書評特集
 デフレ経済の引き続く進行のなかで、 市民の暮らしや、 そことかかわりあう 「協同」 の事業や運動は様々な試練を経て試行錯誤を続けてきた。 また、 生活協同組合運動にとっても新たな指導層の時代を迎えるなど、 新たな変化の予兆もある。 これらを背景として、 多くの研究者、 実践者が、 その展望を著書で世に問うている。 今回は少ない紙面の中ではあるが、 この間発刊された協同 (組合) 運動にかかわるいくつかの著書を、 「協同組合論」 「NPO 論」 「福祉論」 「協同組合事業論」 にカテゴライズして紹介したい。

書評特集 1 協同組合論
  最近の協同組合論を読む
   -原点を振り返り、 課題と可能性を探る- 
関西大学商学部助教授 杉本貴志 


 生協のみならず、 いま協同組合運動全体が危機にあるといわれる。 高齢社会を迎え、 食の安全が揺るがされ、 雇用情勢が激動し、 家計も生活設計も根本から揺さぶられて不安定な状態にある今日、 むしろ協同組合に対する期待は高まっていいはずであるのに、 必ずしもそうはなっていないのは、 協同組合陣営が時代の変化に対応できなくなっているからであろう。
 このようなとき、 常に決まって叫ばれるのは 「原点に返れ」 という言葉である。 協同組合とは本来どのような組織・運動だったのかを振り返り、 現状の問題点を考えようという態度であるが、 小久保武生 『よみがえれ心豊かな農協運動』 (家の光協会、 2003年) は、 協同組合の 「本質を史実にみる」 ことによって、 いまこそ 「市場主義にノー」 を突きつけようと訴える。 市場競争に対置される 「協同」 をもとめる心こそ、 JA の理念だというのである。 もっともこれとは反対に、 農協界のなかにも競争=悪という図式を否定しつつ、 協同組合の原点を説く見解がある。 たとえば、 藤澤光治 『協同組合 六つの誤解』 (全国協同出版、 2002年)。 本書は、 主として農業協同組合の立場から協同組合原則の変遷を辛口に論じている。
 生協についても、 『生協運動 想いで集 -忘れられない事 忘れてはならない人』 (コープ出版、 2003年) を、 まさにその副題が示すように、 原点回顧のために役立つ証言集として読むことができよう。 本書では、 「戦後に成人して60年代からの市民生協群の発展を担った」 とされる 「第二世代」 の生協人が、 草創期の各生協と連合会の想い出を綴っている。 もちろん、 その当時の生協と現在の生協では、 客観的にも主観的にも、 組織・運動を取り巻く状況が全く違う。 生協の対応が異なったものになるのは当然である。 問題は、 そのなかの何を表面上の違いと見て、 何を本質的な変化と捉えるかであろう。 そこから、 それぞれの生協、 それぞれの生協人にとっての課題と使命とがさまざまな形で浮かび上がることとなる。
 実践家が協同組合運動の原点を振り返る必要性を唱える一方で、 協同組合研究者も、 21世紀協同組合論の構築のために、 はたしてこれまでの協同組合運動とは何だったのか、 理論的な総括を迫られている。 石見尚 『第四世代の協同組合論 -理論と方法』 (論創社、 2002年) はそうした試みのひとつであるが、 そこでいう第一世代の協同組合運動、 そしてその精神的父ロバート・オウエンにまで視野を広げることも、 われわれが20世紀型協同組合からの飛躍と21世紀型協同組合の模索を課題とするのであれば、 必要であろう。 土方直史 『ロバート・オウエン』 (研究社、 2003年) は、 そのオウエンの思想と足跡を緻密な調査・研究に基づきまとめた書。
