2002年2月号
コロキウム
ネットワーク型市民グループとボランティア
- 「釜が崎のまち再生フォーラム」 におけるボランティア養成の事例から-
大阪経済法科大学非常勤講師・当研究所研究委員会幹事
中嶋 陽子
1.一般的な状況
不況の長期化に伴い、 野宿生活者 (ホームレス) の数が増大している。 大阪は、 全国の半数を占め、 その数およそ1万人といわれている。 野宿生活者の前職は二つに大別され、 主に、 雇用主不定の土木建設労働者と被雇用者・自営業者である。 前者の失職は、 高齢化による肉体能力の低下、 不況や公共事業削減による求職数の激減、 後手に回る行政の対応が主な原因といえる。 後者は、 今後も増加が危惧されるリストラや倒産によるものである。
いわゆる釜が崎は、 大阪市西成区内の3つの町内をさすといわれ、 前者が集中する代表的な地域である。 かつては、 日本の三大寄せ場の一つと言われた。 周辺には、 被差別部落のほか、 在日韓国・朝鮮人や沖縄出身者の集住地域、 遊郭そのままを今に残していると言える飛田などがある。 これらの一帯は、 日本の社会構造の中でもっとも不利な立場に立たされた人々が、 困難の中、 日々のくらしを積み重ねてきた地域だと言えよう。 (注1)
したがって、 キリスト教諸派は、 そのミッションに導かれ、 高度経済成長時代から地道な人道的活動を続けてきた。 又、 労働運動の諸派も活動の歴史は長い。 こうした先達に混じり90年代末期から参集してきたのが、 市民運動のスタイルを踏襲した新しいグループである。 これら三つの流れは、 専念している領域や対象がそれぞれ異なり、 一部で協力しつつ並存しているのが現状である。 法的なくくりから言えば、 任意団体のほか、 新旧の社会福祉法人や財団、 NPO 法人という形をとっている。
ここで主に取り上げるのは、 釜が崎のまち再生フォーラム (以下フォーラム) での活動である。 これは、 上記団体からの有志や様々な職業の一般市民が、 個人の資格で参加するネットワーク型のグループである。 フォーラム自体は任意団体であるが、 そのなかから孵化し、 NPO 法人となったグループもある。 現在のところ、 主な働きかけの対象や活動のパートナーは、 元野宿生活者だった人々である。 当事者が主体の地域循環型有機農業や介護事業、 支援者の唱導による地域通貨の試みや高齢者支援ハウス (注2)、 福祉の実践直結型勉強会、 釜が崎の市民館建て替えへの提言など、 アメーバ的な小集団や事業革新が活発に展開されている。 ボランティア養成講座もそのひとつである。
2.予期せぬ成功-講座開設の経過と内容
企画の提案者は、 教育委員会に勤める男性であった。 人権問題にも詳しい氏は、 もともと識字教室を釜が崎に作りたいと言う明確な目標をもっており、 その人材募集のため、 ボランティア養成の講座を提案したのである。 フォーラムのメンバー自身、 経験豊かな者ばかりでなく、 講座運営のノウハウも共有されていたわけではない。 応募者も識字学習者もイメージさえ掴めない状態で、 手探りからの出発であった。 行動力に富む事務局長でさえ弱気の発言をするなか、 提案者の熱意とリーダーシップに押されて、 企画は具体化していった。 筆者は、 よくわからないまま雰囲気にのって実行委員になった。 10人程度のうち3-4人が中心的役割を担い、 フォーラムのメンバーが、 任意に随時協力する体制である。
講座の日程は、 全10回で1ヶ月半をかけ、 毎週週末の午後から2時間半をとった。 共通プログラムを7回行なった後、 2コースに分かれる。 そのプログラムは、 生きがいづくりコーディネーターと識字ボランティアで、 各々3回行なう。 内容については、 実践の場で経験を積んだ講師が選ばれ、 ワークショップ形式を取り入れた。 概要を示すと、 NPO メンバーが (男性学) からみた当事者像を語る、 フォーラム事務局長が釜が崎再生の構想へいざなう、 研究者が地域形成史を語る、 高齢者支援ハウスのオーナーや居宅保護グループの支援者が居住者のケア・生活実態や当事者の活動を紹介する、 ボランティアケースワーカーが傾聴-協同組合でいえば「聴く活動」-によって到達した当事者像を掘りさげる、 牧師や専門家が識字の世界を案内する、 都市計画家や院生が地域通貨のシミュレーションをしかける、 などである。 また、 地域をよりよく体感してもらうため、 フィールドトリップや交流会も組み込まれた。 すなわち、 通天閣界隈での交流会、 当日夜の簡易宿泊所一泊体験、 翌朝の釜が崎主要施設の見学、 続いて三角公園での炊き出しボランティアである。 これは、 共通プログラムのハイライトとなった。
