2002年2月号
書評2
自分であることはシンプルなこと
森 智子
『協う』 編集委員・京都生協組合員
『スターガール』
ジェリー・スピネッリ 千葉茂樹訳
2001年 理論社 1380円+税
本書は、 アリゾナ州の砂漠の近くのハイスクールに転入してきたスターガールと名乗る何もかも風変わりな女の子が、 はじめ、 皆から奇異な目で見られ、 少し受け入れられ、 シャニング (遮絶) にさらされ、 又、 転校していく、 という物語である。
学校中の生徒の誕生日を知っているらしい彼女は、 ランチの時間にはウクレレをかき鳴らしてその子の誕生日を祝う。
一時は、 色んなタイプの人間に好かれ、 注目を集めた彼女が、 何故、 無視されるようになったのか?
それは、 利己心の少なさである。 フットボールの試合で、 相手チームの得点時にも踊り、 負傷した相手方の選手に膝を貸した彼女は、 大間抜けのチアガールとされるのである。
たいていの人は、 一見して自分とは関係なさそうに見える他人の幸運には、 拍手を送り、 不運には同情するものだ。 しかし、 フットボールのように相手チームの得点が自分のチームの失点になるものの場合は、 そうはしない。 本書の場合、 スターガールを除いては。
他の人にとって重要なグループの所属の問題は、 彼女には理解できない。 彼女の心の中では、 物事はとてもシンプルだからだ。 語り手 (スターガールのボーイフレンド) の相談役の化石学者は、 彼女のことをスターピープルと称し理解しているが、 よくあるように一気に問題解決とはならない。 そこが本書の素適なところである。
しかし、 不満もある。 同窓会では誰もが彼女の消息を知りたがるのに、 自分たちが彼女にした事を忘れているかのようだ。 とは言うものの、 ハイスクールには、 かつてのスターガールを思わせる振る舞いをする生徒たちがいることを示し、 彼女が忘れられていないことを暗示しているのかもしれない。
それにしても、 彼女に対するシャニングは徹底的である。 彼女が、 語り手への思いゆえに、 又、 人気者になりたいということで、 ありふれた格好をし、 スーザン (彼女の本名) になり、 州の弁論大会に優勝しても、 歓迎する生徒はたった一人なのである。 そして次の週に彼女は、 本来の自分であるスターガールにもどるのである。 彼女にとっての名前とは、 身にまとっているだけのもので、 合わなくなったら着替えるものだということを考えさせられる。
様々なことを考えさせられる本書であるが、 今のところ、 世界で一番続きを読みたいが知りたくない気持ちにさせられるラヴ・ストーリーでもある、 と思う。
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