2002年6月号
人モノ地域1
みどりのまちサンタモニカ市のヒューマン・サービスとNPO
当研究所研究委員会幹事 中 嶋 陽 子
この3月、 筆者は、 サンタモニカに一週間滞在した。 主な目的は、 緑の党の影響力が強い市政のもとで、 ホームレス問題を中心とした社会的公正をめぐる問題が、 どのように取り組まれているかを調べるためである。 市の該当部署の責任者兼主任分析官 J・シュワルツ氏 (以下、 S 氏) には、 インタビューを行なった。 第二の目的は、 関連 NPO を見学し、 そのハード面ソフト面を観察することである。 ここでは、 後者を中心に、 個人的な印象を交えながら、 現地の状況を紹介したい。 なお、 この調査は、 部分的に当研究所の援助を受けており、 報告書は別途提出される。
(1) 市の概要
サンタモニカ市は人口7万人強、 広域ロサンゼルスの一角を占める、 比較的新興の観光地である。 近年、 特に人気を呼んでいる所で、 全米平均と比べて、 若年層が多く、 平均所得も高い。 S 氏によれば、 移り住んで30年以上になるが、 つい10数年前までは、 海岸沿いの風光明媚なおっとりした町だったという。 しかしながら、 地方自治の点から言えば、 1960年代以来、 「非常に進歩的な政治」 が続いてきたそうである。
現在、 市長は緑の党のメンバーであり、 カリフォルニアのみならず、 全米のリーダー格の一人と目されている。 同氏は、'58年頃にギリシアで孤児として生まれた。 乳児施設からアメリカ人夫婦に養子として引き取られ、 合衆国へわたる。 大学で哲学を専攻後、 世界放浪の旅に出たという。 帰国後、 友人と共にスケートボードの一種を創案・販売して、 事業に成功。 今様にいえば、 若き起業家として、 ビジネス面でも才能を発揮した。 市会議員を経て、 現在、 市長として2期目を務めている。 関係者の間では、 これは 「神話」 になった。 カリスマ性を帯びた人気を推測させるが、 本人は、 静かな物腰の人である。 要所では、 能弁さを発揮し明快で鋭い意見を吐くあたり、 非常に鮮やかである。 ただ、 市の行政システムはマネジャー制度を採用しているので、 日常の業務執行は、 マネジャー (シティ・マネジャーと呼ばれる) がたばねている。 したがって、 市長は市民の 「象徴」 であり、 もっぱら市の顔として外交面や儀礼面を分担する。
市は、 様々な規制をしいている。 たとえば、 車の電気エネルギーへの切り替え、 建物の高さ制限、 家賃の上限規制などがあるが、 特に、 不動産を中心とする野放図な私益追求には、 一定の毅然とした態度で臨んできた。 市自身も、 公共空間の確保のため、 高騰趨勢のおさまらない土地を買い上げたり、 社会的集合財の確保やインフラづくりに乗り出している。 太陽発電による高齢者用集合住宅や移民を念頭においた大家族用の集合住宅なども、 企画・建設の途上である。 他方で、 不動産を始めとする業界関係者や土地所有者からは、 規制反対の声が根強い。
しかし、 こうした公共・居住空間への対策が、 経済的な抵抗力の弱い階層の人々に対して、 ホームレス化を抑止するのに、 決定的な意義をもつこと-この点は、 全米で生じている事態を反面教師にして、 よく認識されており、 基本は揺るがない。 とはいえ、 市の二大問題のうち、 一つは、 依然としてホームレス問題の解決である。 ちなみに京都市と比べてみると人口比で、 サンタモニカのホームレスの数は突出した比率を示している (推定2000年頃京都市民147万人中500~1000人に対し、 99年、 サンタモニカ市7万人中1037人)。
現在、 市でこの分野を統括する S 氏は、 心の温かい行動派で、 長年、 ハリウッドで福祉分野の経験をつんできた。 肢体不自由者のケアワーカーを振り出しに、 前職では、 若いホームレスを対象とした NPO のディレクターをしていたという。 その後、 市の人的サービス部門のコーディネーターが公募された際に応募。 採用されて10年以上がたち、 現職に至っている。 市だけでなく全米でもこの種の規制に対しては、 「どれにも賛成だ」 と、 明快だった。 仕事は、 非常な激務である。 本人によれば、 議会が始まると夜中の1時2時まで議論が続き、 12時間労働を軽く越すという。 そうした実態への補償の意味もあり、 通常は、 1日8時間30分労働、 各週ごとの週休3日制である。 議会の会期中を除いて単純計算をすれば、 週平均38時間15分労働となる。
