『協う』2003年2月号 エッセイ

島根の医療生協前史
松江保健生活協同組合
専務理事 善塔元和

  「わが国における最初の医療利用組合は、 大正八年十一月に島根県鹿足郡青原村に設立されました」 と日本生協連医療部会テキストに紹介されている。 島根は日本の医療生協運動発祥の地であるともいえる。
 機会があれば島根県民としてもう少し詳しく調べてみたいと思っていた。 農協史に当たると何か記載がないかと思い幾つか調べてみた。
 昭和四〇年出版の島根県農業協同組合史があった。 一〇〇〇ページに及ぶ力作でそのうち 「別章第二 組合病院の歴史」 として六一ページに及ぶ記述がある。 巻頭写真ページには歴代の農協幹部に並んで 「医療利用組合の創始者 大庭政世」 の肖像写真と氏の遺言の一部が写真紹介され、 本文中では 「先駆者大庭政世の生涯」 が二ページに渡って紹介されている。
 全国最初の医療利用組合施設は青原診療所とよばれ一時期には医師四名の体制に加え助産婦も配置し好評を得た。 しかし、 薬代などの延納者が相当多数出るに及んで次第に経営困難となり、 昭和六年には廃止となった。
 しかしこれで終わりではない。 大正十三年十二月には秋鹿村 (現松江市) に秋鹿病院が設立されている。 少ないながらも七つの病床を持つ病院であった。 内科外科歯科の診療に村内外から多くの利用者があった。 当時の悪習であった往診医師の饗応を全廃し、 村長などの添書があれば無償治療を認めるなどのサービスを行い昭和十一年三月まで診療をした。 歯科は昭和三〇年代まで診療を続けている。
 昭和四年から十六年にかけては現在の伯太町に医師と助産婦からなる母里医院が開設されている。
 それぞれ医師確保の困難や未集金の増加など経営事情で事業中止のやむなきにいたっているが、 戦前の困難な時代における貴重な足跡といえよう。
 松江保健生活協同組合の活動は昭和二七年にはじまるが、 戦前の利用組合の運動を継承する人々もきっとその結成に参加していただろうと思う。

青原信購販利用組合長 
医療利用組合の創始者
大 庭 政 世 氏

大庭政世氏遺言の一部