2001年12月号
書評2


協同のネットワークの再構築---ちばコープの実践---

田中 秀樹
広島大学教授


『発想の転換:生協-暮らし・仕事・コミュニティ』

高橋晴雄編著 2001年
同時代社 1900円+税


ちばコープの実践の根幹に貫かれているものを、 わかりやすく書かれた本が出された。

この本の4章に出てくる 「スリランカの悪魔祓い」 の話は、 ちばコープの実践を考えるうえで興味深い。 「スリランカの悪魔祓い」 の紹介ははぶくが、 この 「悪魔祓いというのは人と人をつなぐ行事」、 村人総出の 「ネットワークの再構築」 の行事であり、 孤独な人間関係から生まれてくる、 競争的で敵対的な人間関係-そこから悪魔が生まれてくる-を協同的なネットワークへと再構築する取り組みなのである。

ある共済部職員が、 共済の取り組みに協力的でない支部長が悪魔のように見えていたことに気づく、 という話のなかで出てくる例え話であるが、 職場だけでなく、 学校や地域においても、 競争的な人間関係に放り込まれるなかで、 お互いが小さな悪魔に見えてくることがよくあるのではないだろうか。 私たち自身、 自分を他人と比較し、 比較され、 相互に孤立する中で、 競争に追いこまれていることに気づくことが、 現代社会においては多い。

こうした孤立した人間関係のもとでは、 自分自身の姿も、 実はよく見えてこない。 3章で述べられているように、 「おれはあいつよりよくできる」 などと、 「他の孤立した個との比較によって」 は、 自分自身の姿は他人との比較の場面で垣間見えるだけである。 本当の自分を発見するには、 他の生き方や人格との出会いのなかで 「自己を育て、 自己を確立」 することが必要である。 現代社会が生み出しつつあるのは 「自立した自由な個人」 というよりも、 孤立した競争的な個人であり、 そこでは豊かな自己の発見につながる協同の契機が閉ざされてしまう。

ちばコープの 「おしゃべりの輪を広げる」 ことの現代的意味がここにある。 ちばコープは、 孤立からの協同の再構築にチャレンジしているのであり、 そこにちばの実践の現代的な意義がある。 こうした視点からは、 非常勤理事の役割も 「おしゃべりのチャンスをつくるのが理事の役割」 となるし、 共済部の職員が発見したように、 協力してくれないように思えた支部長も、 よくよく話をしてみれば、 相互に共通の悩みを持ちながらそれぞれが頑張っていることに気づく。

ちばコープにとって、 生協運動とは、 「暮らしづくり」 であり 「自分づくり」 である。 「商品づくり」 は生協運動そのものではなく、 また、 大衆運動論的な生協運動論にも立脚しない。 商品づくりは暮らしづくりの結果であり、 大衆運動論、 いいかえれば 「ねばならない私」 を大衆運動的に動員するだけでは、 本人も回りも疲れはててしまう。 大衆運動の意義は否定しないが、 出発点におく必要があるのは 「ねばならない私」 ではなく、 「したい私」 であり、 「したい私」 の出会いの広場をつくることが大切となる。

この本自体は話し言葉で書かれたとても読みやすい本であるが、 「現代の生協運動のあり方」 について 「発想の転換」 を求めているように思う。


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