筆者自身目にしたことであるが、 定時になれば、 皆、 潮が引くように職場を後にする。 民間企業でもよく指摘されているとおり、 これはアメリカ人の一般的な仕事のスタイルなのだろう。 他方で、 業務時間中には、 クラシックなインテリアの庁舎は活気と明るさにみちており、 メリハリのある仕事ぶりが窺えた。 外の広い庭では、 明るい日差しと青い空の中、 ホームレスの人々が、 三々五々、 時を過ごしている。
(2) 連邦政府・地方政府 (市)と NPO の関係
衆国のホームレス政策は、 もはや、 対症療法的な対応やこまごまとした資金を出すことではない。 連邦予算にしたがって、 関連省庁がいくつかの関連プログラムを組む。 たとえば、 サポーティブ・ハウジング・プログラム (以下 SH プログラム) では、 短期から長期までの入居サービスや恒久的な住まいの援助など、 ハード面の物理的支援がなされる。 同時に、 再び路上に戻らなくてもよいように、 個々人の生活再建プログラムも含まれている。 具体的には、 金銭管理など生活技術の習得や職業訓練、 薬物依存からの回復など、 多様なソフト面のケアサービスが組み入れられる。 この SH プログラムは、 必ず連邦政府の住宅・都市開発省 (以下、 HUD =ハッドと呼ばれる) にリンクしており、 そこから資金が供給される。 勿論、 資金的に HUD と関わらない、 他の独自のプログラムもある。
いずれにせよ、 多くのプログラムは、 アウトリーチから始まって恒久的な住まいへの入居で終結する、 一連の支援サービスの流れのなかに捉えられる。 多くの場合、 当市も含め地方政府は、 その全体を統括管理することによって、 一つの全体的な支援策を実行することになる。 この全容は、 コンティニュアム・ケア・プログラムと呼ばれる。
そこには、 ある特徴が見られる。 それは、 各段階の支援サービスの基本的な共通内容を押さえることによって、 コンティニュアム・ケアは、 おおむね分業化されていることである。 そして、 それらの協業・連携プレイを通して、 支援の全過程が一本の流れとなる。 つまり、 支援サービスの集大成を、 統合的な一連のケアとして概念的に表わしたものが、 コンティニュアム・ケア・プログラムであるといえよう。 他方、 HUD の資金投入のもとで、 個々の NPO による断片的な支援サービスを総体的な形で関連づけようとするのが、 連邦政府 HUD 直轄の SH プログラムなのである。
逆に、 NPO の立場から言えば、 市の監督のもとで、 コンティニュアム・ケア・プログラムの特定段階の支援サービスに特化することが、 可能である。 また、 比較的大きな NPO では、 いくつかの段階に渡って、 様々なサービスを横断的に供給することも可能である。 資金的には、 既述のように、 連邦政府の HUD と連携可能なこともあれば、 そうでない場合もある。 要するに、 もし HUD の資金供給を受けたならば、 その NPO は、 市の採用したコンティニュアム・ケア・プログラムにのっとりながら、 SH プログラムを名乗る必要があり、 つまるところ、 市に監督されながら連邦政府由来のサービスを供給している事業体なのである。
では、 なぜこれらの支援サービスは、 このような供給形態を取るようになったのだろうか。 それは、 当初の経過として、 様々な社会サービス系の NPO が、 独自に可能な支援から着手して行ったためだと言われている。 これに対して連邦政府・省庁は、 財政・政策面から、 地方政府 (市) は財政・政策・監督面から、 NPO の供給するサービス全体を鳥瞰し、 適宜、 関与する役回りになった。 多くの 「底辺問題」 同様、 合衆国のホームレス政策は、 市民からの実践力と意思表明に押されて、 他の施策と関連づけながら編まれてきた。 以下の事例は、 特化型 NPO、 広範な段階のケアサービスを含むシェルター、 仕事おこしの起業プロジェクトである。
