『協う』2003年4月号 エッセイ
ディーセントワーク-協同労働
日本労働者協同組合連合会
専務理事 鍛谷 宗孝
「ディーセント・ワーク」 聞きなれない言葉ですが、 昨年のILO総会にて採択されました。 「尊厳ある労働」 とか 「人にとってまともな労働」 と訳されています。
「よい仕事」 を追求し、 労働の人間化、 再生をめざしてきたわたしたち労働者協同組合にとってわが意を得たりの感です。
誰しもが 「自分らしくありたい」、 「自分らしく働きたい」 と願いながらも、 現実は裏腹です。 働く場ですり減り、 最悪の場合は自己を失ってしまう、
生活とくらしの場でその疲労感が癒されない現実。 つい一昔前は、 時間はゆったりと流れ、 子供たちは遠くから見つめる地域の大人たちに囲まれ、 子供の時間を大人への道のりとして楽しくすごしてきた気がします。
そうした地域では大人たちの姿も見えていました。 もちろん、 働く姿も見えていました。 人の 「目」 のない地域には違和感があります。
しかし、 女性たちに目をやると、 元気いっぱい、 まだまだ疲れていない姿が目に飛び込んできます。 元気な人たちを見ると、 生活とくらしの場をもち、 その生活やくらしの一部として労働があることに気づきます。
ケアの仕事、 介護・福祉の仕事がわたしたちのところでも増えていますが、 女性たちの意欲と行動力には目を見張ります。 そして、 ケアの仕事こそ 「協同」
にふさわしいと実感させられます。 ケアは受け手すなわち当事者の 「自分らしく生きたい」 という願いを叶える協同の作業です。 また、 「自分らしく」 生きられるのは、
これまでの地域のくらしの継続があってこそです。 ケアの仕事は地域づくりでもあります。 こうした働き方は、 協同の価値を大事にした働き方です。 それをわたしたちは
「協同労働」 といっています。 「よい仕事」 は二〇年経って 「協同労働」 へと進化しました。 そこに元気があります。
うれしいことに 「協同労働 (の協同組合)」 の法制化もようやく芽がでてきました。 昨年は、 坂口厚生労働大臣が国会で二回答弁をするところまできています。
それにしても、 人間というのは丸ごと一個の人格で労働もその一部だと、 しごく当たり前のことを、 今さらながらふむふむと妙に納得してしまうのは、 やはりあまりの現実の狂いによるところだと思います。
春霞、 鼻はむずむず目は真っ赤