶作に伴うタイ米大量輸入という事態が、 米産地タイにどのような影響を与えたのかという点も勉強するとのことで、
たいへん幅広い総合学習となっている。
夏
【6月】苗を屋外に出して田植えに向けて着々と準備する。 スズメよけの網の設置、 害虫の観察、 手作業による害虫駆除となかなか忙しい。 もともと水田にあった土を使っているので、
害虫の卵や幼虫、 雑草の種が大活躍し始めてしまう。 子ども達にとっては、 かえっていい勉強である。 下旬には泥んこになって田植え作業をする。 教室では、
保護者の方達と一緒におにぎりパーティーが開かれる。 おにぎりはお米を使ったなじみのある料理で子ども達にも親しみやすい。 図書館の協力を得ておにぎり絵本を準備したり、
保護者の方からのアイディアが出たりで、 楽しいおにぎりがたくさん出来る。
【7月】夏場はとにかく雑草駆除で忙しい。 無農薬栽培なのでアワやヒエ、 水草が大繁殖する。 しかし、 そこは元気な小学校5年生、 みんなで次々に取り去って稲を守ることに成功する。
また、 暑いさなかに中干し作業 (幼穂 (ようすい) 形成の10~15日前からかんがいを止め、 地面に亀裂が入るまで数日間田面を干すこと。) にはいる。
【8月】夏休み中の8月下旬に出穂。 その他、 保護者の方と大阪心斎橋のお米ギャラリーを見学する。 お米ギャラリーとは、 JA 全中が米に関する情報発信機能の強化と日本型食生活の普及・啓発を図り、
お米のおいしさと素晴らしさを知ってもらうために設置している、 小さなお米博物館ともいうべきところだ。
秋
【9月】実入りの季節には、 稲穂が頭を垂れるのを楽しみに観察する一方でスズメ対策に取り組むことになる。
【10月】いよいよ待ちに待った収穫をする。 稲刈り、 乾燥といった作業に取り組む。 ほかにも、 学校栄養士によるお米の栄養学習、 米粉でパン作りをして米の新しい消費方法を学んだり、
大阪食糧事務所の茨木倉庫を見学し備蓄米についての学習などが目白押しである。 また、 子ども達は、 これまでのお米の取組みを保護者や地域の人たちに発表する地域公開学習に取り組まなければならない。
それまで個々人それぞれが調べて追究してきたが、 グループに分かれて友達と一緒に発表への準備をするのである。 各グループのテーマは 「お米のよさ (栄養)」
「たくわえくん (備蓄米)」 「お米のいろいろな食べ方」 「自分たちの田んぼでのお米づくり」 「自給率 (農業問題)」 「生産量 (農家)」 となった。
図書館の司書さんの協力を得てすすめた準備作業、 近畿農政局や食糧事務所の方々の専門的なコメントもあって、 頭の整理とより深い理解につながる、 まさに総合学習となっている。
【11月】乾燥させた稲を脱穀し籾摺りをする。 豊中市農業祭にとれたてのもち米を出品する。 家庭科の時間には、 はんごう炊飯実習を火の起こし方から学習するなど、
収穫の秋にぴったりの学習活動をする。
冬
【12月~1月】地域・保護者の方々と一緒にもちつきをして、 一所懸命育てたもち米をいただく。 有機栽培でやはり児童が育てた大豆を使ったきな粉モチである。
その他に、 地域の方々や社会福祉協議会の助力で、 わら細工にも取り組んで、 米づくりが昔の人々の生活にいかに根付いていたか知るのである。
以上のような一年間の取組みの結果、 米を研いだこともなかった子ども達はどのように変化したのであろうか。
第一に、 お米への関心がより高まったことである。 「朝はご飯を食べたい」 と言うようになったり、 お米の栄養や腹持ちが良いことなどを会話に出すようになった子が少なからず出てきたことである。
教材として取り上げた 「お米」 についての理解が格段に深まったといえようか。
第二に、 自宅の冷蔵庫から食材を出してきて表示をみるなど、 自らが食べているものの出自に強く関心を持つようになったことである。 総合学習において取り扱った学習素材は
「お米」 であるが、 その他の食品にも目が向くようになり、 自らの食のみなもとを探ろうとする姿勢が身につくようになっている。
こうした成果があがる一方で、 東豊台小学校における総合学習の課題は、 都市部に位置しているため、 学校給食は市直営の給食センターからの供給に全面的に頼っており、
山崎町のように地場農産物を取り入れるなどといった形で、 地域の学習に生かす余地が少ないことにある。 「農業を生業とする方々の本当の苦労を見せてあげたい」
というのが、 今回取材に対応いただいた上里久美教諭の言葉であり印象に残った。
東豊台小学校における一年間の 「お米」 学習をみてきたが、 運営にあたっては、 教師と生徒以外の教室外のさまざまな方の協力を得ていることは重要である。
各家庭のサポート、 学校図書館司書のサポート、 さらに農業の専門家のサポートである。 このうち最後の専門家によるサポート体制は、 東豊台小学校のような都市部における小中学校においては、
特に不可欠ともいえるので、 紹介してみたい。
食農教育を支える専門家のサポート
農林水産省近畿農政局は2000年度より、 職員自らが幼稚園、 小学校、 中学校、 高等学校、 場合によっては大学へ出向いて、 専門的な農業知識を提供してサポートする出張講座を実施している。
その内容は、 幼稚園児に食生活の大切さを実感してもらうための 「紙芝居」 から、 小学生向けの 「食品添加物」 の話し、 また小学校高学年向けには 「地球環境と食料・食生活」
の問題、 栄養バランスが偏りがちになる中学生向けには 「食生活と生活習慣病」 といった形で、 年齢にあわせて実施されている。 同時に、 学校教員や栄養士・給食調理員、
保護者向け等の講座も活発であり、 「子どもの食生活と生活習慣病について」 「食農教育の重要性」 といった、 さまざまなテーマで実施されている。 実施件数も、
86件 (00年度)、 152件 (01年度)、 184件 (02年度) と増加傾向であり、 期待が高まっている。 出張講座のあとには食べ物や環境の大切さを理解して給食の残量が少なくなる、
家庭において農業や食あるいは環境についての話題が親子間でなされる、 といった積極的な効果が顕著であったようだ。
このような出張講座、 関心をもたれる方は利用してみてはいかがであろうか。 総合窓口は近畿農政局消費・安全部消費生活課 「食、 農、 環境学習支援プロジェクトチーム担当」
係 (Tel: 075-414-9771、 内線2213・2218) となっている。
以上のように、 地域条件は異なれど、 さまざまなアプローチで食農教育、 あるいは環境教育は可能である。 現代の子ども達も、 自然の恵みを受けて、 動物や植物の生命をもらって自分達が生きているということを実感できるようになる。
また、 このような教育を通じて、 普段は見えにくい農林水産業などの第一次産業の大切さを知り、 自分達の住む地域を他の地域との関係も含めて深く理解し、 ひとりの地球人として世界の食料問題や環境問題を、
積極的に考える契機になるのではなかろうか。
文責:名和洋人 (京都大学大学院
経済学研究科 博士後期課程)