(3) 現地調査の団体
1) OCCP グループ 「アクセスセンター」 (2001年度、 市より約13万8千ドルの資金を受給。)
これは、 アウトリーチを始め初期支援を専門にし、 18-40歳までを対象とするチームと、 それ以上を対象とするチームの2つがある。 筆者は前者に同行した。 2人の若い女性スタッフが、 日に何度か、 バンにお菓子や飲食物をつんでポイントを回り、 口頭で彼らの様子を聞いたり、 簡単な相談に乗ったりする。 チェックシートには、 その時点で会った若者の誕生日とファーストネームが記録されてゆく。
筆者が会ったのは、 観光ポイントの散策コースにたむろしていた2グループで、 それぞれ10人たらずである。 人種的には多様であるが、 一方のグループはアフリカ系・チカーノ系などの非白人系、 他方は白人系で分かれていた。 いずれも15-20歳前後の男女である。 俗語まじりの早い若者言葉は、 よく聞き取れなかったが、 仲間の消息や薬物のはなし、 おふざけの話題にじゃれあいなど、 一見した所、 思ったより活発で元気そうに見える。 時には、 周辺住民と些細なことで問題が起こるそうであるが、 皆、 意外なほど平和的で多弁である。 スタッフとはしっかりした信頼関係が築かれており、 彼らに対しては、 子供っぽい印象を持つほどの人なつこさを見せる。 信頼できる大人への愛に飢えているからかもしれない。 15才位と思える白人の女の子は、 汚れた大きな熊のぬいぐるみが大切な財産である。 二十日ねずみも放し飼いにしており、 終始、 自分の肩や腕などを走らせ、 どこに行くにも一緒だった。
終了後、 スタッフに、 若者がホームレスになる原因をどのように推察しているか、 尋ねてみた。 彼らによると、 それはまず、 多様な要因が重なっているとみるべきである。 親の経済的困窮や本人の無職が原因というよりも、 むしろおとな側の養育放棄やネグレクトが問題である。 親の再婚先や本人の養子先での虐待や、 人間関係の複雑さも、 家出のきっかけになっているとのことであった。 通常彼らは、 橋の下や浜辺、 空き地、 公園などで寝泊りをせざるを得ない。 何よりもシェルターの不足が致命的だと言う。 しかし同時に、 市のホームレス対策については、 他の公共政策とのバランス上、 これ以上のことは、 なかなか期待しにくいと見ていた。 おしなべて、 市当局は奮闘してきたと思う、 との評価である。
2) 「サンタ・モニカ・シェルター」 (2001年度、 市より約41万4千ドルの資金を受給。 HUD の SH プログラムとも連携。)
救世軍は、 北米で大きな勢力を誇り、 チャリティー事業を重視するプロテスタントである。 当地でも、 94年以来、 市からシェルターの運営を任されている。
市は、 94年に野宿するキャンパーに対し公園を閉鎖することにしたが、 その前に、 より良い代替案としてシェルターを開設、 その運営を救世軍に委託した。 勿論、 人々が路上生活から脱出できるように、 相応のプログラムも提供している。 ここは、 主にアルコールと薬物依存、 または精神的肉体的な面で悩むホームレスの人々を対象としている。 しかし、 門戸は柔軟に開かれており、 次の3段階に別れている。 (1) 最長20日までの緊急宿泊、 (2) 最長6ヶ月までの宿泊と支援サービスの受給、 (3) その延長として、 自立を促しシェルターを去る段階。 第二・第三の場合は、 アルコールと薬物のテストを自発的に受け、 同時に、 職業訓練や生活技術全般のトレーニングも含まれる。
