『協う』2003年8月号 視角

現代の複雑労働とメンタルヘルス問題
千田 忠男


1 「人並みに仕事をしたい」
 ある大企業の資材管理部門に勤める女性社員は、 私の聞き取り調査につぎのように述べている。
  「仕事の未処理分がみんなにわかる仕組みなのです。 成績の 『ヨシアシ』 が目に見えるということです。 私は人並みには仕事をしたいと思っていますが、 『人並み』 というのがかなり高いのです。 上から要求されることは無理難題だと、 みんな思っているのですが、 それをやらせられるからつらいのです。 ミーテイングではきびしいチエックがはいります。 課長がいないときには 『こんなことをしていたら、 アホになるな。 モウ、 はよかえろ』 と言い合っているのです」
 入社30年を越えるベテラン社員が大変だ、 つらいというのである。
  「たとえば、 こんどの月曜日-あさってのことですが、 価格を決める“値切り交渉”をやらなければなりません。 …今日 (土曜日) までに、 その準備ができなかったので自宅でやるほかありません」
 こんな状況では心身の安まるときがないであろう。
  「仕事が頭からはなれない。 ここで話しているいまのいまもはなれない。 朝方目がさめる。 ふつうなら家族のことなどが浮かんでくるが、 いまは真っ先に仕事のことが浮かんでくる。 タイヘンだというイメージで浮かんでくる。 解決の見通しがないのでタイヘンなのです。 すんなりと解決する見通しがもてない。 こんなイメージをはねのけたいと思っても、 のこっているのです」

2 「追いつめられて、 追いつめて」
 彼女の 『人並みには仕事をしたい』 という思いを、 労働者の規範意識と呼んでみよう。 この規範意識が生まれる理由の第1は、 共同的な組織の一員であることから自然なことであり、 第2は賃金を得て生活しようとするからである。 だから、 こうした規範意識は現代に生きる労働者の誰もがもっているといえる。
 しかし第3に、 『人並みに』 という規範意識に働きかける業務管理システムがつくられていることと、 第4に 『人並み』 にというときの仕事量が相当に多く、 レベルも高く、 『無理難題だとみんなが思っている』 ほどであることを指摘したい。 この第3、 第4の事情のもとで、 労働者が苦しむことになる。 自宅に仕事を持ち帰って、 そのあげくには夜中にふっと目がさめて、 仕事がタイヘンだと思いなやむのである。
 彼女の悩みにこたえるためにはまず仕事量を減らさなければならない。 そのうえで 『人並みには仕事をしたい』 という規範意識とそれに働きかける業務管理システムの双方に対する有効な対策が必要になる。
 ここで規範意識とは、 「……しなければならない」 と個々人の耳元にささやきかけるものである。 たとえば“もう疲れはてた”、 “緊張がきれた”“あきてきた”などという感情がひろがってきたときに、 「もう少しだ、 明日朝出勤してくる同僚のためにも何とかやりとげなければならない」、 あるいは 「上司に約束したのだからやりとげないと申し訳ない」 などと、 自分自身を追い立てるのである。
 彼女の例にみられるように、 過密・長時間労働に労働者が自発的に突き進む状況になれば、 その時すでにメンタルヘルス上の重大な危機が発生している、 といわなければならない。

3 仕事規範を見直して、
    ヒューマニズムを浸透させる
  『人並みに』 という規範は二面的である。 ひとつは協力し合って課題に立ち向かうときに必須・有効な側面である。 もう一つは、 仲間と和を保つことで安心を得るという側面である。 いわば組織の側の視点から自分をしばる意識である。
 前者は、 課題内容を明瞭にして個々人の責任を明示する技術的条件が確立した現在においては、 過大な仕事量が要求されたときに働く個々人の側から一定時間内でやりとげられる限界量を対置して共同して対抗するという規範に変容させなければならない。 つまり、 課題を切り分けて個々人の能力の限界に応じて仕事を遂行するように規範意識を変容することである。
 後者の仲間意識の側面については仲間に迷惑をかけてはいけないとする意識を仕事に向けるのではなく、 仲間でストレスを癒し合う方向に転換することである。 つまり、 組織の視点と同調して個々人の安心が得られる側面をストレス・コーピングとしての 「癒し」 活動に転換することである。
 仕事の規範意識にヒューマニズムを浸透させることが、 メンタルヘルス問題への有効な対策のひとつである。 こう考えるとき、 メンタルヘルスの社会科学が必要だとも痛感する。
  
ちだ ただお
 同志社大学文学部社会学科教授