10回分の料金は、 学生5千円、 社会人7千円とし、 簡易宿泊所代2千円と交流会費用は自己負担である。受講の一回ごとの切り売りはしないことになった。 受講生には全課程を通して全体像をしっかり理解する意気込みで来てほしい、という理由からである。 参加のしやすさよりも、 要求水準の高さを堅持することになった。 各コースでボランティア活動の念頭におかれたのは、 居宅保護を得た元野宿生活者の支援である。 フォーラムの活動対象からいえば、 主に高齢者支援ハウスに住む生活保護受給者である。 再び路上に戻らなくてもよいように、 健康問題、 生きがい再発見、 識字といったような、 人的・福祉的なケアを、 ボランティアが支援し共有する。 受講生には、 50%以上の出席にたいし漫画のキャラクター 「カマやん」 のイラスト入り修了証を発行することとし、 修了後、 上記のような活動の場や情報を提供する段取りになった。
次は講座の宣伝である。 これは出遅れて、 案内ちらしを配り始めたのは、 開始前2か月をきっていた。 活用されたちらしは、 約4千枚にのぼる。 そのうち約500枚が、 地域への説明や紹介を兼ねて、 釜が崎の諸団体や施設関係者にわたった。 その他、 ボランティア団体や京都・大阪方面の大学や教育関係者にも接触し、 大手新聞の大阪版には記事が掲載された。 締め切りは当初の予定より遅らせたが、 結局、 終盤になって申しこみが集中し、 急遽、 定員40名を50名で打ち切ってのスタートとなる。
3.受講生の分析-高いモティベーション
受講生の属性をみてみよう。 性別では、 女性が50人中34人、 約7割になる。 職業環境をみると、 参加の動機から窺える限りでは、 およそ以下のようになる。 まず、 女性の場合、 学生・院生18%、 近隣の福祉関連等就労者・在住者12%、 その他 (左記以外の就労者・退職者・主婦など) 38%である。 他方、 男性では、 同様に10%、 6%、 16%である。 性別を無視すれば、 学生14人と近隣の福祉関連等就労者・在住者9人とで46%となり、 半分近くを占めている。 年齢層は、 中年にいたるまでの若い層が圧倒的だった (目視による)。 地域性では、 大阪以外から、 兵庫県5人、 京都府3人、 滋賀県1人、 和歌山県1人、 東京都1人の計11人22%にのぼった。 関西中心に広範な関心を呼んでいることがわかる。
学生では、 女子は福祉系学部が圧倒的であり、 それ以外はボランティア経験者である。 男子は、 所属学部はすべて異なるが、 社会問題に広い関心をもっている。 たとえば、 アメリカ流の経済理論で有名なあるエリート大学の院生の場合、 彼の母親は、 生活クラブ生協の活発なメンバーだった。 その他、 PC ソフト会社で多忙な毎日を過ごした元社会人の福祉系学生や、 周辺地域出身で地方議員をめざす社会人学生などもいる。 学生の参加者にも、 多様なふくらみを持った背景が窺える。
つけ加えるならば、 女性の過半数を占める 「その他」 で特徴的なのは、 既に何らかの社会活動の経験者が多く、 将来の目標や問題意識が鮮明で、 大変活発なことである。 専業主婦はごく少ない。 他方、 男性の 「その他」 では、 退職者の社会貢献以外、 動機がさほど明確でなく、 出席率の低さに反映している。
修了状況についてみよう。 最終的に49人で出発し、 証書受領者は、 生きがいコース19人、 識字コース15人の計34人である (69%)。 受領に至らなかったものの後半のコースに残った4人を勘案すると、 定着率は78%にのぼる。 この種の長丁場の講座では、 高い数字だと言えよう。 脱落組は、 6人12%となった。 因みに、 フィールドトリップだけの参加者が3人、 一度も現われなかった人は事前のキャンセルを含めて3人である。