 実はオウエンは、 自分の弟子達が進めていた協同組合店舗建設運動、 今日でいう生協の店舗づくりを酷評していた。 彼が目指した 「協同」 は、 そんなちっぽけな 「協同」 ではなく、 生活全体、 そして社会全体の 「協同」 化だったのである。 ロッチデールに代表される19世紀の協同組合運動は、 そうしたオウエンの意志を内に秘めてスタートを切ったのであり、 20世紀の協同組合運動は、 事実上そうした 「父」 の遺志を切り捨てて、 生協、 農協、 漁協、 信用組合といった具合に事業別に特化した協同組合となることで発展を遂げたのである。 その事業別協同組合運動が、 いまひとつの壁にぶつかっている。 それでは原点であるオウエンから、 21世紀の協同組合関係者、 協同組合研究者は何を学べるだろうか。
 たとえば昨今、 協同組合の地域性、 協同組合が地域社会に根ざすことの重要性がしきりに訴えられている。 国外では、 事業ではなく地域に特化する形での協同組合づくり (コミュニティ協同組合運動) も盛んである。 中川雄一郎監修 『協同で再生する地域と暮らし -豊かな仕事と人間復興』 (日本経済評論社、 2002年) はそうしたイギリスのコミュニティ協同組合やイタリアの社会的協同組合を紹介しているが、 協同コミュニティの建設を常に追い求めたオウエンの遺志をそこに求めることもできるだろう。
 しかし、 一面ではオウエンは、 「万国全階級協会」 なる名称の組織を設立・指導したことからも明らかなように、 国境を超えた、 普遍的・世界的な 「協同」 をもとめる論者でもあった。 そこに協同組合運動の国際化、 国境を超えた協同組合間協同の先駆を見出すこともできるだろう。 首都圏コープ事業連合編 『有機農業大国キューバの風 -生協の国際産直から見えてきたもの』 (緑風出版、 2002年) は、 日本の生協とキューバの農業生産者とのコーヒー貿易を通した交流と連帯を描く書。 昨今の 「食」 をめぐる議論を思い浮かべ、 国際連帯か、 それとも地産地消か、 といったことを考えながら、 この首都圏コープによる 「国際産直」 の取り組みを読むこともできよう。
 ところで日本の生協には、 オウエンと並ぶ運動の精神的な父として、 賀川豊彦という巨人が存在する。 毎日新聞記者によるルポルタージュ、 奥田昭則 『虹を見た -コープこうべ 「再生21」 と流通戦争』 (毎日新聞社、 2002年) は、 震災以後のコープこうべの再生計画をレポートしているが、 この種の生協外部の人間による書物としてはめずらしく、 創立者賀川豊彦に多くの記述を費やしている。 記者は、 賀川の精神こそが過去と現在のコープこうべを貫くものだと高く評価するのであるが、 コープこうべのみならず、 広く日本の生協関係者は、 はたしてこの評価にどういう思いを抱くのだろうか。

小久保武生 『よみがえれ心豊かな農協運動』 (家の光協会、 二〇〇三年、 一二〇〇円+税)
藤澤光治 『協同組合 六つの誤解』 (全国協同出版、 二〇〇二年、 一〇〇〇円+税)
『生協運動 想いで集 -忘れられない事 忘れてはならない人』 (コープ出版、 二〇〇三年、 一八〇〇円+税)
石見尚 『第四世代の協同組合論 -理論と方法』 (論創社、 二〇〇二年、 二二〇〇円+税)
土方直史 『ロバート・オウエン』 (研究社、 二〇〇三年、 二五〇〇円+税)
中川雄一郎監修 『協同で再生する地域と暮らし -豊かな仕事と人間復興』 (日本経済評論社、 二〇〇二年、 二二〇〇円+税)
首都圏コープ事業連合編 『有機農業大国キューバの風 -生協の国際産直から見えてきたもの』 (緑風出版、 二〇〇二年、 一八〇〇円+税)
奥田昭則 『虹を見た -コープこうべ 「再生21」 と流通戦争』 (毎日新聞社、 二〇〇二年、 七六二円+税)