建物は、 市バス操車場の近く、 目抜き通りから離れた広い敷地にある。 シェルターといっても、 白いがっしりした常設の小テントや大テントが堂々と連立しており、 大阪釜が崎の大収容テントや青テントとは天地の違いである。 大テントは、 床は貼っていないが、 掃除は極めて行き届いている。 こぎれいな受付窓口があり、 部外者の入場チェックは固い。 中には、 売店風のコーナーや、 清潔で大きな食堂部分がある。 矛盾を覚悟で言えば、 威風堂々と言う印象をもった。 飛込み訪問だったので、 入居者には面接できず、 小テントの中は見せてもらえなかったが、 周辺も、 やはり整然として清潔の一言に尽きる。 広い敷地内は、 現在も拡張工事中である。 警備保守マネジャーは、 救世軍の使命に大きな信頼を寄せており、 容易には揺らぎそうもない自信と安定感を感じさせる人だった。 筆者が持っていた市の資料にすばやく目をとめ、 通読後に数字の間違いを指摘し、 ディレクターに訂正を求めるよう早速報告したい、 などと言う。
スタッフの雰囲気は、 親切で丁寧だが、 りんとしたきびしさも感じられ、 全体に、 ルールや規律が行き届いた団体、 という印象である。 明らかに、 他の NPO とは異なる雰囲気を感じることができた。 宗教的な特徴が、 特有の組織文化を醸成しているのかもしれない。 シェルター側が入居者 (ゲストと呼んでいる) に求める点は、 (1) 他のメンバーと協調して暮らすこと、 (2) 社会復帰への強い関与を主体的に積み重ねることの二つだという。 シェルター側は、 正直をモットーに、 ゲスト自身による人生の選択権を、 第一義においている。 しかも、 その選択を支援する際、 スタッフの経験や知識の優位が、 表面的な幻想でしかないことをよくわきまえている。 いかなる人とも平等な関係をむすぶことは、 現実の経済上・健康上の格差などを目の前にしたとき、 一つ一つが大きな挑戦になる。 このシェルター側の構えかたは、 日本の支援者に 「やりすぎ」 の声もきかれる現在、 大いに考えさせられる点であった。
3)「フレッシュ・スタート・マーケット」
これは、 NPO 団体ステップアップ・オン・セカンドの 「社会的企業プロジェクト」 として始まった。 この NPO は、 主に精神的な疾患や障害を受けた人々を対象としているものの、 必然的にホームレスの人々も含まれる。 NPO 本体は、 2001年度に市より約19万6千ドルの資金を受給した。 ケースマネジメント、 職業訓練、 毎日の夕食50食の供給、 居住の手配などを行う。 2つの大きなプログラムに噛み、 1つの独自サービスプログラムを組んでいる。 HUD の SH プログラムとも連動している。 建物は海岸近くの目抜き通りにあり、 上階層には、 この NPO の事務所やデイケア・センター、 関連施設がある。 1階には、 受付のほか、 通所者用の、 たまり場兼待合室がある。 広い所に大勢の人がテーブルについてしゃべっており、 大変にぎやかだった。
その横に、 こじんまりとプロジェクトの店がある。 既成品のスナックやガム、 キャンディー、 果物なども置かれている。 しかし、 メインの事業は、 奥の厨房で作られるサンドイッチ、 スープ、 クッキー、 サラダなどの店内販売とイート・インである。 店内には、 常時4-5組のテーブルやいすがあり、 計12人ぐらいが座れそうである。 中年の男性が一人、 中心になって運営全般に目配りをしている。 同時に、 社会復帰を目指す販売スタッフに対して、 助言や補助をおこなう。 厨房では共同で調理にあたっている。
アメリカの食材やファストフードに不安を感じる筆者は、 ここに通いつめたが、 すべてが大変おいしかった。 ロンドンで評判だったイタリアン・サンドイッチバーの味を思い出したほどである。 テーブルなどは機能本位の学生食堂を思い出させるが、 食べ物は、 素材の味を生かした自然で繊細な味つけだった。 新鮮であるのはいうまでもない。 値段は、 他社の同等品よりやや安い程度だが、 クッキーについては、 日持ちがするせいか、 割安感があった。 客層は、 なじみの通所者やその関係者、 NPO スタッフや飛び込みの観光客である。 地域にどの程度溶け込んでいるかはよくわからなかったが、 客足はそう途絶えることはない。
