2001年8月号
人モノ地域


「九条通りで九条を読む」っていうのはどうかな?

『真珠の首飾り』 上演青年実行委員会“真珠組”に参加して



5月16・17日、 京都会館第2ホールで演劇 『真珠の首飾り』 が上演された。

演劇 『真珠の首飾り』 は、 終戦直後の1946年2月4日、 東京日比谷の第一生命ビルの一室を舞台に幕が上がる。 この一室に集められたGHQ民政局員たちに、 ホイットニー将軍は日本国憲法草案作成を命じた。

「締切期限は一週間!この作戦はトップ・シークレットである」

弁護士、 学者、 日本通など様々な人物で構成された25人のメンバーは、 早速それぞれの分野別に草案作成に取りかかる。

そのメンバーの中に22歳のベアテ・シロタがいた。 彼女は5歳から15歳までを日本で過ごし、 人権のない日本女性の姿を具に見てきた。 「女性が幸せにならなければ、 日本は幸せにならない」 そう決意した彼女は、 新しい憲法に女性の権利を盛り込むべく奮闘する。

一国の憲法を一週間で作る。 しかも当然英語で書かれるのだから、 日本語に翻訳する作業も要る。 言葉の使い方をめぐって日本政府と30時間以上に及ぶ会議、 GHQ内部でも、 自信を持って考え出した条項を削除されたり、 意見の対立でメンバーから外される者が出たりと、 険しい山道を登るような一週間となる。

ようやく草案が完成し、 晴れがましく顔を揃える一同。 しかしこの草案は日本政府が作ったことにしなければならない。 輝かしい栄光の歴史は、 それぞれの胸に深く刻まれることになる。 題名の 『真珠の首飾り』 とは、 日本国憲法草案の一条一条が、 まるで真珠の首飾りの一粒一粒のように輝いているという意味が込められている。

(青年劇場俳優 山村鉄平 やまむらてっぺい)




文化や芸術はみんなで楽しむもの

「何をやってもいい。 青年の実行委員会をつくらへんか?」 真珠の首飾り京都実行委員会事務局の亀尾さん、 青年劇場の山村くんから話を持ちかけられ、 数人で“真珠組”はスタートしました。 最初に 「何をやってもいい」 と言ってもらったことを良いことに、 真珠組は憲法制定という 『真珠の首飾り』 の内容とはまったく違う企画 (みんながやりたい企画) を次々と行いました。 花見に始まり、 大看板描き・小芝居・JAZZ企画…。 どの企画も本当に楽しかった。

真珠組はいろんな青年の集まりでした。 美大を卒業した人、 法律を学んでいる学生、 演劇をしている高校生・学生、 オーストラリア人、 在日の青年…それと何か面白いことをしたいという想いを持っている人。

今、 文化や芸術は自分でよほど意識しない限り、 生活から遠い存在になっています。 私はこのままでは、 文化や芸術、 伝統はダメになってしまうんじゃないかと不安になります。 でも、 誰もがそんな文化から離れた生活を望んでいるわけではありません。 この真珠組で、 文化や芸術に携わっている人もそうではない人も一緒に、 みんなで企画を創るなかで、 文化や芸術はみんなで楽しむもんだし。 楽しめるもんだと思いました。

真珠組のような、 いろんな青年が集まって楽しめる集団をまたつくりたいと思います。

(真珠の首飾り実行委員会専従 荒生紗智子 あらおさちこ)




「真珠」 とブラームス

演劇としての 『真珠の首飾り』 を多くの人に見てもらいたい、 そんな思いで私は実行委員会に臨んだ。 たいていの人にとって演劇はあまり接点のないのだが、 これを機に生きた芸術の面白さを体感してほしい、 その上で 「日本国憲法」 を考える契機になればよい、 と思った。

青年実行委員会として 「真珠」 の広報活動に励む。 最も印象的なのは、 その一環として試みた 「ベアテさんに捧げるバラード」 と題したミニコンサートだ。 若者層に弦楽アンサンブルとアイリッシュバンドの演奏に集まってもらい、 「真珠」 を広めようという企画だった。 会場探しや出演者集めに一苦労する。 結局私が見つけた、 古い倉庫をスタジオに改築した 「独歩」 に決定。 そこでの音楽会は初の試みということで、 胸が高まった。 夕闇のひととき、 若いパワーが一所に集まった。 「真珠」 がまた新たな 「人間の輪」 をもたらしてくれた。

