2002年2月号
視角
DVは 「許された暴力」 ではない
~世の男性達は猛省せよ
吉田 容子
DV (ドメスティックバイオレンス) は、 近時、 その言葉だけは一般に知られるようになった。 しかし、 「暴力とは相手が怪我をする位ひどく殴ったり蹴ったりすることであり、 それは良くないことだけれど何か理由があるはずで、 被害者にも落ち度がある。 常時暴力をふるう加害者は、 特別に問題のある男性に限られる。」 という様な誤った理解が一般である。 この様な誤った理解が如何に多くの DV を発生させ、 被害者を苦しめ、 加害者を安心させのさばらせているのか、 まさに暗澹たる思いである。
DV とは、 「親密」 とされる関係において加えられる男性から女性に対する暴力である。 殴る・蹴る・腕をねじ上げる・髪を引っ張る等の身体的暴力に限らず、 妻が人と会ったり電話で話す等の社会活動を妨げ、 妻の行動を管理し制限する社会的隔離、 妻の欠点をあげつらう・恥辱感や罪悪感を植え付ける等の心理的暴力、 家計の管理を独占し妻に財産状況を教えず妻の就労を妨害する等の経済的暴力、 妻の意に反して性行為を強要する性的暴力、 危害を加えるぞと脅迫したり 「子どもをおいて出ていけ」 等と脅かす脅迫・威嚇等々、 全てが相乗効果を伴いながら (相互に暴力の効果を強化しながら)、 女性達を苦しめ続ける。
しかし、 DV の実態を知る人は少ない。 例えば、 日本国内で毎年、 確実に100人以上 (多い年は130人以上) の妻達が夫達に殺されているという事実は、 殆ど知られていない。 毎年、 殺人事件の1割以上が 「加害者は夫、 被害者は妻」 という 「親密」 な関係で起きているのであり、 京都府下でも昨年は3人の妻が夫によって殺されている。 治安がよいと言われている日本で (最近はこの安心感も揺らいでいる様であるが)、 最も安全なはずの家庭が最も危険な場所の1つになっている。
DV は、 長い間、 法的にも社会的にも全く無視され放置されてきた。 その最大の理由は、 DV が 「許された暴力」 とされてきたことである。
例えば、 A が街頭で誰かを殴ったら、 すぐに警察官が駆けつけ暴行罪 (被害者が怪我をしていれば傷害罪) で逮捕するだろう。 しかし、 A が殴った相手が自分の妻であったらどうか。 たとえ妻が警察に告訴しても、 従来は (おそらく現在も)、 間違いなく (!) A は逮捕されず、 取り調べを受けることもなかった。 何故なら 「加害者が夫であり、 被害者が妻だから」 である。 これは単なる 「夫婦喧嘩」 にすぎず 「民事不介入」 であるべき警察は動けない、 という訳である。 「法は家庭に入らず」 という格言 (注1) も、 こういう場面では都合良く (さも人権保障に資するかの様に) 強調される。
では、 この様な態度は法律的に正しいのか。 答は、 明確に NO である。 窃盗罪等とは異なり、 刑法の暴行罪・傷害罪等について 「一定の親族間では刑が免除される」 という規定は存在しないし、 被害者が妻だからといって違法性の程度が低いということもあり得ない (少なくとも憲法14条を忠実に刑法解釈に当てはめれば)。 つまり、 どこから見ても DV (特に身体的 DV) は犯罪であるし、 そんなことは条文を素直に解釈しさえすれば刑法制定当時 (1907年) から自明のことであった。 警察は 「民事不介入」 と言いつつ、 実際は 「刑事不介入」 を続けてきたのである。
ことは刑事事件に尽きない。 民事事件でも同様に DV は無視され放置されてきた。 被害者は、 思い悩んだ末に相談した弁護士から 「そんなことは暴力ではない、 離婚も慰謝料も無理」 と言われ、 家事調停の調停委員から 「子どもの面倒もよく見るし給料もきちんと入れる、 あんなに良いご主人 (!) が暴力を振るうはずがない」 と言われ、 離婚訴訟の裁判官から 「それで、 あなた怪我をしたんですか、 病院は行きましたか。 そんな暴力があったのなら、 どうして早く逃げなかったんですか」 と言われる。 一体どこで誰に何を話したら真実が理解されるのか、 絶望的な気持ちにさせられる。 ようやく離婚自体は認められても、 慰謝料はごく低額でゼロのことも多い。 「子どものため」 と思って必死に耐えてきたのに、 子どもは虐待者 (DV 加害者) からの攻撃を避けるための防衛反応として虐待者に同一化し、 自分を守ってくれない (と子どもは思ってしまう) 母親への不信感を募らせ、 怒りの対象を父親から母親に移していくこともある。
何故この様に歪んだ法律解釈が横行してきたのか。 それは、 単に個々の警察官や法律家 (弁護士、 裁判官、 検察官、 学者など) の資質の問題ではないし、 そんなことに矮小化されてはならない。 それは、 社会の隅々までを支配する女性に対する性差別構造と警察官や法律家に染みついた性差別意識の故であり、 そしてこの歪んだ態度に対する圧倒的多数の国民 (社会的強者即ち声の大きい 「男性達」) の確固たる支持の故である。 周知の如く、 「男性達」 は 「女性達」 に比べ、 およそ社会のあらゆる面で政治的にも経済的にも社会的にも圧倒的に強い力を持っている。 そして、 男女の 「親密」 な関係は外界から遮断された無関係なものではあり得ず、 「男性の優位と女性の従属」 という社会の構造的力関係の影響を受け、 その中に埋め込まれていく。 男性達はその優位と女性の劣位を信じてやまず、 「親指の法則」 (注2) は現在の日本でも歴然としてその効力を維持している。
昨年、 DV 防止法が制定・施行された。 しかしこの法律は、 「防止法」 といいつつ、 実際は何一つ有効な DV 防止対策を提示していない。 各都道府県に設置される配偶者暴力支援センターは従来の婦人相談所を超える機能は持たないし (つまり、 看板が1つ増えるだけ)、 保護命令制度は身体的暴力だけを対象にし期間も6ヶ月または2週間に限定されており、 従来からの仮処分制度の方が使い易い。 同法制定後に裁判所・警察の対応が改善された感はあるが、 未だ不十分であるし、 遅きに失していることは言うまでもない。 それでも 「ないよりはまし」 な法律ではあろうが、 真の DV 防止法・被害救済法にはほど遠い。
一体誰が何故どの様に、 悪いのか。 性差別の根源とその徴表である DV について、 「世の常識」 「社会通念」 などを理由とすることなく自分の頭で考える意欲と能力のある人ならば、 容易に理解できることである。 世の男性達は、 この意欲と能力のあることを示していただきたい。
- (注1) 法は家庭に入らず:私的な関係には法即ち国家権力はなるべく入らずに当事者の自律に任せるべきであるという考え。
- (注2) 親指の法則:19世紀イギリスのコモンロー (慣習法) で、 親指より細い鞭などで妻を打つことは夫の懲戒権の行使として適法であるというもの。
よしだ ようこ 市民共同法律事務所 弁護士
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