『協う』2003年4月号 人モノ地域

来 る 人 ・ 行 く 人

編集委員会


4月から新事業の年度です。 生協においても、 職場に新しい仲間を迎え、 同時にこれまでの職場を築いてこられ定年を迎えられた先輩をお送りする時期でもあります。 今回は、 そういう方にスポットをあて、 希望や期待、 また振り返っての想いの中から、 一人の人間として 「働くこと」 が何であるのかを考える機会としたいと思います。

「来る人」  福永 佳代さん
(コープしが 03年3月25日付け入協)

Q 生協への就職決定おめでとうございます。 大変な就職活動だったのではありませんか。
A ありがとうございます。 就職活動はたいへんで、 内定の時期にはとてもあせりました。 友人の中では就職の決まってない人や、 フリーターを決めてしまった人たちもいます。 ある企業では面接で 「結婚しても働きつづける気ですか?女性は結婚したらやめた方が幸せではないですか・・」 などと言われ腹立たしい経験もしました。 でも生協 (コープしが) では、 面接の順番待ちの時、 通りすがりの職員の方に 「がんばってください」 などと声をかけていただき、 とてもやさしくてあたたかいところだなと感じました。
Q 最近、 就職して間もなくやめる若い人が増えています。 一方では、 ひとつの仕事に自分の人生をかけるという考えもありますが。
A 採用する側が、 就職希望者の 「人柄」 まで目をやらない採用の実態もあるのではないでしょうか。 書類や筆記試験で振り分けられて面接まで到達できない人が多くいます。 人数が多くセミナーにさえ参加できない場合もあります。 また、 自分の力を発揮するのにひとつの会社にこだわることもないと思います。 仕事に人生をかける考え方ですが、 それもあるとは思いますが、 仕事だけでなく、 日常の生活の充実を求めていくことも大切にしたいです。
Q 生協を就職先に選ばれた動機は何ですか。
A 大学で、 「食物栄養学」 や 「消費経済論」 などを勉強していて、 学内就職セミナーで生協の方が 「組合員さんへの安心・安全な食生活の提供が仕事です」 と言われ、 ここにかかわれたらいいなと思いました。 面接では将来ぜひ、 商品検査の仕事をしたいとの思いを、 強くお話させていただけたことも内定をいただけたことのひとつかも知れません。
 でも、 生協にこだわっていたわけではなく何かしらの技術を持っていて、 それを活用してこれからのびていけそうな企業でこそ自分が力を出せる、 気持ちよく働けると思い、 そういう目で訪問先企業を選びました。
Q 内定後の生協に対するイメージはいかがですか?
A 昨年の6月に内定をいただいて、 夏休みに4週間の現場研修がありました。 共同購入の配送車に同乗しました。 率直に言って営業も多そうだし、 なんといっても力仕事であることがわかりました。 組合員さんは思ったよりあっさりしていましたが、 新興住宅を配送していて、 新しく引越しされてきた若い人を担当者の方が 「引越しされてきたばかりの方なんですよ」 と班に紹介されていました。 「地域の人のつながりが生協でも持てるんだなぁ」 と思いました。 個配が伸びていて、 便利とは思いますが近所が仲良くなるチャンスが減るのではとも思います。 「共同購入の配達」 か 「個配の配達」 かと言われればわたしは 「共同購入配達」 をえらびたいです。
 余談ですけど、 室内のタバコのにおいは、 私の持っている 「清潔な生協」 のイメージとはちょっと違いましたね。
Q 今後の抱負を
A 口数は少ないのですが、 思っていることははっきり言うほうなので、 仕事や職場の中で感じたことはズバッと発言していきたいです。 また商品検査の仕事をめざしながらも創造的に仕事に臨んでいきたいです。


「行く人」  岡田 保さん
(京都生協 03年3月10日付け定年退職)

Q まず、 岡田さんの最初の職場のことをお教えください。
A 私は、 61年に神戸生協 (翌年合併を経て灘神戸生協、 現コープこうべ) に入協しました。 最初は御用聞きで、 2年目に独り立ちをし、 担当した100軒を週に3回は訪問をしました。 その中で8割くらいのご家庭の暮らしをつかめるようになりました。 たとえば、 だんなさんのワイシャツのサイズとか、 子供さんの運動靴のサイズや買い替えの時期などです。 私のスタートも、 灘神戸生協も 「勝手口からおおきくなった」 といえます。 しかし、 職場で報償制度が導入され、 競争をあおるやり方に疑問をもっていました。
Q 京都生協へは63年に移られたのですね。
A そういう時 「京都で生協を作る」 というお話があり、 その話に乗って、 63年から大学生協の支援を受けて御用聞きをはじめた京都生協に参加しました。 御用聞きの商品のチラシも自分で作り、 大学事業連合で用立てられないもの (たとえば 「漬物」 とか) の注文を受けてしまった時は近くの市場で個人的に用立てることもありました。 荒っぽいのですが、 組織がどんどん大きくなる時期でした。 当初は早朝牛乳で組合員拡大を図りました。 そんなおり、 牛乳へのヤシ油混入問題で、 メーカーからの納品がストップする事態が発生しました。 その時、 大手メーカーから原乳を買い叩かれていた大山乳業の 「自らの牛乳を自らの販路で広げていきたい」 との思いと一致し、 成分無調整の大山牛乳の取り扱いが始まり、 いまでも京都生協との取引が続いています。
Q その後、 京都生協で歩まれた道は?
A 67年から68年ころ共同購入づくりをすすめました。 これは大山牛乳が好評で早朝配達注文が多くなり、 配達場所を隣近所で協力して一ヶ所にしてもらったこと、 また御用聞きの一人あたり担当が300軒近くになり、 訪問が週一回が限度となったことなどが背景です。 また、 その後、 11年間商品部に配置されたことが私にとっては大きかったと思います。 「産直をはじめよう」 「コープ商品を開発しよう」 と色々な産地を訪問し、 組合員とともに、 生産者やメーカーと商品作りにがんばった時期です。 組合員の産地訪問も全国的に見てもこの時がスタートだったのではと思います。 当初は生協から産地にお願いをする立場でした。 裸で信頼してもらわないと商品が作れない時期です。 そのころの生産者の方々とは今でも個人的な音信が続いています。 昨年来、 生協も巻き込まれた 「商品の不正表示問題」 は、 生協の姿勢 (ビジネスだけになってしまっていないか?) に大きな問題を投げかけたと、 複雑な心境です。
Q 最後に、 後輩の皆さんへ一言お願いします。
A 35年前、 私が結核を患い生死の境にいたとき、 輸血が必要で生協の仲間がたくさんかけつけてくれました。 それで今の私があります。 そのとき 「弱いものにはやさしく接すること」 「口約束でも、 人との約束は必ずまもること」 を心底教えられました。 現在、 組合員さんの暮らしも、 生協の経営も大変厳しい状況に立たされています。 こういう時だからこそ上司は部下とコミュニケーションをしっかりとって、 「みんなが同じ思いを持てる」、 「組合員にとっても、 生協で働く人たちにとってもあたたかく安心できる」 生協づくりに、 さらにみんなで頑張ってほしいと思います。