受講生の全般的な特長は、 明快な意志や強い意欲のほか、 高い表現能力とさわやかな率直さがみられたことである。 ワークショップでは、 にぎやかな意見交換が相次いだ。 既に様々な経験を積み、 コミュニケーション能力が身についていることが推察される。 この点は、 講座をすすめていく上で強力な利点となり、 ワークショップ形式を重視したことも手伝って、 内容の理解や進度を促進した。 また、 受講しながら現地でボランティアを始めた人もおり、 これも学習と実践の好循環を生んだと思われる。
4.講座のその後-活発な展開
予想以上に多数の受講生が集まったのをみて、 フォーラムでは、 早速、 地域内発型のボランティアセンターを設立しようという動きが見られた。 フォーラム自体が、 諸活動の積極的な事業化を目標に掲げている為、 当然の方向である。 そこで、 数人の修了生を中心に、 同窓会の世話人会が発足した。 当面、 ニュースの発行によって、 周辺情報を流し相互交流をはかることになった。 講座の実行委員会は、 事務的サポートと協力関係を維持することを旨とし、 両者の間に垂直的関係は一切ない。 お互いの協働が行動原理になっている。 今後、 周辺団体からもボランティアの打診がくるだろう。 そうなれば、 実行委員会と修了生グループとが共同で、 ボランティアの需給情報などを調整する機能が必要になる。 これは、 現在企画中の第二・第三期の養成講座と並行して、 急速に形ができていくものと思われる。
また、 生きがい作りコースでは、 プログラムの最終回に作ったアクションプランが、 実行に移されつつある。 これは、 実行委員と受講生が共同で実際に行動を起こそうというものである。 その趣旨は、 それぞれ支援ハウスのオーナーが基軸となり、 居住者や支援者・ボランティアとともに生活作りの催しを工夫したり、 引きこもりからの脱却や余暇の共有をはかったりする、 ということである。 具体的には3つのグループに分かれ、 1) 共同キッチンを利用した栄養学クイズや料理教室・食事会、 2) 車椅子の居住者を対象にした春の花見や行楽、3) 近くを借りた継続的な菜園づくり、 を始める。
他方、 識字コースでは、 修了生を中心に、 より専門的な識字教室が始まっており、 現・元野宿生活者の間から参加希望者もでている。 教室開設にあたっては、 ボランティア養成講座の収益がすべて充当されることになった。
5.フォーラムの組織特性-講座成功の一要因-
講座の成功は、 母胎になったフォーラムの性格によるところが大きいと思われる。 フォーラム自体も、 いわば意図的・戦略的思考を伴ったボランティアの集合体にほかならない。 講座では、 これら双方のボランティア集団が重畳するために、 影響し合ったのである。 したがって、 ここではフォーラムの組織特性をみていこう。 それは、 まず、 メンバーが個人としての資格で参加しているということである。 事務局は、 財団の助成金の申請や寄付金の管理をしており、 フォーラム内の横断的な調整は当然されているが、 参加者にはほとんど感じられない。 全体会議を始めほとんどの会議は公開で、 会費もなく、 メンバーは不定である。 他の団体関係者もよく顔を出すが、 いわゆる通常いわれる組織代表という形ではない。 それぞれ活動の中核になる人はいるが、 事業も活動メンバーも、 柔軟に融合分離する。 つまり、 アメーバのように変幻自在な小グループからなる集団なので、 誰かが自発的に企画を提案すれば、 賛同者が集まり動き出すのである。 その決断や行動は迅速である。 会議は別途、 臨機応変に開かれる。 資金が必要となれば、 財団などから調達したり、 事業を通して捻出したりする。 組織集団としてルールはあるが、 あえてくだけた言い方をすれば、 「うそと不倫はなし」 (事務局長) ということであろうか。
いいかえれば、 ここでは、 メンバーが、 自律的な個人として信用されているので、 持てる能力を躊躇なく発揮することができる。 企画がはかどるのも、 個性を発揮できる快適さが手伝ってのことであろう。 とはいえ、 メンバーが個人の資格で参加しているからといって、 職場など所属組織からの圧力がないわけではない。 しかし、 そのような場合でも、 個人が自立しており、 組織の過剰な束縛から解放されようとする意志や実行力が備わっている。 したがって、 メンバーの胸中では、 フォーラムで何を実現したいのか、 その際自分がどうありたいのかが、 自問自答されており、 自己と対象の往復運動が清新なイメージとして常に脳裏を行きかっている。 これが、 新たな未開のテーマに取り組む時、 強力な推進エネルギーになるものと思われる。
