2002年4月号
人モノ地域2
PEACEWALK 京都は 「わらわら~っと歩く」
PEACEWALK 京都参加者
加藤 道子
「テロも戦争もごめんだ!市民パレード」 が行われたのは、 911の衝撃もおさまらぬ9月30日のことだった。 たった一人の呼びかけから始まったこのアクションは、 多くの賛同者を得て PEACEWALK 京都 (以下、 PW 京都) となり、 現在まで続いている。
10月、 11月、 いちばん最近では2月17日と、 3回にわたって WALK。 のべ約500人以上が参加している。
PW 京都の WALK は、 デモではない。 まず 「シュプレヒコール」 がない。 代わりに、 ジョン・レノンの 『Give Me a Peace』 などを歌いながら歩く。
もちろん、 歌うのも歌わないのも自由。 プラカードや横断幕、 花、 楽器をもち、 ゆるゆる歩いていく。 歌や楽器のリズムにあわせて歩く人も入れば、 おしゃべりしながら歩く人もいる。
宣伝カーやマイクは順番にだれかが担当して、 沿道の人に WALK の主旨を説明し、 参加を呼びかけるために使われる。 正直な話、 わたしの印象としては、 ホント、 とにかくわらわら~っと歩いていくだけなのだ。
違いを認めあいつつ 一緒にできる方法を求めて
911以降に行われたある WALK で、 こんな会話を耳にしたことがある。
「なんや、 拡声器はないかぁ? どやって声あわせるねん」
「違うんやで。 今のはやりは、 マイク使わへんのやで。 それが若い人にいいねんて」
「そやけど (デモの) 感じでえへんわ」 「だから、 デモと違うねん。 ウオークやって」
デモ経験数知れないであろう、 年輩のご夫婦であった。 周囲の同じような年代の方から笑い声が起きる。
確かに、 WALK の方法についてはかなり議論があった。 当初、 準備ミーティングでは、 マイクの使用や宣伝カーの先導に強く反発する意見
「それは音の暴力じゃないのか?」 「デモの印象を与えるのはイヤだ」、 シュプレヒコールへの嫌悪 「○○反対!とか、 ○○せよ!とかいうのは平和的じゃない。 暴力的」 といった発言が若い世代を中心に多く、 強硬に出された。
「今までと同じことをやっても同じ人しか来ないから新しい方法を考えようよ」 という声もでた。 みんな新しい何かを求めていたのだ。
考えてみてほしい。 デモの最中にどの歌を歌うのかというような細かいことまで、 ミーティング参加者が意見を出し合い、 ていねいに決めるような、 そんな運動がこれまであっただろうか?
それはいつもだれかが決めてくれるものであった。 そうして、 そんなに歌いたいとも思えない歌であることすらあった。 PW 京都の準備ミーティングはまずそういうところから覆していったのである。
話題は方法論にとどまらず、 「なぜわたしたちは歩くのか」 「WALK のなかで表現したい平和とはどういうものか」 という議論へと発展していく。
これはとても本質的な問題である。 いい加減にはできないし、 したくない。 参加者は時間の許す限りみんなが一致するまでねばった。 なかなかに疲れる会議であった。 そりゃそうだ。
「なぜわたしたちは歩くのか」 なんて一人ひとり違って当たり前である。 話し合っても一致する保障はどこにもない。 それでも、 できるだけ多くの人が納得でき、 参加しやすいスタイルを求めてがんばったのである。
そう、 求めたのは 「違うものどうしが違いを認めつつ参加できるスタイル」 だったのかもしれない。 そうして、 WALK のスタイルはもちろん、 会議の進め方、 ひいては PW 京都というグループの運営にも貫かれた発想だったのではないだろうか。
ちなみに、 古き良き時代を知る方からは 「一度でいいからさ、 フランスデモ (参加者が手をつなぎ、 道一杯に広がって行進をする形態) とか、 ○○反対!とかやろうよ」 という意見も出された。 会議参加者が全員大笑いし、 即刻却下されてしまったのだが。
できることから できる範囲で
PW 京都が行ったなかでもっとも大きなイベントが、 昨年12月の 「平和の井戸を掘る 中村哲さん講演会」 であった。 ノートルダム女子大学のご厚意でお借りしたホールに約1800人が集まった。 いちばん早い参加者はなんと朝8時から会場入り口に並んでいた。 スタッフより早い (笑)。
中村医師が所属するペシャワール会への募金が会場で180万円ほど集まる。 当日のスタッフは、 すべてボランティア。 わたしは当日の司会という大役を仰せつかった。 舞台に立ち、 1800人という数よりも、 参加者の気合いに驚く。 これだけ話にのめりこむ人々というものを見たことがない。
そう思えるほど参加者の熱い思いがひしひしと感じられる講演会だった。 この日以降、 「あのとき司会をされていませんでしたか?」 と聞かれたことも少なくない。 その都度、 冷や汗をかく。 実は、 この時期わたしはとても忙しく、 一時は講演会への参加そのものをあきらめかけたこともあった。
そのため、 全体の進行にかかわる打ち合わせは、 無理をお願いして1回だけにしていただいた。 自分の特技や関心のあることを中心にしながら、 自分の条件にあわせて参加ができることも長く参加し続けてていくためには大切なことである。 そういうスタンスを守ることができるのも、 PW 京都のいいとろだ。
もちろん、 他の方のフォローがあってこそ、 それが可能になるのだが。 そのぶん、 情報のやりとりは密に行われる。 会議に出席できなくても、 メールでその内容が届く。
あらかじめ会議に出席できない場合はメールで意見を述べる。 インターネットやメールが発揮している力はとても大きい。
もちろん、 メールを受け取る環境にない人には FAX や郵送で情報が届くようになっている。 ちなみに、 わたし自身が PW 京都に参加したきっかけもひとつのメールだった。
同じ問題関心をもつものどうしがネットを介してつながり、 アクションをおこす。 以前なら考えられなかったことだ。 今や、 運動の根底にネットの力ありきということなのだろう
ゆるやかな個人の集まりとして
講演会のあと、 PW 京都のあり方について何度も話し合いがもたれ、 あくまでも個人の集まり、 ゆるやかなネットワークとしようということになった。
WALK を中心にしながら、 参加者は PW 京都を出会いの場、 平和について語り合う場と考える。 そこから、 問題意識のあった人どうし、 いろんな企画がうまれれば応援していこう。
そんな感じである。 今、 動いている企画は、 中村哲さんの講演録の出版だ。 この 『協う』 が発行されるころにはできあがっているかもしれない。
また、 4月、 6月にも WALK が決まっている。 そのあとの企画は、 また参加者がわらわらと寄り集まって決まっていくことだろう。
アフガニスタンはもとより、 パレスチナ情勢の目を覆うような惨状、 有事立法や憲法改悪など日本国内の動き PW が終わる、 終われる展望は残念ながら今のところあまりない。
最後に、 ある WALK 参加者の感想でこの駄文を締めくくりたい。
「歩いてるうちに笑顔になるんだよね。 バスに手なんか振りたくなっちゃって。 あー気持ちよかった」。
PW 京都ホームページ http://www1.odn.ne.jp/~ceq25780/ pw.htm
前のページへ戻る