2002年6月号
エッセイ


「信」 にまさるものはなし

千葉県生協連会長・
ちばコープ常勤理事 高橋 晴雄

つい先日六四歳に到達して、 やや感慨にひたりました。 私は生協に従事してかれこれ四〇年余になります。 かえりみて、 人並みにやっとできたのかと思う反面、 後悔の念も禁じえません。

若き日、 日本をゆるがした安保の経験が、 民主日本と生協への希望をつなぎ、 未来を疑わず、 ためらうことなく生協を選択しました。 その頃は生協への社会的認知はほぼゼロ。 大学や炭坑や職場に生協はポツポツありましたが、 地域生協はコープこうべ以外ほとんどないといっていい状態でした。 就職口として誰も認知しない時代でしたから、 生協をひろげる道づれをふやそうと他人の針路を生協にかえさせることも大いにやったものです。 もっとも私自身の人生航路もかえさせられ、 そのことで母親を悲しませたものでした。

それ以来四〇年、 当時、 予想だにしえなかった長足の発展を日本の生協はとげることになりました。 しかし、 日本社会の方はどうなったでしょうか。 なるほど世界に冠たるGNP国家に成り上がりましたが、 人の幸せは経済的なものでは決まらないことを今日まざまざと示すことになりました。

政治、 経済、 社会、 はては商品に到るまで何を信じてよいのか、 不信の時代をむかえています。 資本主義の根幹である信用制度もゆらぎはじめています。 日本社会は病にかかっているのです。 急速成長のもやしっ子に免疫体質はないので、 もしかして重病に陥いるかもしれません。 生協もまたその病原菌におかされていないかどうか。 こんな流れに一体私は何をしてきたのか。 これをかえりみて後悔の気持ちにとらわれるのかもしれません。

しかし、 私を生かしてくれた日本の生協と仲間たちは 「信頼」 という価値を大切にしてきました。 もちろん、 病原菌におかされかねない甘い体質もあります。 そこで多少ひらき直っていうならば、 病気も少しは良し、 病気になってこそ健康の有り難さや人の痛みがわかるのだし、 免疫もつくというものです。

外側から、 やれ病気だ、 これやれ、 あれやれというだけの評論家的正義の社会運動であってはいけない。 これを脱皮できたかどうか。 その答えが、 その場に身を入れて 「共に」 「うけとめる」 ということ。 それが日常的に行われるのが 「私も一言」 「コミュニケーション日報」 「おしゃべり対話の価値」 の提唱と実践でした。 私の予想をはるかにこえて、 仲間達には■気づきの過程■があり、 心がを豊かにしました。 私はそれに遅れをとっていると感ずることがしばしばです。 幸い、 組合員や若い幹部層の新たなエネルギーには確信をもたせるものがあります。

さて、 私は、 五月一六日の合併後初めての総代会をもってちばコープの理事長をおりました。 新しい理事長には、 大学教授を辞して千葉に身を移された田井修司先生が選任されました。 今後は新生ちばコープの発展を見守りつつ、 ささやかでも四〇余年の友人や地域の人々との新たなつながりをつくり、 生活協同の道ははずさないようにしたいと思います。

「協う」 の読者の方々とも心をひらいて自由に交流させて下さい。


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