第二に、 当然ながらメンバーのコミュニケーションも率直であり、 インターネットがうまく活用されている。 関連情報が活発にやりとりされており、 配信の原則は、 情報と意見の共有・公開である。 フォーラムのどの部分に参加していても、 しばし遠ざかっていても、 全体像が、 一定程度イメージできるように、 送信が配慮されている。 特筆したいことは、 事務局長の力量である。 氏は、 事務的な内容から意見の喚起・交流まで、 きめ細かくユーモアも交えて対応し、 情報組み立ての中枢的な役割を果たしている。 今日的な情報の道具が、 人材を得て、 よく使いこなされていることがわかる。
第三に、 率直なコミュニケーションがある所では、 しばしば情報のマジックが起こり、 これがさらにネットワーク全体の活力を加速させる。 それは、 たとえば次のようなことである。 すなわち、 メンバーが各自の限定された知恵や情報を自発的に出し合うとき、 それらがたとえ対象に適合的でなくても、 個別の情報どうしが集団の中でぶつかりあうことによって、 次々に情報の連鎖が生まれ、 本来目的とした情報に到達する可能性が高くなる。 あるいは、 行動目標や対象にたいし、 個人のもつ多彩な情報が付け加わることによって、 本来のイメージが変更されたり豊かになったりするが、 この迂回的な道をたどることによって、 本来の目標や対象に到達できることも多い。 このように、 ネットワーク型の組織では、 知恵や情報が単なる足し算としてあるのではなく、 潜在的には等比級数的な量として、 蓄えられている。 反対に、 ピラミッド型の組織では、 情報の流れが指揮命令系統として単線的になりがちなので、 情報も、 お互いに予期されうる範囲内のものが無駄のない形で降りてくる。 したがって、 そこでは、 当初から意外性が求められないために、 情報の連鎖も迂回的な到達経路も現われにくい。 結局、 よく機能しているネットワーク型組織ほど、 上記の特長は顕著だと思われる。
第四に、 メンバーの専門性が挙げられる。 これは、 ボランタリーな非営利組織でよく言及される言葉であるが、 市民組織においては、 神秘化された閉鎖的な専門性(注3) をさすのではない。 たとえば、 職種の広さや40代が大半ということから、 フォーラムのメンバーはごくふつうの勤労市民で、 ある程度経験を積んだ人々だということがわかる。 職場では、 熟練と専門性を深めつつある世代であり、 年功や長幼の序列にも、 さほどこだわらない。 このことが、 組織から権威主義的・家父長的風土を一掃させ、 若手にたいしても、 より快適な場を提供しているものと思われる。 したがって、 ここでいう専門性とは、 地域や生活に寄りそうことを基礎体力にしながらも、 さらに、 社会的な知見や社会関係の集積によって力が増強された、 そういう総体的な実践能力のことである。 市民生活を包括的に反映し、 個人間の自律と協力に裏打ちされた分析力や実行能力を示すものだと思われる。 さらに踏み込んで、 そこに独自の社会的価値を見出すならば、 フォーラムの場合、 それは人権文化 (注4) のささやかな一端を担っていることだといえよう。
6.釜が崎は 「特殊」 なところなのか-ボランティアにとっての場と身体性-
受講生は、 感想文からも明らかなように、 フォーラムの特徴を肯定的に受けとめた。 その好意は、 メンバーの自律性と個性への共感として表れ、 双方が積極的な方向にむかって共鳴しあうことで、 講座を成功に導く要因になったと思われる。 では、 実際彼らが釜が崎でボランティアをするということは、 どんな意味をもつのだろうか。
一般に、 ボランティアは、 受け入れ組織に清新な風を送り込み、 旧態依然とした組織に活力を与え動脈硬化を防ぐと言われる(注5) 。 未知ゆえに組織の抱える問題点がよく見えるのである。 それは、 フォーラムにとっても例外ではない。