個人的には、 責任者の男性の姿勢に感銘を受けた。 丸いからだをした彼は、 くるくるとまめに働く。 イタリアの典型的マンマを男性にしたような雰囲気である。 同時に、 販売スタッフに対して、 積極的かつ具体的に評価や助言をする。 何よりも感じ入ったのは、 スタッフに、 よく感謝の言葉を口にしていたことだった。 とはいえ、 彼自身は、 イタリア人のように愛想がよい訳でもなく、 笑顔が多い人でもない。 しかし、 そこには、 心と心が直接対話するような、 コミュニケーションがある。 無理な背伸びや虚飾が、 一切感じられないのである。 こういう人といっしょに働きたい、 と思わせるような、 魅力的な人物だった。 同時に、 通所者や販売スタッフ自身が、 率直で正直なコミュニケーションを促している。 販売スタッフも、 顔なじみになると、 少しずつ、 わずかに微笑を見せるようになる。 この過程を体感できたことは、 筆者の大きな財産になった。 特大のオーツクッキーの味と共に、 忘れられない大切な思い出である。
(4) いくつかの特徴とヒント
ここでは、 上の観察事例の特徴点をまとめたい。
第一は、 人々との関係が対等であるとは、 どういう意味かという点である。 S 氏によれば、 アウトリーチの際、 当事者自身が支援サービスについて考慮するよう、 期間を置くという。 支援を拒否された時、 スタッフが翻意を促がすように説得することは、 否定的にしか評価されない。 本人の選択は、 自分自身による主体的な決定であり、 他者による説得とは異なるものでなければならないからである。 これは、 シェルターの基本的態度やプロジェクト店の責任者にも、 通じるものである。
第二は、 まち全体に、 ホームレス排除の雰囲気は、 全く感じられなかったことである。 西海岸有数の観光都市で、 多くのホームレスの人々が地元と共存している。 警察が排除に動く光景や、 地域・観光客とのもめごとは、 一週間、 一度も目にしたことはない。 現市長を支持する警察官団体もあるというから、 市の姿勢は、 相当地域に浸透しているのだろう。 目抜き通りのストリート・ミュージックには、 皆、 共に耳を傾ける。 精神疾患系の人々も、 NPO の周辺を中心によく見かける。 まち全体の穏やかな雰囲気は、 釜が崎やロンドンでは感じられないものだった。 越冬の通常デモに沢山の機動隊が出て、 警察がクリスチャンやボランティアの参加者の写真をとる日本とは、 大きな違いである。 威圧的・強権的発想では、 まちづくりはできない。
第三は、 やはり、 市民セクターの多様な活発さを挙げたい。 ホームレス支援関係だけでも、 11の NPO が市の資金を得て活動し、 約半数は、 SH プログラムとも連携している。 人的サービス部門全体では、 市の資金供給と監督の下に、 32の NPO が活動している。 財団などだけで資金調達をしている NPO や、 他の分野の NPO を入れると、 相当数に上るだろう。 書店に行けば、 緑の党や社会運動、 環境関係の本のほか、 「国際的市民社会」 といった言葉がおどる本も目につく。
第四に、 合衆国では、 資金獲得に狂奔する NPO をみて、 ホームレス問題や社会問題のビジネス化を批判する声も聞かれるという。 しかし、 市民が持てる多様性を最大限駆使して、 実践上の力を示さなくては、 社会的公正は正しく認識されないだろう。 これは、 市民が政治に社会的公正に顔を向けさせるというばかりでなく、 「底辺問題」 について自ら学ぶ重要な過程である。 市民のエンパワーメントとは、 自分たちの問題について解決能力を高めることだけではなく、 公正の問題と取り組むことができる力を含むのではないだろうか。 後者がなければ、 「国際的市民社会」 はグローバリゼーションの負の側面に立ち向かうといっても、 それは単なるイメージでしかないように思われる。
最後に、 営利企業においても、 今日、 「企業市民」 や 「企業の社会的責任」 という言葉が目につく。 非営利のベテランである協同組合も、 そうした視野からの再考が必要な時ではないだろうか。 他方、 群小の NPO が、 協同組合の組織運営の刷新や構成員の多様性を引き出すうえで、 示唆できる点もある。 ただ後者の場合は、 実際に参加し体感しないと理解につながらないことも多い。 社会的企業のプロジェクトの例など、 拙稿から何らかのヒントを得ていただければ幸いである。
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