2001年8月号
エッセイ
A君のこと
同志社大学生協
専務理事 吉田 隆英
大学生協にとって毎年四月は、 新入生との新たな出会いの時期である。 去年の四月、 A君という学生が同志社大学に入学し、 生協の学生委員会に入ってきた。
しかし、 他の学生とA君の関係は 「衝突」 の日々だった。 彼がBOXに来ると必ずトラブルが起きた。 A君は自己中心的すぎたし、 他の学生は彼の自己中心主義を嫌って排除しようとした。 それでもなおA君が学生委員会から離れようとしないのは生協という居場所しか残されていなかったことと、 彼を受け入れようとする学生がいたためである。 当初は学生委員会の中で彼を受け入れようと考える学生は少数派だった。 「A君も克服すべき点がたくさんあるけど、 生協は誰でも参加できる場だから、 排除するのはおかしい」 「彼も他者との価値観の違いを認めなきゃだめだ」 との言葉が学生から出始めた。 気がついた時には、 表面的なコミュニケーションではない、 傷つくことも恐れないお互いの内臓が擦れあうような議論となっていた。
A君の行動は一年たった今でも変わらない。 しかし、 周りの学生は日を追うごとに確実に成長している。 「A君はこのままではだめだと思う。 彼にとって大きなお世話かもしれないが私達が彼を変えたい。」 というのが周りの学生の言葉である。 彼は受け入れてくれる学生達のこの言葉に反論せずに聞き入っている。
同志社大学就職部の学生へのメッセージにこんな言葉がある。 「早々と内定をかちとる学生には、 共通して人間力がある。 人間力という言葉を人間的魅力と置き換えてもいい。 これはコミュニケーションをはかる力であったり、 広く社会を見る眼であったり、 何事にも関心を持つ好奇心であったりする。 すぐに身につくものではなく、 四年間の大学生活を通じて自己の可能性を発見し、 可能性を磨いていく過程で得られるものである。 企業はそうした人間力を見抜いているのである。」
私はA君を通じて、 学生が社会に巣立っていくこの四年間に人間的魅力を高めたり、 一人一人のまだ見えない可能性を引き出すことへ、 生協がその役割を果たしていることを実感せざるを得ない。 「もっと学びたい」 「大学生活をよくしたい」 「社会のことを知りたい」 「ボランティアをやってみたい」 という積極的な考えを持つ学生はどこにでもたくさんいる。 しかし、 生協がそういう要求を実現する場であることは、 残念ながらあまり認識されていない。 毎日利用する生協が学生にとってどう見えているのか、 自己成長の場であるのかそれとも単に買い物をする場であるのか。 学生は誰でも充実した学生生活を過ごし、 将来は有能な働き手として社会に巣立っていくことを願っている。 生協はいつの世も、 その応援者でありたい。
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