そして上演当日。 若い人も結構入った。 これだけの人が演劇を共に味わい、 そして私たちはそのきっかけ作りに携わったのだと思うと胸の奥が熱くなった。 ところが終わってみれば 「演劇鑑賞」 として来場した方にとっては素直に楽しめるものではなかったかもしれない。 「真珠」 は憲法成立の瞬間を描き、 それが押しつけであったのか、 否かという思い問題を内包しているからだ。 しかし、 である。 私は交響楽団でチェロを弾いており、 先日もブラームスの交響曲を演奏した。 初めて来場する人にとって、 曲の構成や背景などは理解しがたい。 これで良いのだ。 ブラームスと 「真珠」 の中に感情の高まりを共有する瞬間はなかったか?難しくとも演ずる者の熱は伝わる。 ベアテさんは男女平等という、 人間として生きる上での根本的な問題を訴えた。 芸術は時に人間の根源的なものを思い出させてくれる。 作品に脈々と流れるそれを共有できたというところに、 「真珠」 に出会えた意義を確信するのである。

(立命館大学4年生 畔柳千尋 くろやなぎちひろ)




父とみんなにありがとう

私が『真珠の首飾り』京都上演実行委員会の活動に参加することが決まったのは4月に入って間もなくのことでした。

実行委員会自体はすでに活動していて、 途中から参加した私は初めのうち、 何が何やらまったくワケが解らず、 ただ戸惑うばかりでした。 というのも、 3月末に父から話を聞くまで、 実行委員会のことはもちろん、 『真珠の首飾り』 という芝居が公演されることすら知らなかったのです。

しかしなぜ、 父は実行委員会について私に話し、 そして参加をすすめたのでしょうか。

それはたぶん 「私が演劇-特に舞台芸術-に興味を持ち、 将来的にその道で生計を立てていきたいと考えていることを知った上で、 今回実行委員として活動されている劇団員の方との交流がはかれるように」 という配慮からだったのでしょう。 事実、 劇団員の方と交流をはかることができ、 参考となる話を聞かせていただくこことができたわけですから。

しかしながら、 いくら父親の配慮があったからとしても最終的に決めるのは私自身ですから、 参加しなかったという可能性もあったわけです。 ではなぜ参加したのか。

この活動に参加する直前まで、 私は大阪である演劇集団の公演に美術スタッフとして参加していました。 そもそもこの集団の活動に参加したのは、 集団でひとつのモノをを作り上げていくことに魅力を感じていたからでした。 今回実行委員会に参加することを決めたのも、 そこに同じ魅力を感じたからでした。 そして、 実際に活動することにより、 集団でモノづくりをするという楽しさや大切さをあらためて感じ、 学ぶことができました。 また、 この活動に携わっている間、 とても充実した時間を過ごすことができました。

このような時間を与えてくれた父、 ならびに、 活動を通じて知り合った方々に感謝したいと思います。

(フリーター 大学を今春卒業し舞台芸術の仕事を志望
松橋秀幸 まつはしひでゆき)




楽しいことが原動力

「できるできないは別として、 思いついたものをどんどんあげていこう」 という言葉が、 真珠組の会議ではよく出てきました。 そうやって生まれたアイデアをもとに、 企画をつくっていったのですが、 私はこの雰囲気が好きでした。 たとえば、 「九条通りで九条を読むっていうのはどうかな?」 というアイデアが出され、 大笑い。 残念ながらボツになりましたが。

私は、 憲法のことをみんなに考えてほしいとか、 この芝居を成功させたいという思いから真珠組に参加したのではありません。 楽しいという不純な動機です。 でも、 これほど強い動機はないのではないかと思います。 だって楽しいんですから。 そうやって真珠組は企画をやるごとに、 まんまと組員を増やしていきました。

準備すること自体がとても楽しかったのが、 5月3日の憲法集会で公演した幻の小芝居です。

青年劇場の山村さん書き下ろし台本があるにも関わらず、 本番も含めて、 やる度に内容が変わるのです。 静かな影のような女性が登場するはずが、 配役の都合上、 大阪弁の体格のいいおかんになったり、 練習のときは (本番も) おかしくておかしくて大変でした。

私は真珠組に参加して、 みんなでひとつのことに向かって作り上げていくプロセスが、 こんなにも楽しいということを久しぶりに体験しました。

これからも、 活動は楽しくやるもんだ、 ということを心にとめながら、 おもしろいものをつくりだしていきたいです。

(京都精華大学3年生 三嶋あゆみ みしまあゆみ)


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