しかし、 初めてのボランティアにとって、 釜が崎は、 市民生活とかなりの距離を感じる所であろう。 「社会的排除」 (注6) という言葉が示すように、 一般市民生活から隔絶した世界だと思われやすい。 しかし、 釜が崎周辺の地域像は、 この社会的排除の克服が、 よりよい人権文化の創生につながることを示唆している。 つまり、言いかえると、 ボランティアにとって釜が崎は、 多様な社会学習を体感する場として、 大きな教育機能をもつ、 ということである。 それは、 年齢を選ばない。 たとえば、 路上生活者の現状は、 生存そのものが問われる、 きわめて厳しいものである。 ボランティアは、 政治の無策、 行政の怠慢、 人権侵害といった、 よく聞かれる言葉の、 リアルで非情な現実に直面する。 また、 支援ハウスの元路上生活者と接すれば、 ジェンダー・高齢者・障害者をめぐる様々な問題に直面する。 生活の組立てや生きがいとなれば、 誰の問題にも共通する普遍的なテーマを含んでいる。 そこから、 社会や政治への疑問、 人権問題や社会政策への接近などが始まる。 同時に、 自己との葛藤も始まる。 そして、 その過程や帰趨は、 人によって様々である。
あえて究極をいえば、 釜が崎は、 「必要とされない人はいない」 というシンプルな真実を直截的に教えてくれる。 釜が崎が 「ふところの深いところ」 といわれるのは、 そのためであろう。 最も素朴なボランティア行為の真理= 「人は、 困ったら助け合う」 ということを、 多面的な形で教えてくれる。 (注7) 一見特殊に見える外観を伴っているものの、 釜が崎には、 社会一般に共通する問題や人生の複雑な真実が、 ここかしこに存在しているからである。 釜が崎は、 そういう場の力を持っており、 市場万能社会の疎外感や競争主義に悩む市民に、 根底的な疑問を投げかける。 つまり、 釜が崎は、 ボランティアによっては、 癒されたりエネルギーを与えられたりする所であろう。 また、 活動的な支援者には、 思い込みや思い上がりが正されたり、 現実に耐えうる部分が活かされたりする場である。
釜が崎という場は、 考え行動する市民の実体がどの程度の手ごたえのものか、 私たちの力のほどを試しているようである。 時代の波に乗った勢いだけでは、 通用しない。 (了)
参考文献など
- (注1) 小柳伸顕氏 (関西キリスト教都市産業問題協議会) によるフィールドトリップ (2002年越冬セミナー、 1月2日)。
- (注2) いわゆる福祉マンション。 民間の改造された簡易宿泊所だが、 共用リビングを設け、 居住者の交流やケアを重視。 合衆国のサポーティブハウス (NPO) とはサービス内容が似ているが、 所有・運営形態が異なる。 概念・語法の混乱があり、 詳細は別稿の予定。
- (注3) J.RothschildJ.A.WhittThe cooperative workplaceCambridge University Press1986. 最近の似た傾向では、 藤井敦氏による論考。
- (注4) 堀井降水 「人権文化の創造」、 明石書店、 2000年。
- (注5) 島田恒 「非営利組織のマネジメント」、 東洋経済新報社、 1999年。
- (注6) 福原宏幸 "Homeless People and Civil Society in Urban Japan"2nd International Critical Geography Conference9-13Aug. 2000.
- (注7) 本稿は、 現・元野宿生活者のかたを始め、 上記フォーラムやキリスト教協友会、 養成講座受講生のかたがたに、 非常に多くを負っています。 御名前を列記しませんが、 この場を借りて、 心より、 ふかくお礼申し上げます。
プロフィール
なかじま ようこ
応用経済学専攻。 大阪経済法科大学などの非常勤講師。 当研究所研究委員会幹事。 専門は消費経済論・NPO 論。 著書・論文-「日本的な社会と生活協同組合の類型」 (「生活の想像と創造」 所収、 '96)、 「今日の女性-NPO/NGO の伸展のなかで」 (「現代社会と人権」 所収、 '01) など。 現在、 大阪でホームレス支援活動に参加。 現地の市民グループや NPO の研究を進めている。
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